祖国や故郷のために自らの命を捧げられた先輩方に対し感謝と追悼の想いを込め、
鹿児島をおとずれ特攻基地に足を運びました。
本土決戦に備え鹿児島県桜島には、
上陸する米軍を迎えうつ
第五特攻戦隊の司令部がありました。
(沖縄の次は鹿児島か?鹿児島上陸を防ぐために)
太平洋戦争末期、1945年(昭和20年)6月、沖縄が米軍の手に落ち、沖縄と距離的に
近い鹿児島では、いよい米軍による上陸が始まるのではないかと危惧し本土決戦に備えます。
実際、アメリカ軍は1945年(昭和20年)11月1日に陸軍の第6軍57万人(戦闘要員34万人と支援要員23万人)が、宮崎県の宮崎海岸、鹿児島県の志布志湾および吹上浜の3地点から上陸して南九州を占領するオリンピック作戦を計画していました。
(桜島海軍基地 第5特攻戦隊の司令部)
米軍上陸阻止のため海軍は1945年(昭和20年)4月から7月にかけて、佐世保鎮守府部隊の第4海上護衛隊を改編し第5特攻戦隊を編成しました。第5特攻戦隊の司令部が桜島基地にあり、ここには特殊潜航艇蚊龍、回天、震洋など主に海上特攻兵器が配備されていたようです。また魚雷などの武器・弾薬などもの保管室や動力室がありました。
今でもその一部を見ることができます。
このアーチの先からトンネル状に基地が広がります。
桜島海軍基地跡は、濠の高さ・幅はともに2~3m程のトンネルが網の目状に張り巡らされていて総延長は約650m。これはすべて手掘りで作られています。広大で壮大な基地です。
また、この近くには通信施設もあり、佐世保鎮守府や南九州一帯に配備された各突撃隊との連絡を行っていました。
【鹿児島県観光連盟公式HP 桜島海軍基地】
<<桜島海軍基地への行き方>>
もし終戦を迎えるのが遅れたら。。。
ここから震洋や回天などが出撃したかも知れません・・