特攻基地慰霊の旅・・
祖国や故郷のために自らの命を捧げられた先輩方に対し感謝と追悼の想いを込め、
鹿児島の特攻基地に足を運びました。
今回紹介するのは日本で最も多く特攻隊員が
飛び立った海軍鹿屋基地の慰霊塔がある
鹿屋市小塚公園です。
(鹿屋航空基地特別攻撃隊戦没者慰霊塔)
鹿屋市の小塚公園に立つ鹿屋航空基地特別攻撃隊戦没者慰霊塔。
太平洋戦争中に海軍鹿屋基地から出撃し命を落とした特別攻撃隊員908名の御霊を祀るために鹿屋市が1958年(昭和33年)3月20日に建立したものです。
塔の高さは11メートル、慰霊塔は攻撃隊が目指した沖縄に向いて立っているそうです。
塔の上には南海の空に向かって飛び立とうとしている翼を広げた平和のシンボル、白鳩がのっています。
慰霊塔の銘板には特別攻撃隊戦没者908名の氏名階級、出撃年月日、特別特攻攻撃隊名、出撃者数が刻まれています。
この塔では毎年4月に慰霊祭が行われています。
(海軍鹿屋航空基地とは)
戦時中、鹿屋には3つの飛行場(笠野原・鹿屋・串良)がありましたが、鹿屋飛行場はその主力基地でした。
1936年(昭和11年)4月1日に鹿屋に海軍鹿屋航空隊が開隊し、その歴史がはじまります。
日米開戦の年となる1941年(昭和16年)の2月には、ここで真珠湾攻撃の作成計画が
練られた「鹿屋会談」が行われています。
戦局が悪化した1945年(昭和20年)の2月10日には、鹿屋基地に各基地の特別攻撃を
指揮する第五航空艦隊司令部が置かれました。
そして同年3月11日、鹿屋基地から初めて特別攻撃隊となる梓特別攻撃隊の銀河24機が出撃します。
この銀河が目指すは、ウルシー環礁の米海軍第58機動部隊。これは鹿屋から南南東におよそ2300kmで、片道9時間かかる飛行です。
この特攻でウルシー環礁にいた空母ランドルフが沈没しています。
梓部隊の「梓」は「梓弓」で、巫女が持つ邪悪を打ち払う弓のことです。
鹿屋航空基地は現在、鹿屋航空基地になっていて、資料館が併設されています。
また鹿屋基地からは3月21日に 人間爆弾桜花の神雷部隊が初出撃しています。
桜花・神雷部隊についてはココをクリック。
終戦までの間、鹿屋基地からは日本で最も多い908名が特攻隊員として出撃し亡くなられています。陸軍の知覧基地からは439名、海軍の国分〔鹿児島〕からは427名の方が散華されています。
鹿屋基地は、戦後は海上自衛隊の鹿屋航空基地として使われています。
そのかつての鹿屋基地を見下ろす丘にある小塚公園に特別攻撃隊戦没者の慰霊塔がたっています。
【鹿児島県観光サイト公式HP
鹿屋航空基地特別攻撃隊戦没者慰霊塔】
車で行く場合:笠野原インターから垂水方面へ、国道220号・バイパス・県道550号を
経由して、約15分。
住所:鹿児島県鹿屋市今坂町12560
祖国のために命を捧げられた先輩方に敬意と感謝を抱き
追悼を行います。