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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ネタバレあらすじ 第33話「修善寺」

第33話「修善寺」の関東地区の平均世帯視聴率は10・2%。裏番組が日本テレビ24時間テレビ45」の大盛り上がりのチャリティーラソンだったからこの視聴率はまあ、仕方ないか・・。

なおオンエア中から「#鎌倉殿の13人」は18話連続となるツイッターのトレンド世界1位!皆の関心がわかる。
それでは第33回「修善寺」のあらすじを見てみましょう!!

 

(実朝政権誕生で力をつける北条時政
頼朝の長男・頼家が修善寺に送られ、次男・源実朝が3代鎌倉殿となり新体制が始まります。
そのため、源実朝には、源氏の棟梁で・征夷大将軍・鎌倉殿の継承の証となるドクロが渡されます。まあ、これ気持ち悪いもんですねえ。実朝はまだ子供だからこんなドクロは余計気持ち悪いでしょう・・・。

 

1203年、北条時政は将軍を補佐する執権別当に就任します。これで時政は実質上の鎌倉幕府ナンバー1です。
時政の妻・りくは実朝の正室を京から迎えることを計画し、娘婿・平賀朝雅を経由で
後鳥羽上皇に願い出ます。皇室との結びつきを固めようという考えです。
頼家追放後着々と力をつけていく北条氏。。しかし、御家人たちは頼家追放後に権力を振るう姿が目に余るようになった北条を敬遠します。

(頼家の思い)

一方、病気で意識不明の重体になっている間に妻や子供を殺され自身も将軍職を解かれ伊豆・修善寺へ追放された頼家は、当たり前ですがこの処遇を良く思っていません。
やってきた三浦義村に「軍勢を率い、鎌倉を火の海にし、北条の者どもの首をはねる。このままここで朽ち果てるつもりはない」といい、力を貸してくれと頼みますが拒否されます。まあそうでしょう。
でも幽閉されてもこのような動きを見せることで要注意人物としてマークされ、もう
邪魔だから殺そう・・となるんですよねえ。

 

(実朝と和歌)

北条政子は次男の実朝には政治より和歌をやらせたいと思い三善 康信に「実朝に和歌を教えて欲しい」と頼みます。しかし、政子の妹で実朝の乳母の実衣はこれに反対します。実衣は実朝は和歌など学ばず、しっかりと鎌倉殿としての努めを果たして欲しいと考えています。

京都から来た源 仲章は実朝に儒学の教育を始めます。また三善 康信は実朝に和歌を教えます。彼は実朝が和歌に親しみやすいようにユーモアを交え教えます。しかし実衣と源 仲章がやってきて三善康信を否定し、面目丸つぶれです。
しかしこの和歌との出会いが、のちに「金槐和歌集」へとつながります。


(頼家を暗殺せよ!)

頼家は、幽閉されたとはいえ、自分が産んだ子供。。。頼家が心配で母・政子が
修善寺に赴き会いに行きますが、頼家は北条を拒否して政子を門前払いにします。

そんな源頼家のもとに畠山重忠と足立 遠元が訪れます。
2人は「武蔵の国」を治めているのですが、頼家は北条家が「武蔵守」を狙っていると伝え2人を扇動するなど反北条の動きをみせます。
しかしそれは畠山重忠がそれを北条義時に話してしまいます。
さらに頼家が朝廷に「北条家追討の命」を出すように願いを出そうとしていることが
発覚し、その証拠となる「北条追討の院宣を願った扇」を八田知家に発見されます。
これらを知った義時達は頼家を討ち取ろうと決めます。万事休す!

(善児を責めることができない義時)

頼家暗殺を決意した義時は、殺し屋善児のもとへ行きます。義時は、家を留守にしていた善児の室内で、亡くなった兄の遺品を発見し,善児が兄・宗時を殺したのだということに気がつきます。

一緒にいた時房は「自分が善児を討つ」と言いますが、義時は善児は必要な男だから
討つのをやめるように言い、さらに、「私に善児を責められようか」と語ります。
義時は善児同様に、いろんな人を殺害してきました、そして、善児が心を許していた
一幡を殺すように命じたのは、この義時です。うーん複雑な心境ですねえ。

その善児の家の庭には、暗殺をためらったものの結局は殺害した一幡の墓がポツンと
ありました。この墓がちらっと映るのもいいですねええ。伏線です。


(頼家様逃げて下さい)


義時から頼家を討つ話を聞いた息子の泰時は、修善寺の頼家の元へ行き、頼家に修善寺を脱出することを勧めますが、頼家は「いずれ自分は殺される」と言って動きません。

 

そして泰時に「今日は猿楽の舞があるから見ていけ」と勧めます。
夜、猿楽が始まりますが、横笛を吹く猿楽衆の中に、1人だけ指の動かない男がいました。泰時がその異変を察知し、その不審な人物がつけた紙で作った面を取ると、善児でした。

義時の命を受けたアサシン善児が忍び込んでいたのです!

すぐに乱闘になりますが善児は「あんたは殺さないようにいわれている」と泰時を圧倒するも、とどめを刺しません。乱闘する中には善児の愛弟子・トウの姿もあります。

 

(対決!頼家とアサシン善児)

善児は逃げる頼家を追いかけ、頼家と善児の一騎打ちが繰り広げられます。
ここで頼家がアサシン善児と互角にやりあいます。かつては狩りもまともにできなかった頼家の成長です。
乱闘のさなか、善児は頼家が紙に書板と思われる「一幡」の文字を目にし、一瞬ひるみます。善児に隙が生まれた瞬間です。その隙をねらい、頼家が善児を切り「わしはまだ死なん!」と叫びます。
そして頼家が善児にトドメを刺そうとした時、善児の弟子のトウが現れ頼家を背後から刺し、頼家は絶命します。頼家の死。享年23。なんとも悲しく短い一生です。

 

(アサシン善児死す!)

外に出て雨にうたれながら頼家に斬られた腹部に手をやり、苦しそうにしている善児。その善児の背中を何者かが刀で刺します。それは善児の弟子、トウでした!
トウは「ずっとこの時を待っていた」「父の敵」と言い、さらに正面から善児を刺します。さらに倒れる善児に「母の仇」とつぶやきながら、短刀を振り下ろし、善児の息の根を止めました。
おおおおお!!!!何たる衝撃の出来事!!
両親の仇をとったトウの目には涙が浮かんでいました。

 

善児は、かつて修善寺に幽閉された源範頼を殺害するときに、範頼と一緒に野菜を作っていた少女トウの両親も手にかけています。(第24回「変わらぬ人」)。あれから約7年、場所はあのときと同じ修善寺でトウはかたき討ちで師匠を殺害します。

 ※「吾妻鏡」には、1204年7月19日の記事に「西の刻に伊豆国の飛脚が鎌倉に到着した。『昨日十八日に左金吾禅閤(源頼家)が当国の修禅寺で亡くなられました』と申したという」と短く記されています。

 

アサシン善児。。数々の暗殺を静かにしかも確実に実行してきたこの男が、最後を遂げます。

【「アサシン善児~その全暗殺リストと終焉~」は
下をクリック】

 

今回のタイトルは、「修禅寺」、これを深読みすると「終・善児」
これは偶然の一致か?意図したものか??

 

こうして第33話も終了。今回も壮絶なストーリーでした。
アサシン善児の弟子トウはアサシンの道を歩むのか?鎌倉武士のこのドロドロした人間関係・権力闘争はまだまだ続きそうです。。