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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ネタバレあらすじ 第32話「災いの種」


鎌倉殿の13人第32話「災いの種」の視聴率は11・8%。前回より0.3%ダウンです。
頼朝死後、鎌倉が揺らいで権力闘争が起きています。では「鎌倉殿の13人」の第32話のあらすじです。

 

(頼家の回復と言う大誤算)

比企と北条が激突し北条によって比企一族が滅びます。しかし、計画はそううまくいきません!
誰もがそのまま命を落とすと思い、「その後」をにらんで動いていたのに、肝心の頼家が息を吹き返し回復します。
本来なら鎌倉殿が死の淵から奇跡の生還をしたので祝福すべきことなのに、誰も歓迎せず「計算違いだ」と当惑するばかり・・。

すでに頼家の妻・せつの実家・比企一族は滅ぼされ、頼家の妻・せつは善児の弟子トウによって殺され、息子一幡の安否は不明・・なんたることよ!!
この真実を誰が頼家に話すか、周囲が混迷します。
何も知らない頼家が「せつに会いたい。なぜ顔をださぬ?」と言うと北条時房が、せつも一幡も比企能員もみんな流行り病にかかっているので会えない、とその場しのぎの
ウソを言います。
さらに頼家は、比企の館に行くと言いますが、時政が病み上がりの体に障るのでやめた方が良いと強引に止めます。もうみんな必死です。

(一幡の行方・・)

一方、義時は尼御台・政子に、命は助けると約束していた頼家の息子の一幡が、比企一族との戦闘で死んだことを告げますが、政子はこれが嘘であることを見破ります。
すると義時は冷たく言います。「一幡様にいてもらっては困るのです!」・・何と冷酷な義時!!
これを聞いた政子は、このままだと息子・頼家の命が危ないと、頼家に会って何が起きたかを伝えることにしました。

 

(母からの悲しい知らせ)

母政子から真実を聞かされた頼家は大きなショックを受けます。そりゃそうでしょ、
自分が病気で意識を失っている間に妻や息子、妻の家系が滅んだのですから、こりゃ
大ショックです。
政子は、頼家にはもう1人善哉がいて、彼は無事だからとなぐさめますが相手にされません。
燃え果てた比企の屋敷をこの目で見た頼家は「北条をわしは絶対に許さん!お前もだ!」と強い言葉で怒ります。

 
(時政を殺せ!)

頼家は、和田義盛仁田忠常を呼び、北条時政の首を取れとの命令を下します。どうしたらいいか迷った和田義盛は、北条館を訪れ、時政にこのことを告げました。

 

 (三代将軍実朝への布石)

京の後鳥羽上皇から、千幡を征夷大将軍に任ずる宣旨と共に、「実朝」という名前が与えられます。
さらに朝廷と鎌倉をつなぐ京都守護の職には、時政の娘婿・平賀朝雅が着任することも決まりました。鎌倉三代将軍の地盤固めが着実に進んでいます。こうなるともう頼家は不要な存在です。

 

 (去り行く比奈)

「比企家を根絶やしにする」と息巻いていた北条一族ですが、比企家出身の比奈が生きて北条義時の妻になっている現状に対し、義時の妹の実衣が強い不快感を抱いています。
そのような状況の中、比奈が義時に離縁を申し出ました。比企は比奈の出身ですが、
義時の妻と言う立場上、比企一族を滅ぼす手助けをしてしまったことに対し心を痛めていました。そして比奈は義時のもとをさります。
義時が比奈と結ばれるときに2人は起請文という誓いを交わしましたが、その誓いを破れば義時は地獄に落ちるというのです。比奈は、そんな義時の姿は見たくないと言うので比奈自ら離縁を申し出たのです。
比奈は出かける義時の背中を見つめ「行ってらっしゃいませ!」と笑顔で見送ります。
ナレーションではその後の比奈は、鎌倉を離れて京に移り、ここで生涯を終えると伝えます。 比奈ちゃんさようなら!
比奈、そして前妻の八重、2人ともいい妻だったのに義時のもとを去っていきますねええ。

 

(生きていた一幡) 

義時の息子・泰時は、父義時に、比企能員らと一緒に討つはずだった頼家の長男・一幡を匿っていると報告します。北条泰時は比企の家から一幡を連れ出し、父の言いつけを守らず、一幡を生かしておいたのです。
しかし、時の流れは、実朝将軍体制で動いています。一幡が生きているのでは、都合がよくありません。
そこで義時は一幡を処分しようと善児が住む小屋に向かいます。
そこで一幡は、善児の弟子・トウと仲良く楽しそうに過ごしていました。そこには善児が作った“ブランコ”があり、善児は一幡が乗ったブランコを推し楽しそうです。実にいい感じです。
そんな雰囲気をぶち壊す義時の一言「あれは生きていてはいけない命だ」。すると善児は「できねぇ」と首を横に振ります。すかさず義時が「千鶴丸と何が違う」と問うと
善児は「わしを好いてくれている」と答えます。
それを聞いた義時は「似合わないことを申すな」と言います。その言葉で善児は意を決したのか、刀を抜き、一幡のもとへ。しかし、善児童を信じ切っている一番はブランコに乗って手を振ります。その光景にあの善児の目に涙!!。
躊躇する善児を前に義時が歩き出し一幡を切ろうと刀を抜こうとします。ここで異変を察知したトウが一幡と義時の間に入り一幡の手を引いて連れ出します。トウの動きも素晴らしい!
すれ違いざまに一幡はトウに「善児、なんで泣いてたの?」と尋ねます。
やがて決心した善児は、もう不要とばかりにブランコの縄を切り、小屋へ戻ります。
地面には放り出されたブランコがもう役目は終えたとばかりに残っていました。
アサシン善児には慈悲の気持ち、義時には冷酷な気持ちが宿っています!!
アサシン善児と義時の心が逆になったのでしょうか?
そして殺害シーンがないまま、一幡は命を落としたと思われます。
【アサシン善児暗殺リストは下をクリック】


(仁田の自害)

和田同様に頼家に時政を討てとの命令を受けていた仁田常忠は、どうしていいか悩み、葛藤し、ついには自害してしまいます。
義時は、頼家の一言で忠義の武士が死んだと頼家を非難します。
そして今後同じような事を繰り返さないように、頼家をどうするのか考え、「頼家様には鎌倉を離れていただくしかない。伊豆の修善寺で、仏の道を極めて頂きます。」と
政子に伝えます。
1203年9月29日、頼家はわずかな家人と共に、伊豆にある修善寺へ出立しました。幽閉です。

 

(三代将軍実朝誕生、そのとき公暁は・・)

そのころ、鎌倉の御所では三代将軍・源実朝が誕生していました。まだ幼い実朝が三代鎌倉将軍となりました。
一方、頼家の正妻であるつつじとその息子の善哉は、三浦義村で暮らしていました。
すると善哉の前に老婆が現れ、こう言います。「北条を許してはなりませぬぞ。あなたの父・頼家を追いやり、あなたの兄・一幡を殺した北条を!あなたこそが次の鎌倉殿になるべきお方。それを阻んだのは、北条時政、義時、そして政子。あの者たちを決して許してはなりませぬぞ。北条を許してはなりませぬ!」。こう発言した老婆は比企尼でした。

※ちなみにこの比企尼役の女優草笛光子さんは1933年(昭和8年)生まれで今年2022年(令和4年)は89才!!高木ブーさんと同じ年ですよ!!

 

勝手に人を殺し、ダマし・・鎌倉の人間関係や思惑がドロドロ。。次回もまた悲惨な
出来事が起きそうです。