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ここには古代の迎賓館だった福岡鴻臚館(こうろかん)が
ありました。
(古代の迎賓館:鴻臚館)
鴻臚館(こうろかん)は、始めて耳にする方もいると思いますが、飛鳥・奈良・平安時代に中国大陸や朝鮮半島からの使節団をもてなしていた迎賓館のことです。
また、ここは遣唐使や遣新羅使の宿泊所でもありました。
遣唐使は当時の唐の進んで文化・学問を吸収し日本に役立てようという志でしたが、
当時は航海技術も船の性能も今とは違うため、海を渡ると言うことが簡単なことでは
なく危険を伴う物でした。
鴻臚館跡にある鴻臚館跡展示館に掲げられた遣唐使の航路図です。
日本周辺を見やすく拡大します。福岡鴻臚館に立ち寄っているのがわかります。
(遺跡がある唯一の鴻臚館)
その鴻臚館は平安京、大阪・難波、そして九州福岡に設けられました。
現在、福岡の鴻臚館だけが、遺跡が確認されていて、国指定の史跡にもなっています。
福岡の鴻臚館は当初は「筑紫館(つくしのむろつみ)」と呼ばれ、「日本書紀」には
飛鳥時代の688年に新羅国使全霜林を筑紫館でもてなしたという記事があります。
これが初めて文書に登場したものです。
平安時代には、唐の外交を司った「鴻臚寺(こうろじ)」にならい「鴻臚館」と改称します。「鴻」は大きい、「臚」は伝えるという意味です。
資料の上では、842年の太政官符にはじめて名前が出ます。
鴻臚館は、9世紀前半までは、唐や新羅の使節を迎え、ここで接待や宿泊をさせる迎賓館でした。
また、同時に遣唐使や遣新羅使が旅支度を整える対外公館でもありました。
空海や最澄も、ここに泊まって唐へ行ったそうです。
100人から500人の人が、2~4艘の船で出航するのですが、航海の条件として必要な北東の風を待って、何十日も鴻臚館で過ごすこともあったそうです。
唐からの帰りでも、唐の書物や特産物などとともに鴻臚館に泊まったのではないかと推測されます。
やがて遣新羅使、遣唐使も廃止され、唐の国使も779年を最後に来なくなります。
それに代って、唐、宋、新羅の商人たちが姿を現すようになり、鴻臚館は貿易商人を
接待する宿泊場、さらに国や朝鮮半島との貿易の舞台へと変わっていきます。
そのように対外貿易の拠点として反映した福岡の鴻臚館は400年以上、大陸や朝鮮半島の窓口として重要な役割を担ってきました。
しかし11世紀後半にはいるとその拠点が鴻臚館から博多に移ります。
(鴻臚館跡展示館)
鴻臚館跡には鴻臚館跡展示館がありました。入場料は無料です。
鴻臚館跡展示館では、発掘当時の遺構や出土品が展示されていました。
また遣唐使の歴史、ルート、さらに鴻臚館を復元した建物などを見ることができました。
【福岡市経済観光文化局公式HP 鴻臚館跡】
<<鴻臚館への行き方>>
市営地下鉄「赤坂駅」下車、徒歩7分、
西鉄バス「平和台鴻臚館前」「赤坂3丁目」下車、徒歩7分
福岡市中央区城内1
福岡鴻臚館・・・・今は何もない原っぱですが、
かつてここで外国の要人をもてなしたり、
国際貿易が盛んだったんだなあとしみじみ感じました。