山口県下関市彦島に吉田松陰が立ち寄った小さな神社があります。
田の首八幡宮です。
この神社は室町時代、南北朝が統一される1年前の1391年に、彦島八幡宮の分霊を勧請祭祀したものです。
彦島八幡宮は1159年の創建、平氏が滅んだ壇ノ浦の戦いが1185年。この壇ノ浦の戦いで敗れた平家勢の武士がこの彦島に落ち延び住み着いたという話もあります。
そしておよそ200年後の1391年に田の首八幡宮ができます。
田の首八幡宮の祭神は主祭神が第15代天皇の応神天皇で、配祀神が第14代天皇の仲哀天皇、その后の神功皇后、16代の仁徳天皇です。仲哀天皇は4世紀中ごろ、仁徳天皇は4世紀末から5世紀半ばに在位した天皇と言われています。
昔は牛をこの八幡宮に参拝させる風習があって海で洗っていたそうです。
(吉田松陰も参拝)
江戸時代、吉田松陰は長州藩の各地域に足を運んで地域を調べています。松陰が記述した「廻裏紀路」には福浦金刀比羅宮を訪れたあとに田の首八幡宮にも立ち寄ったとあります。
「百度石」がありました。地域の人たちが色んなことを神様に願いし、ここでお百度参りをしたと思われます。
境内には、日清日露戦役記念碑が有りました。地域の人がここから万歳で見送られ戦地に向かったり、あるいはここで残された家族が武運長久のお祈りをしたのかもしれません。
また皇紀2600年を記念した石碑もありました。
1941年(昭和16年)には地域の人が集まり皇紀2600年の祝賀が行われたのかもしれません。
(田の首の由来)
この神社の名前「田の首」・・なんか怖そうですよね。
田の首八幡宮の総代長代理の安田雅之さんが平成22年7月1日の「産土(うぶすな)第39号」第7紙面で「田の首」という地名の由来について3つの説を話されています。
①田の首の浜に「生坂の瀬(マナイタのせ)」があり、ここに海賊たちの処刑場があり、これから地名が連想された説
②散木集の歌に「たつ(田鶴)も居る亀の首より漕ぎいでて心細くも眺めつるかな」とあります。この「たつ」は鶴のことで、田の首の泥田に毎年冬に鶴がやってきていました。つまり「田鶴の首」が転じて「田の首」になったという説
③田の首八幡宮のある丘が突き出して、その形が亀の首のように見えたので「亀首」と言っていたのが、なまって「田の首」になったという説。
なお,田の首八幡宮からは、関門海峡を挟み対岸では福岡県北九州市門司区の街並みが見え夜景スポットとしても有名です。
<<田の首八幡宮への行き方>>
これは車で行きましょう
こじんまりとした神社ですが
付近の人たちからは地域の守護神社として
長年、守られ愛されてきたのだと思います。