1914年7月28日、オーストリアがセルビアに宣戦布告し、ドイツ・オーストリアの同盟国側と、
ロシア・フランス・イギリスの協商国側との
世界戦争が始まります。第一次世界大戦です。
(皇太子夫妻暗殺される!!)
1914年6月28日に、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者であったフランツ・
フェルディナント大公がその妻のソフィー大公妃と共に、サラエボで青年に暗殺されます。
この事件をきっかけに1914年から1918年にかけて、同盟国(三国同盟)側と連合国(三国協商)側の間で大規模な戦闘が繰り広げられます。
第1次世界大戦の同盟国は、ドイツ、オーストリア、オスマン・トルコ、ブルガリアの四か国、一方連合国は、フランス、イギリス、ロシア側として戦った諸国をさします。
この戦いではヨーロッパを主戦場として計25か国が参加しての戦闘で歴史上最初の総力戦でした。
(日本も参戦)
日本は日英同盟にもとずき、連合国側として8月23日ドイツに宣戦を布告します。
(軍艦防波堤と今も今も残る第一次世界大戦で活躍した駆逐艦「柳」)
ドイツ軍は1917年2月から戦闘海域に入った船舶に対し、潜水艦Uボートなどで、国籍を問わず撃沈するという無制限潜水艦作戦を実施します。
ドイツに宣戦を布告した日本は、1918年(大正7年)には地中海に海軍の軍艦を派遣します。そのとき、地中海に派遣された駆逐艦「柳」が福岡県北九州市若松に軍艦防波堤として残っています。今でも誰もが自由に触ったり乗ったりすることができます。
ドイツとの戦争は当時は日独戦争と呼ばれました。
日本はドイツが占領していた中国山東省青島を占領し、日本に多くのドイツ兵捕虜が
来ます。ドイツ兵捕虜収容所は日本の各地に作られますが、ドイツ人捕虜の扱いは、
国際条約を順守したもので、労働に対しては日本の将校・兵卒と同様の給与が支給され、本国との手紙のやり取や飲酒も許可されていました。
地域住民とドイツ兵捕虜との交流も生まれ、お菓子作りやハムやソーセージなどの
製造、ドイツパンなどの食べ物や文化などが伝わりました。
福岡市にあった陸軍墓地には、亡くなったドイツ兵捕虜のお墓があります。
(アメリカが参戦し、連合国の勝利に)
ドイツ軍の無制限潜水艦作戦で中立国だったアメリカ人を多数乗せたルシタニア号が撃沈されたことから1917年(大正6年)4月2日に、アメリカがドイツに宣戦し、それが連合国側の勝利に決定的な要因となりました。
1918年(大正7年)11月11日、パリ郊外のコンピエーニュの森で、イギリス、フランスなどの連合国側とドイツとの間に休戦条約が調印され第一次世界大戦は終結します。
翌年パリ講和会議が始まり、1919年(大正8年)にベルサイユ条約が締結され、新たな国際的な平和維持機構として国際連盟がジュネーブに発足します。
(大戦景気で成金誕生)
第一次大戦によりヨーロッパの国々が戦争で輸出が出来なくなったことから、日本が
アジア・中国の市場をとってかわり「大戦景気」と呼ばれる好景気が訪れます。
さらに、造船・海運業が発展し、船景気と呼ばれ日本は、この大戦で債務国から債権国になり、工業が飛躍的に発展し財閥が力をつけ、また成金も登場します。
鈴木商店もその1つです。
・・・・ということで7月28日は
第1次世界大戦が始まった日です。