日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡)

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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ネタバレあらすじ 第26話「悲しむ前に」

「鎌倉殿の13人」の第26話「悲しむ前に」が放送されました。

この世帯平均視聴率が12・9%で、前回から0・7ポイント増です。

では第26話「悲しむ前に」のあらすじを見ていきましょう。

今回もハンディカメラと固定カメラの使い分けが凄くいい演出を生んでいます。

心の動きや信条の時は画面が揺れるハンディカメラ、きちんと撮影してみせるシーンは

画面が揺れない固定カメラです。

(意識が回復しない頼朝)

119812月末、落馬した頼朝は御所に運ばれます。頼朝は意識が回復せずに眠ったままです。

頼朝の枕元で、妻の政子以下北条家を中心に皆が見守っています。

医者は、頼朝はもってあと数日と。
でも、この時代の医療技術なんてあてになるんでしょうか?
義時は、廊下にいた梶原景時畠山重忠に真実を伝えます。
武家の棟梁・最高トップにいる頼朝が落馬!!!これは権威も貫禄も丸つぶれです。
頼朝が落馬したことを見た者を口どめし、状況が漏れないようにします。
口封じ???ここはあの男の登場かとも思いましたが、善児は登場しませんでした。

政子は一睡もせずに、目を覚まさない頼朝に付き添います。その時、嫡男・源頼家
鹿狩りに出て不在でした。

 

(それぞれの思惑)

義時は、頼朝の状態を内密にしつつも、さすがに頼家の乳母夫の比企能員には知らせなければなりませんでした。
義時から話を聞き館へ戻った比企能員は、道とせつに「鎌倉殿は死ぬ」とバラしてしまいます。おいおい!
そして、せつに向かって若君=頼家のことを頼む!と言いますが、せつは頼家の居場所を把握していません。それを聞いた比企能員は「それで御台所がつとまるか!」と怒鳴り散らします。
比企能員は頼家が鎌倉殿になれば、実権を握り、さらに鎌倉を牛耳ることができるのでチャンス到来と乗り気です。

 

頼朝の情報は漏れていきます。そして頼朝が死んだあとに、誰が次の鎌倉殿になるのかを考え鎌倉は落ち着きません。

 

一方、頼朝の妻・政子の実家の北条家では、舅の時政が時連ともども、頼朝の回復を祈り水垢離(みずごり)をします。しかし、寒すぎて退散!年寄りの冷や水とはこのこと・・・
ここで、時政の妻りくは「鎌倉殿は助からない!」と言い、頼家が次の鎌倉殿になれば、比企に全てを持っていかれると考え「この鎌倉は時政が作ったもの。時政がいなければ、頼朝は挙兵できなかった。鎌倉を人に取られてはならぬ」と言います。

そして今後の北条の影響力維持を考え、ここは頼朝のただ一人の弟の全成を次の鎌倉殿にと考え、全成を呼びます。
そして全成に「鎌倉殿の跡を継いでくれ」と訴えます。
りくも、鎌倉殿の実弟は全成しかいない!と言い出します。
時政からの突如の打診には全成も驚き「若君(頼家)はどうするのか」と言うと時政はあの若さでは皆がついてこないと言います。
仏の道に入っている全成に対しては、りくが「還俗しろ」と言います。もう無茶苦茶。
さらに時政は、実衣に全成が継いだらお前は御台所だと持ち上げます。
なんか必死ですね・・。

 嫡男・頼家をおす比企能員、一方北条は頼家はまだ若いとし、異母弟の全成をおします。

 

義時は、頼家の後継手順を文官たちに聞いていました。その席に三浦義村が来ます。
義時は頼家とつつじの話題も持ち出し、頼家とつつじの間に子供が生まれたら三浦から乳母を出すことを提案します。
義時は、対立する北条と比企の間に三浦を入れ緊張感を緩めたいと考えていました。
義村に異存はないようで、弓矢を持ちながらこう言います。
「乳母の件、頼朝が考えたことにしてくれ。それならどこからも文句が出ない。ようやく三浦にも出番が回ってきたか」。
もうみんなの思惑がぐちゃぐちゃ・・・

 

義時が時政のもとへ行くと時政が「次の鎌倉殿は全成でいくことにした」と告げます。義時は突然の申し出に困惑します。
すると隣にいる阿野全成も髪も伸ばし始めていると言います。
時政が御台所は北条から出したいのだと頼むと、義時は「それは父上のお考えか?」と尋ねます。時政は「何が言いたい! りくの考えがわしの考えじゃ!」と怒鳴ります。
義時は比奈にこのことを告げると、比奈は阿野全成を擁立すれば、鎌倉は二分されると言います。
人間関係がドロドロしています・・。

 

(嫡男頼家)

頼家が狩りから戻り、意識を取り戻さない頼朝の病床に駆けつけます。
しかし頼朝は全く反応しません。頼家は、義時に頼朝は助からないと言い、誰がこのことを知っているかと尋ねます。ごく少数にとどめたものの、噂はだんだんと広まっています。
頼家は「このことを公表する」と言いますが義時は、朝廷への申請準備中だから控えるべしと答えます。
頼家は、頼朝の嫡男は自分であり、その自分が跡を継ぐのは周知のことだから隠すことはないと言います。そして御家人を集め発表します。

 

(臨終出家)

依然、意識を戻さない頼朝に対し妻の政子は懸命に看病をします。
その頼朝に「臨終出家」が行われました。「臨終出家」とは、死ぬ直前に頭を剃って
僧侶となる儀式です。当時は、僧侶になると浄土へ行けると考えられていて、京都の
有名な人達はこれを行っていたそうです。

 

臨終出家で断髪した時に、頼朝の髪の中から小さな観音様の像が出てきます。
頼朝は、範頼問題の時に、駆けつけた比企尼に、小さな仏像を捨てたと言っていましたけど、本当は大事に身につけていたんですね。

 

この像は、重要な意味を持ちますので忘れないで下さいね!!

 

(「あなたには無理です」)

政子の元に妹の実衣がやってきて「全成が次の鎌倉殿になる覚悟を決めた」と告げます。
さらに実衣が「私が御台所を務めます」と言います。すると政子は「あなたには無理です」ときっぱりとしかも冷たく言い放ちます。
なんという事でしょう。仲が良かった姉妹がバチバチです!
 

1月13日、頼朝が意識を戻さないまま亡くなりました。
頼朝の遺体は荼毘に付され御所の裏にある「持仏堂」におさめられました。

 

2代目鎌倉殿は誰?)
頼朝が死亡したので次の鎌倉殿を誰に選ぶか・・。これは大きな問題です。普通に考えれば頼朝のあとは嫡男が継ぐのは当然。

しかし頼朝が亡くなった時点で頼家は18才。頂点に立つには若いんですよねえ・・。
全成をおす北条と頼家をおす比企の対立・・。
大江広元は、今は全成に任せ頼家が成長したところで頼家に譲るという考えを持っていました。
義時は、頼朝の妻・政子に次の鎌倉殿に誰を選ぶのかを託します。
政子は、頼家を呼んで鎌倉殿になる意思があるかを確認しますが、頼家はこの申し出を拒否します。
しかし政子は頼家に言います。「初めて鎌倉にやって来たとき、佐殿と私はここに立った。あなたの父上は自分の思いを語ってくださいました。坂東をまとめ上げ、いずれ平家を滅ぼすと。そして、自分の跡を継ぐ立派な男子を産むように……あなたはまだ若い。けれど、私と小四郎はあなたの才を信じます。鎌倉を混乱から守れるのはあなただけ。新しい鎌倉殿になるの」と。

それを聞いた頼家は「かしこまりました、母上」一度は拒否した頼家ですが、鎌倉殿就任を了承します。

しかし、これは梶原景時の入れ智慧でした。梶原景時は、快諾したら節操がないと思われるから一度は断るようアドバイスをしたのです。

 

(二代目鎌倉殿就任)

頼家は御家人たちを集めて二代目鎌倉殿を継承することを宣言し「我々は大きな柱を失った。このままでは、日本(ひのもと)中で再び戦乱の嵐が吹き荒れかねん。我らは偉大なる先の右近衛大将征夷大将軍の死を乗り越え、前へ進むのだ!」と高らかに宣言します。

この瞬間、力関係で頼家の乳母夫である比企能員が北条氏を押しのけ優位に立ちます。

(北条分裂)

頼家の2代目鎌倉殿襲名の後、時政は政子のところにやってきました。
時政は、頼家を2代目の鎌倉殿に選んだ政子に対し「裏切りやがったな!」となじり、りくは「いけしゃあしゃあと比企の肩を持って」と激怒します。
政子は頼家だって孫だと言いますが、時政は「あれはもう比企に取られたようなもんだ」と返し話になりません。
義時は時政に「父上は北条あっての鎌倉とお考えですか? 私は逆。鎌倉あっての北条。鎌倉が栄えてこそ、北条も栄えるのです」と言いますが、通じません。

 

さらに全成の妻・実衣も「結局、姉上は私が御台所になるのがお嫌だったんでしょ。そうに決まっている。私が自分に取って代わるのが許せなかった。悲しい。そんな人ではなかったのに。力を持つと人は変わってしまうのね」とつっかかります。
政子が、頼家を鎌倉殿にしたことで、時政や実衣ともギクシャクした関係になり、これまで一枚岩だった北条家に亀裂が生じます。

 

 (しむける・・・)

さんざんやりあった時政のもとへりくがやってきました。
りくは、頼家は頼朝よりも気が強く、頼朝に似て女好きだから、いずれ必ずボロを出す。その時が北条にとって本当の勝負だ、と言います。それを聞いた時政が「ボロを出さなかったらどうする?」と尋ねると、そう仕向けるんですよと・・。悪いなあ・・・

 

(見抜いた)

頼朝の遺骨を埋めた場所に一人でいた義時のところに息子の頼時がやって来て、こう言います。「思うのですが、鎌倉殿のお召し物は肩のあたりが汚れていたそうです。つまり馬から落ちた時、手をついておられない。そこから考えると、鎌倉殿は先に気を失われ、馬から落ちたのではないでしょうか。決して振り落とされたわけでありません」鋭い!!

 

(鎌倉を去ろうとしても・・)

義時は次の鎌倉殿が決まったことから、鎌倉を離れ伊豆に退く決意を政子に告げました。義時は、次の鎌倉殿が決まり、優秀なスタッフもいるので、もう自分がいなくても大丈夫だと考えたのです。

 

義時は「政所は文官の方々に。侍所は梶原殿や和田殿に任せておけばいい。平六(義村)もいます。それぞれが私欲に走ろうと、頼家様をお支えすればこの先は安泰。北条も然りです。五郎もいれば、息子太郎もいる。皆で、父上を支えていくのです。そして鎌倉の中心には姉上が。誰とでも隔てなく接することのできる姉上がいる」と言います。
さらに「私のやるべきことは、すべて終わりました。長い間、ありがとうございました。私はこれで、鎌倉を離れます。私は頼朝様のために、この身を捧げて参りました。頼朝様が亡くなった今、ここにいる意味はありません。頼朝様に憂いなく旅立っていただくことが、私の最後の仕事と思っておりました。私は伊豆へ帰ります。米の勘定をしながら、ゆっくりと過ごします。これからの鎌倉に私は要らぬ男です」と政子に告げます。

 

姉の政子は「頼家を助けてやってちょうだい。あなた、卑怯よ!わたくしにすべて押し付けて、自分だけ逃げるなんて。あなたに言われて腹を括ったんですから、少しは責任を持ちなさい!」と言い、さらに立ち上がり、義時の手を取りこう告げます。

 

「これまで頼朝様を支えてきたように、これからはわたくしを支えてください。お願い」 と言い政子は義時に小さな観音像を手渡します。この観音像は「臨終出家」のときに、三善康信が頼朝の髪の中から現れてきたものです。
頼家は乳母の比企尼から、幼少期に小さな観音像をもらいました。そして範頼との関係がまずくなった時に比企尼に対し「観音様は捨て申した。挙兵の時、源氏の棟梁として甘く見られてはならぬと」と告げていました。でも実は大切にしまっていたのです。


さらに政子は「鎌倉を見捨てないで。頼朝様を。頼家を」 と問いかけます。

 

義時は、黙ったまま小さな観音像をじっと握り締めます。
時代が義時を放っておかないようです。(おわり)

 

【感想】

頼朝の死、跡取り問題で鎌倉に暗雲がたちこめています・・。これから権力争いの血なまぐさい出来事が色々起きます・・。
なおTwitterでは「#鎌倉殿の13人」がオンエア中から11週連続の世界1位でした。

おっさんも土曜13時と日曜BS鎌倉の時には毎回参加しています。