日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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【鹿児島の特攻隊関連施設を巡る②】 海上特攻をした戦艦大和殉職鎮魂の碑

 

 

祖国や故郷のために自らの命を捧げられた先輩方に対し感謝と追悼の想いを込め、
鹿児島をおとずれ特攻基地に足を運びました。

鹿児島県枕崎市の平和祈念展望台には、
戦艦「大和」をはじめ、
沖縄海上特別攻撃

向かった第二艦隊の「殉難鎮魂之碑」が
あります。

 

(殉職鎮魂の碑)
平和祈念展望台には、戦艦大和の沈没50周年にあたる1995年(平成7年)4月に建立された戦艦大和などの殉難鎮魂之碑があります。

 

 碑の前には、東シナ海が広がり、戦艦大和は北緯30度43分、東経128度04分、枕崎市の西南西約200kmの沖合、水深345mの海底で眠っています。


(世界最大の戦艦)

戦艦大和は、直径46センチの巨大主砲を備えた大戦艦です。
大和の建造が計画された当時は、大戦艦主義で、大きな砲弾を遠くまで発射する大戦艦が、各国の海軍の主力艦隊でした。広島県の呉海軍工廠で建造され、1941年(昭和16年)12月16日に完成。全長は263メートル、最大幅は38.9メートル。射程42キロの主砲9門を備え、当時は「世界最大の戦艦」と呼ばれました。

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大和に3基9門装備されていた46cm砲は、全長1.95m、重量1740kgm身長175センチのおっさんが横に並んでもこの通りです。
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しかし大和が完成した時、時代は、大戦艦から航空機の時代へと代わります。

 

(沖縄への海上特攻)

1945年(昭和20年)4月5日、大和に海上特攻隊命令が下ります。目的地は米軍が上陸を開始した沖縄でした。

4月7日午前8時40分、大和は米軍の航空機の編隊を確認し12時34分に射撃を開始しました。しかし、数多くの米軍機からの攻撃を受け、およそ2時間後の14時すぎに沈没しました。(沈没時間には諸説あります)乗員約3300人のうち生還者は276人です。
戦艦大和沈没に関しては下をクリック】


戦艦大和殉職鎮魂の碑への行き方>>

枕崎駅から車で10分 火之神公園内
住所:鹿児島県枕崎市火之神岬町

 

時代に取り残され水上特攻をした戦艦大和・・。
勝ち目のない戦いを強いられた乗組員の方々の
御冥福をお祈りします。