【鹿児島の特攻隊関連施設を巡る①】
特攻基地慰霊の旅・・
祖国や故郷のために自らの命を捧げられた先輩
に対し感謝と追悼の想いを込め、
鹿児島をおとずれ特攻基地に足を運びました。
今回紹介するのは
鹿児島県の海軍第125震洋隊聖ヶ浦基地です。
(海軍第125震洋隊聖ヶ浦基地)
鹿児島県南九州市知覧町の国道226号線沿いにある海沿いの公園・聖ヶ浦(ひじりがうら)ポケットパーク。
ここは太平洋戦争末期に、海軍第125震洋隊聖ヶ浦基地が置かれていました。
(震洋とは?)
震洋は、木造のボートにトラックのエンジンを装備し、艦首に250キロ爆弾を積んだまま敵艦に体当たりをするモーターボート=特攻兵器です。
震洋のスピードは時速42kmほど。「震洋」の名前は「太平洋を震撼(しんかん)させる」から由来していると言われています。
震洋の基地は全国に114ヶ所あり、中国・台湾・フィリピンまで含めると、146ヶ所に
作られました。
距離的に南洋に近い鹿児島県内では、坊津、片浦、野間池、長崎鼻、喜入など合計18ヶ所に震洋の基地が作られました。
なお、アメリカの資料によると、終戦まで連合国の艦船の損害は4隻で、一方震洋の
戦死者は2,500人以上であると言われています。
(本土決戦用として)
聖ヶ浦は、薩摩半島の枕崎と指宿のちょうど中間の地点にあるため、米軍が本土上陸する場合には、ここになるのではないかと予想されました。
そのため、迎え撃つためにこの地に震洋の基地が設けられました。
実際に震洋の訓練が行われていた聖ヶ浦に降りてみました。訪問したときは引き潮でした。
静かな入り江です。波の音と風の音しかなく淋しいくらいです。
ここ聖ヶ浦は、幅100~150m、奥行約400mの細長い入江で敵に見つかりにくく、またすぐそばに幹線道路があるため輸送にも適していることが推測されます。
日々特攻の猛訓練が行われた海辺を見て、特攻員たちはどんな気持ちだったのかと思いをめぐらせました。
震洋には一型艇と五型艇がありますが、海軍第125震洋隊聖ヶ浦基地に配置されたのは2人乗りの五型艇です。
五型艇は、全長6.5m、全幅1.86m、全高0.9m、トヨタ特KC型ガソリンエンジンを2個搭載し、馬力は134HP。250kg爆装(1個)、ロサ弾(2個)、13mm機銃(1個)搭載し、最高速度は27ノットでした。
この聖ヶ浦で、震洋の隊員 180 名は、体当たり攻撃の厳しい訓練を日々続けていました。しかし、幸いなことに一度も実践で出撃することなく、終戦を迎えています。
<<海軍第125震洋隊聖ヶ浦基地への行き方>>
車でしか行けません、鹿児島中心部から車で約1時間です。
住所:鹿児島県南九州知覧町別府 聖ヶ浦ポケットパーク
首都圏上陸に備え千葉県にも震洋基地が作られました。
以前、震洋の基地跡や宿舎にも訪れています。
その模様はコチラをご覧ください。
祖国のために命を捧げようと訓練された先輩方に
感謝と追悼です 合掌