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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ネタバレあらすじ 第25話「天が望んだ男」

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜午後8時)の
6月26日放送・第25回「天が望んだ男」の
平均世帯視聴率は12・2%(関東地区、速報値)でした。ちなみに第24回は12・0%でした。

では、ストーリーを見て行きましょう。

 

(おかしくなる頼朝)

物語は、頼朝が悪夢でうなされるところからスタートします。

頼朝は、自分が死んでしまい、それを家族が囲んでいる光景の夢を見ます。もう死亡フラグ立ちまくり・・。

 

不安におびえる頼朝は、異母弟・阿野全成に今の状況を改善するための助言を求めます。

全成は、「平家を示す赤色は避けるべきだ」、「赤ちゃんは精気を吸い取るから避けるべきだ」、「久しぶりの者との対面を控える」、「昔を振り返り、人に先を託すのはご法度」、「仏事神事は欠かさない」などのアドバイスをします。

しかし実は頼朝がしつこく迫るので途中からは、思いつくままの事を答えていました。おいおい。

 

頼朝は、全成のアドバイスを忠実に守ろうとするので、

日々の生活に支障が出て周囲は振り回されます。

 

さらに頼朝の心身の不調がいぜん続きます。

頼朝の不安は大きくなってきています。北条は信じていいのか。頼朝は範頼を焚きつけたのは比企だという噂も耳にしていて、もう誰も信じられない心神喪失ノイローゼ状態です。

 

(ほおずき)

ある日、義時の異母兄弟・北条時蓮が、送られてきたという真っ赤なほおずきを頼朝の部屋に飾っていました。

赤は平家の色・・このことに気がついた頼朝は、血の気がひきます。

そして、チリーン・・・頼朝だけに仏壇の鐘の音が聞こえました。

この鈴の音が今回の重要なキーワードです。

 

(赤ちゃんをだっこ・・)

一方、頼朝の嫡男・源頼家比企能員の娘・せつの間に長男・一幡が誕生します。
能員は、頼朝の後は頼家に継ぎ、さらに、そのあとは一幡に継がせようと考えていました。そうすると比企は鎌倉で大きな力となるからです。

頼朝を訪れた能員と道は、頼朝に一幡を抱っこさせようとします。しかし、頼朝は赤子を抱くと命を吸い取られるという全成の言葉を気にして、抱こうとしません。

しかし、結局しぶしぶ抱っこをしました。

「命を吸い取られるから赤子を抱いてはいけない」と言われていたのに・・。

 

(女子好きは我が嫡男の証し)

義時と時蓮が、赤いほおずきを片付けていると時政がやってきます。

さらに頼家がやってきて義時に折り入って話があると言います。頼家は、つつじという女性を正室に迎えたいと相談します。つつじの母は頼朝の叔父・鎮西八郎=源為朝の娘で、源氏の一門の出です。

ここで鎮西八郎=源 為朝を解説。源為朝は、源為義の八男。母は摂津国江口の遊女です。

頼朝の父・義朝の弟ということで源頼朝義経兄弟の叔父にあたります。 戦場では他に並ぶないほどの強弓で知られている勇敢で強い武将として有名でした。

 

このことを知った頼朝はつつじの血筋を喜び、つつじを正室にし、比企の娘を側女に
することになりました。

さらに頼朝は「女子好きは我が嫡男の証しだ。頼もしいぞ」といいます。おいおい

 

(方違え)

1198年12月27日に供養が行われました。これは武蔵の豪族・稲毛重成が亡き妻(時政の娘・あき)の冥福を祈り、相模川の橋を新造したためです。

頼朝も従者の安達盛長を従え供養に参加しようとしますが、全成の助言に従い縁起を担いで方違えをし、途中、和田義盛の館に立ち寄ります。

突然の訪問に和田義盛は恐縮します。

ここで、頼朝は巴御前と面会し、木曽義仲討ち滅ぼしたことを詫びます。

これは全成のアドバイス「恨みを持つ者に会ってはいけない」に反します。

さらに、その席で頼朝は「いかん昔を振り返っては」と我に返ります。  

なんか頼朝の行動がちぐはぐで迷走しています。

 

(もちをつまらせ・・)

全成が御経を唱えている最中に頼朝が到着します。

北条家は仏事で一門が集まると決まって丸餅を作るのが恒例行事で、今回の供養でも皆で丸餅を作りました。

頼朝は、時政と2人で餅を食べますが、あろうことか喉に餅を詰まらせます。
正月に毎年のように餅を詰まらせて亡くなる方がいますが、頼朝も餅を詰まらせるとは!

時政は、大声で人を呼び背中を必死に叩いて餅を出そうとします。騒ぎを聞いた政子や義時が駆けつけ、義時が後ろから頼朝を叩くと、餅を吐き出して九死に一生を得ます。頼朝は「時政がいなかったら今頃どうなっていたか。持つべきものは北条だな。」と話します。

頼朝は、北条義時と政子に「我が源氏は武家の棟梁として、この先、百年も二百年も続いていかねばならん。その足掛かりを、頼家がつくる。小四郎、おまえは常に側にいて、頼家を支えてやってくれ。政子、これからは鎌倉殿の母として、頼家を見守ってやってほしい」と話し鎌倉殿を頼家に譲り、自身は大御所になると宣言しました。  

政子が立ち去ると、義時と2人きりになった頼朝は、「小四郎、わしはようやく分かった。人の命は定められたもの。抗ってどうする。甘んじて受け入れようではないか。受け入れた上で、好きに生きる。神仏にすがって、怯えて過ごすのは時の無駄じゃ。神や仏には、聞かせられぬ話だがのう」と。  

もう、己の死期を悟ったかのようなこのセリフ・・・。

 

(落馬)

供養が終わると頼朝は一足先に鎌倉御所へと戻ります。お伴は昔から頼朝に仕えていた旧知の仲の安達盛長です。

林道で頼朝は昔話しを持ち出します。全成に禁止されていた昔話です。

もう全成から禁じられたことばかり連発です。

すると・・・頼朝は右手に痺れを覚え馬から落ちます。

このスローモーション落馬と 鐘の音、そして政子、頼家など頼朝関係者の表情・・
凄くマッチしていい演出です。

死ぬ間際に、お迎え人が鈴を鳴らしながら迎えに来て、帰り時も鳴らすという話を聞いたことがあるけど、 あの鈴の意味はこれなんでしょうか?

でも、義時だけは鈴の音が聞こえません。これは何を意味する??

 

安達盛長は、頼朝に駆け寄り「佐殿(すけどの)!」と叫び、必死に頼朝を抱え起こそうとしますが、意識がありません。

この「佐殿(すけどの)!」と呼ぶのがいいですね。

頼朝の幼少期から支え続けた安達盛長ならではのいろんな意味がこもった発言です。

(次回に続く)

 

(感想)

頼朝の死に関しては歴史書吾妻鏡」には、以下のように描かれています。
源頼朝は、相模川にかけた橋の完成祝いに出掛けます。 そして、その帰りに稲村ガ崎で落馬し17日後の、1199年1月13日に53歳で亡くなります。・・・ ということは直接落馬で死亡するわけではなく、しばらくして亡くなるわけです。ということは来週も頼朝登場??

 

なおツイッターの#鎌倉殿の13人がオンエア中から10週連続の世界1位でした。

さてさて、頼朝の死を境にますます鎌倉が混乱します。