日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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県境にある飛び地!福岡県の中に熊本県が3カ所ある!! 福岡県大牟田市にある熊本県荒尾市の飛び地に行ってきた!

 

上記地図を御覧下さい。

九州の福岡県と熊本県の県境、正確に言うと福岡県大牟田市熊本県荒尾市の境です。

真ん中に県の堺をしめす点線があり、ここから上が福岡県大牟田市、下が熊本県荒尾市となっています。

しかし、よく見ると福岡県大牟田市に点線で囲んだ地区が3カ所ありますよね。

ここは、熊本県荒尾市です。

つまり、

福岡県大牟田市の中に

熊本県荒尾市がポツンとあるんです。

しかも3カ所!!

 

どんなところなんだああ!!

・・というわけで現地に行ってみました。

福岡県大牟田市内にある熊本県荒尾市の飛び地は3カ所で面積は全部あわせておよそ

1万6千平方メートルあまり。2020年(令和2年)の国勢調査では熊本県荒尾市の人口は5万832人で、そのうちの39人が3カ所の飛び地に住んでいます。

荒尾市役所0968-63-1111で確認)

 

では、3カ所見てみます。

・・・と気軽に書きましたが、「ここが飛び地です」と言う表示もなく、住宅地ばかりなので見分けがつかないため、そう簡単にわかるわけでなく、場所を特定するのに結構苦労しました。

地図を手に該当しそうな個所を車で走り、車から降りて近所の人に話を聞きながら
ようやく場所を特定しました。

 

①福岡県大牟田市船津町の中にある

熊本県荒尾市上井手1336の1~30

福岡県大牟田市船津町の信号を有明海に向かい曲がり、県道787号線に入り、進行方向にむかって最初にある左側の道を曲がった場所にある住宅地域です。

 

目印は、ゑびす屋さんです。

このゑびす屋さんがある一角とその道路を挟んだ対面は熊本県荒尾市です。

このゑびす屋さんを右に行くと道路を挟んで対面が熊本県と福岡県。

地図の一番左端の飛び地の県境。住宅が向い合せですがお隣さんは他県です。

この隣り合わせの県境の住宅を背にして見るとこうなります。

ここを探索している時、この地区の大牟田側に住んでいるご婦人に話を伺いましたら、選挙の時には熊本選挙区の立候補者の選挙カーがここを通るそうです。

 

②福岡県大牟田市藤田町の中にある

熊本県荒尾市本井手1776~1778

県道787号線を有明海鹿児島本線と反対側に、つまり内陸に進みます。

途中で道が狭くなりますが、進行方向に向かって右側に藤田天満宮に行く道があるのでその反対の道、進行方向向かって左の道に入ります。

その奥、進行方向右側にある四角い地域です。

目印は、ビニルハウス。進行方向の右側にビニルハウスが見えてきます。

このビニルハウスと、手前の2軒は熊本県荒尾市です。

逆から見ると

 

スマホの現在地情報で実際に検索してみた。

熊本県荒尾市にあるビニルハウスで働いている方がおられたので、許可を得て敷地に

入らせて頂きました。さらに周辺を歩きスマホで位置情報をしました。

地図の荒尾市の区画からわずかにずれていますが、ここは「福岡県大牟田市藤田町433周辺」と表示しています。

しかし、ほんの10歩ほど歩いたビニルハウスの敷地内では、住所は「熊本県荒尾市本井手1781周辺」を表示します。


この飛び地は、綺麗な四角形なので人工的に仕切られた感じがしました。

 

③福岡県大牟田市神田町の中にある

熊本県荒尾市本井手1774~1775

②の場所から県道787号線に戻りさらに内陸に進み、赤レンガのトンネルをくぐると

進行方向左側にあります。住宅地が並ぶので見失いがちですが、その1角です。

真ん中を走るのが県道787号線。これを挟んで熊本県荒尾市がポツンとありました。


県道787号線に面し、奥に延びるこの1列の住宅地の住所は、熊本県荒尾市です。

お隣は 福岡県大牟田市です。

(飛び地での生活は・・)。

福岡県大牟田市の中にある荒尾市の飛び地に住む人は、当然荒尾市民です。住民税や

固定資産税は荒尾市に払っています。
しかし、水道は大牟田市水道局から、ゴミ収集など行政サービスの多くは大牟田市から受けています。

固定電話の市外局番は福岡県大牟田市と同じ「0944」です。しかし郵便物は荒尾郵便局からの配達です。

学校は荒尾市内の学校に通うことになるのですが、希望届を出せば大牟田の学校に通うことができるそうです。

 

(この飛び地が、どうしてできたか)

この飛び地は、江戸時代初期の1673年6月に、福岡県大牟田がある三池藩の家老と、

熊本県荒尾市がある細川藩の役人の間で交わされた覚書に「三池藩の領である藤田村は、細川藩の領である井手村深瀬堰からの取水の代償として、前々からの堰料一町、

溝料五反の替地を継続するが、堰は井手村に属していること。併せて井手村は藤田村への用水に支障を起こさないことを両村で取り決めをかわす」と登場します。

この取り決め文を簡単に説明すると、現在の大牟田市が三池藩時代に水田に必要な諏訪川の水を供給するため、現在の荒尾市を治めていた細川藩内に堰と水路を作ってもらい、その代償として三池藩内の土地の一部を細川藩に差し上げたというのです。

この覚書、よく読むと、「前々からの」と書かれていてこの飛び地の起源はさらに遡ると思われます。

当時、米は食料であると同時に、「石高」でわかるように経済を示す指標でもありました。

そのため、米の生産高は重要であり、その水田の「灌漑用水は、藩にとっては最重要事項だったのです。

 

(コロナで県をまたいで・・)

新型コロナウイルスで、日本政府は県をまたぐ移動を自粛するようにいいましたが、
今回紹介した飛び地では、それを守るとなるとじっと家に籠らないといけませんねえ。

 

福岡県の中にある③個所の熊本県

その成り立ちを調べると

その歴史的背景がよく理解できました。