直径4m、重さ5トンという世界最大級の巨大タイヤ!
九州新幹線・鹿児島線 JR久留米駅の東口ロータリーにはこの巨大なゴムタイヤと、ゴム産業発祥の地碑があります。
(スタートは、はきもの産業)
福岡県久留米市。
昔から商業と街として栄えた久留米市は、日本の履物・ゴム産業発祥の地と言われています。
履き物とゴム産業はつながっています。
1873年(明治6年)、当時23才の倉田雲平が久留米市米に「つちやたび店」を開きます。当時は販売される足袋の質が良くない時代でしたが 雲平が作る足袋は質が良く評判になりました。
【久留米から世界へゴム産業発祥の地案内板より】
1895年(明治28年)頃には「つちやたび店」は各地に特約店もできて、九州でトップ
クラスになっていました。これがのちのムーンスターです。
【久留米から世界へゴム産業発祥の地案内板より】
(足袋屋さんから世界のタイヤへ)
1892年(明治25年)、仕立物屋をしていた「志まや」が足袋製造業を専業にします。
そして「志まや」は、農家や大工、職人向けに足袋の底にゴム生地を張り合わせた
「地下足袋」を開発し、これが大ヒットします。
またアイディアもあり東京でも自動車が300台程度しかなかった時代に、九州で最初に自動車を購入し、宣伝のために九州中を走り回って足袋のPRを行いました。
こうして事業が成功し規模が拡大します。現在のアサヒコーポレーションです。
【久留米から世界へゴム産業発祥の地案内板より】
さらに「志まや」は、ゴム製品製造のノウハウを活かしてタイヤ製造にも乗り出します。これが独立し現在のブリジストンとなります。
(世界のブリジストン)
現在では世界150か国以上の国で事業を展開しているブリヂストンは、1931年(昭和6年)3月に福岡県久留米市に資本金100万円で設立されます。
【久留米から世界へゴム産業発祥の地案内板より】
ブリッヂストンという名前でありますが、将来は海外に輸出して外貨を稼ぎ成功するには、会社名を西洋風にしたほうが良いと考え、創業者の「石橋」氏の名前を英語にしてストンブリッヂとしますが、言いにくいのでさかさにして「ブリッヂストン」にした
そうです。
この時期、同じようにビジネスに取り組んだ人もいたようですが、いつの時代も
知恵とアイディアで精進する人が成功をつかむようですね。
JR久留米駅前にある「久留米から世界へゴム産業発祥の地」にその経緯が詳しく書かれています。
「久留米から世界へゴム産業発祥の地」にはこう書かれています。
日本のゴム産業の発展と技術革新に貢献
久留米市は、ゴム産業を中心に栄え、現在も多くの関連企業が立地しています。その代表には、久留米市を発祥の地とするムーンスターやアサヒコーポレーション、ブリヂストンなどの企業があり、それら企業は日本のゴム産業の発展と技術革新に貢献してきました。
久留米市でのゴム産業の始まり
1873年(明治6年)、倉田雲平は半物と軽視されていた足袋の製造に注目し、「つちやたび(現在は「ムーンスター」)」を創業した。1892年(明治25年)、石橋徳次郎が創業した仕立物や「志まや」を石橋重太郎・正二郎兄弟が継承。石橋兄弟は足袋専業に踏み切り、足袋を均一価格で販売するなど当時としては斬新なアイディアで成長し、1918年(大正7年)に「日本足袋(現在は「アサヒコーポレーション」)」を設立した。
1923年(大正12年)に「日本足袋」と「つちやたび」は底にゴムを貼った地下足袋の販売を開始し大きく飛躍、両社はゴム製品製造業へ移行する。その後、ゴム靴の生産や海外への輸出を始め、その成長はめざましいものであった。
1930年(昭和5年)、「日本足袋」は自動車用タイヤの試作に成功。翌年、石橋正二郎は久留米市に「ブリッヂストンタイヤ(現在は「ブリヂストン」)」を設立し、その直後より自動車用タイヤの輸出を開始した。
【久留米公式観光サイト ゴム発祥の地】
<<ゴム産業発祥の地に行くには>>
JR久留米駅東口 ロータリー
住所:福岡県久留米市城南町2-21JR久留米駅
いずれも超1流の企業がここ久留米から生まれました!