日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

MENU

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ネタバレあらすじ 第29話「ままならぬ玉」

鎌倉殿の13人第29話は「ままならぬ玉」。
29話の平均世帯視聴率は関東地区で11・9%、
前回の12・9%から1ポイントダウン。
ではストーリーを見ていきます。

梶原景時討ち死に)

梶原景時が討ちとられます。といっても梶原景時が討ちとられるシーンはなく、もうなくなった状態での紹介です。これは源義経同様、死ぬシーンはありません。最後のシーンをわざと描かないで視聴者に想像させるという演出なんでしょうか・・・

 

(トウ登場)

 亡くなった景時が「置き土産じゃ」と義時に譲ったアサシン善児が、トウを従え登場します。

このトウは、少し前の第24話のラストで、善児が源範頼を瞬殺した時に、その様子を
目撃したものの、鎌をかまえて善児に応戦しようとしたあの少女です。
善児は「わしも年を食ったので、2代目です」と紹介すると、トウは刀を抜くとともに
俊敏な動きで後方バク転や側転など軽業師の動きを見せ、最後は義時の目前に刀を突きつけます。これは強力な味方です。今後、このトウはどんな役目を果たしていくのでしょうか・・・

ただ、ここで気になったのは2つ。
まずトウは善児の2代目とは言いながらも両親を善児に殺されたわけですから、この
まま何事もなかったかのように済むわけではないでしょう。何らかのストーリーが展開されるでしょう・・

また梶原景時から善児に手渡された袋の中には、善児が殺害した北条宗時から奪った袋が入っていました。宗時は今仕えている義時の兄です。
ここはいつかバレるのでは・・。これは何かの伏線でしょうね、後々何か起きますね・・・

アサシン善児のこれまでの暗殺リストは下をクリックして御覧下さい。


(比企と北条の画策)

梶原景時が討ち死にした3日後に三浦義澄、さらにその後に安達盛長も亡くなります。出家した中原親能を含めると、鎌倉殿を支えるために集まった13人は9人になりました。

 

1200年、頼家の正妻・つつじが男子を産みます。当時の流れでは、正妻の第一子が頼家の跡継ぎになるはずです。
その子は善哉(ぜんざい)と名付けられ、後の公暁です。乳母夫は三浦義村です。

 

ここでおさらい。

源頼家の乳母は、比企家。その比企家の娘せつは頼家の妻となりますが、つつじの登場で側室になります。せつと頼家の子供は一幡です。

一方、源頼家正室つつじの子供の善哉の乳母は三浦家。

さらに頼朝の息子で頼家の弟の千幡(後の源実朝)の乳母は、北条家の阿野全成
実衣。

 

そうなると頼家の跡継ぎを巡って比企と北条の動向があわただしくなります。

比企能員北条義時に「跡継ぎは一幡様だからな」と言いますが、

義時は「頼朝様の御意向は、つつじ殿のお子が男の場合にはその子にと」とこたえます。しかし比企は「文書に記されておらぬではないか」と。

まさにこれ正論ですね。

北条家でも・・・。

時政とりくにとっては、跡継ぎが一幡あろうと善哉であろうと どちらであっても
北条家には不利になります。

そこで、りくが「千幡ですよ。頼家様の弟君、今年で9歳。母は政子。乳母夫は実衣と全成殿。申し分なし。」と知恵を付けます。

 

そして全成を呼び出し呪詛して欲しいと頼みます。
 全成「誰を」
 時政「比企能員」と言いますが、りくは否定し「鎌倉殿。もちろん命を取ろうとは
思っておりません。しばらく病で伏せっていただければよいのです」・・おそろしいなあ・・

気が弱い全成は、しぶしぶその要求をのみます。

これが全成の大きな命取りになります。気の毒!!

 

1201年8月、台風が2度にわたって伊豆などに襲来し作物の収穫にダメージを与えます。さらに備蓄していた作物も尽きてしまい百姓たちは苦しんでいました。
しかし、このような惨事に直面しても鎌倉殿の頼家は蹴鞠に没頭し手を打ちません。
その頼家に北条頼時が「ほかにやることがあるのではないでしょうか?」と進言しますが頼家は「遊びではない!」と切り返します。

 

その夜、義時は頼時に伊豆へ行くように命じました。凶作にあえぐ百姓が土地を投げ出し、逃げることが頻発していましたのでそれを解決するためです。

 

(きのこ)

三浦義村の娘・初は鶴丸と出発の荷造りをしていました。鶴丸は頼時の幼なじみです。
そのとき頼時に「真面目。あなたの、そういうところ、息が詰まる。面白くないの」と言います。
ひどいなあア・・。他人が聞いてもひどい言葉、言われた当人は大ショックです。
この言葉に傷ついた頼時に、父の義時は「分かっていないな、おなごというものを。
初は寂しかったんだ。1人残されるのが。だから、わざとそういうことを言うのだ。
山ほど土産を抱えて帰ってくれば、機嫌を直してくれる。おなごというものはな、
だいたいきのこが大好きなんだ」とアドバイスをします。
「おなごはきのこが大好き」・・・かつて義時が八重を口説くときに使いましたね・・父のその言葉に頼時は「いいことを聞きました。ありがとうございます」と明るい顔になります。なんだかなあ・・・。

同年10月2日、頼時は伊豆に向かいます。

 

(鎌倉殿と一緒にいたい)

比企能員は、自分が後押しする頼家が征夷大将軍に就任すること望みます。「大将軍の職にないと、御家人たちがついてこぬわ」と嘆きます。
梶原景時の死後、頼家の横柄なふるまいの数々が目立ち御家人たちを敵に回しかねません。

 

その頼家ですが、つつじの部屋に入り浸りになり、善哉と過ごす時間が増えました。
比企能員の娘で、頼家の側女のせつは、跡継ぎは自分の子の一幡でも、つつじの子の
善哉でも、どちらでもよいと思っていました。
それよりも頼家と過ごす時間を増やし、頼家と心を通わせたいと願っていました。
せつはこのことを義時の妻・比奈に相談します。相談を受けた比奈は、せつを政子の
もとへ連れて行きます。
政子はせつに「頼朝様は幼い頃より苦労されて、生涯、人を信じるということをなさらない方でした。いっそ思っていることをぶつけてみては?」
その言葉を受けせつは、頼家に自分の本心をぶつける事にします。

 

(証文破り)

伊豆に着いた時頼と鶴丸は、大勢の百姓と代官を前にしていました。
代官は、百姓に貸した米が期日を過ぎても返されないことを不満に思っています。
一方の百姓達は、返したくても不作で米は一粒もないと必死で訴えます。
双方の言い分を聞いた頼時は思い切った行動をします。
代官が百姓に米を貸したとする証文をその場で破り捨てたのです。そして頼時は「代わりに鎌倉から米を届けさせよう」と言い、百姓が代官に借りた米を自分たちが肩代わりするというのです。
さらに、貧窮にあえぐ百姓たちにも米を与える約束をします。


吾妻鏡」には数十人の農民を前にして、米を借りたことを示す証文を破り捨て、「もう米を返す必要はない」と宣言し農民に酒や飯を振舞い、1人につき1斗の米を与えた とあります。まあ「吾妻鏡」は北条賛美の本なので脚色や誇張があると思いますが・・・。


北条泰時誕生)

鎌倉に戻った頼時に対し頼家は「伊豆では大層な評判と聞いておるぞ。証文を破るとは思い切ったことをしたものだ。これで諸国の百姓たちが、証文を蔑ろにする。まぁ、よい。褒美を取らせよう。」とほめます。

さらに「これを機に、名を改めよ。わしは間もなく征夷大将軍となる。同じ『頼』の字を持っていては、おまえも心苦しかろう。『泰時』。『泰』は天下泰平の『泰』の字」と言います。
頼時は不服ながら「ありがたき幸せ」とこたえ、さらなる精進を約束しますが、頼家には「お前は父のもとで励め」と拒否されます。
泰時は頼家のから命じられた改名に納得がいきません。「頼時の『頼』は頼朝様の『頼』でもあるのです」と訴えますが、義時は「もう忘れろ」と・・。

気が付くと傍らには山積みのきのこ・・。
義時が「このきのこは」と尋ねると、泰時は「初にあげたら、全部突き返されました」と。あーあ・・

 

(呪詛がバレちゃった)

時政とりくに呪詛を頼まれた阿野全成は、木人形を作り、部屋に籠もって呪文を唱えています。
妻の実衣は何が起きているのか不安で部屋を覗きますが、すぐに叱られます。
旦那のこの行動に不安に思った実衣は、義時に相談します。それを聞いた義時は、時政とりくに訪ねます。
義時:「全成殿は呪詛をかけているのでは?」
時政は最初はとぼけますが、すぐにバレてしまい義時は呪詛をやめるように強く求めました。

一方、頼家・・。
善哉に逢いに来た頼家ですが、せつが途中で待っていました。せつは頼家に「嫡男は
善哉様で結構。私はただ、あなた様とお話がしたいのです。私と一幡をお側においてほしいのです。比企は関わりございません!そういう者もおるのです。それも退けては、鎌倉殿は本当にお独りになってしまいます。鎌倉殿をお支えしとうございます」と訴えます。けなげだなあア・

(頼家征夷大将軍に)

1202年7月。
頼家は征夷大将軍に任官しました。これで鎌倉殿としての肩書は万全です。
時政とりくは、呪詛の効果が無かったと全成を責め立てます。
攻められた全成は、「鎌倉殿の髪の毛を手に入れてきます。」とその場を離れます。

 

(古井戸)

全成は庭に潜んで蹴鞠をしている頼家を見ていました。
そこへ義時がやってきます。
頼家は義時に「鞠を蹴っている間は、心が落ち着く。」と言い義時に鞠を渡しました。
義時は鞠を蹴りますがうまくいきません。
義時は頼家に「頼朝様は人を信じることをなさらなかった。お父上を超えたいなら、人を信じることから始めてはいかがでしょう?」とアドバイスをします。
そこへ蹴鞠の指南役である平知康が来て古井戸に腰を掛けます。
頼家は「わしは、一幡を跡継ぎにする。父上が母上と手を携えてこの鎌倉を作ったように、せつとなら鎌倉をまとめていけるような気がする。私は弱い。信じてくれる者を頼りたい。」と義時に伝えます。

そして平知康に 「わしはもう蹴鞠に逃げることはせぬ。お役御免。ご苦労」と鞠を蹴りました。知康は鞠を受け取りますが、体制を崩して古井戸に落ちてしまいます。
さらに井戸に落ちた知康を救助しようとして、頼家も古井戸に落ちてしまいます。
頼家と知康の2人が井戸に落ちてしまい2人が握っている縄を義時が1人で持っていましたが、体力がもたず縄が切れそうです。
そこへ、隠れていた全成が駆けつけ、井戸の中に身体をのりだし手を伸ばします。その手をつかみ頼家、さらに知康も助け出されました。
頼家は「叔父上がいてくださって、命拾いしました。」と言い、全成が頼朝に似ていることに気がつき「まるで父と話しているようです。」と言います。全成は「こうして見ると、かわいい甥っ子だな」と。叔父と甥の微笑ましいシーンです。

 

(1つの木人形)

その後、全成は自宅に戻り、実衣に木人形を見せて頼家に対し呪詛をしていたことを
話します。
全成は、呪詛をした理由を聞かれ「お前の喜ぶ顔が見たかった。千幡が鎌倉殿になれば、私達の立場も上がる。お前にも少しはいい思いをさせてやれる。」と。なかなかいいですねええ、
実衣は、この呪詛がバレないように木人形をすべて回収するように言い、全成も「すべて回収した」と答えます。
そりゃそうですよね、将軍を呪詛した証拠が見つかればこれはもうアウトですから・。
無事回収した思われた呪詛の木人形・・・しかし・・
床下には、回収し忘れていった木人形が1体だけ残っていたのです・・・。

 

うーん、このラストはホラー映画そのもの・・・怖い終わり方・・・

これはもう次に全成が仕打ちを受けるのは必至!鎌倉がまた揺れます。