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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ネタバレあらすじ 第39話「穏やかな一日」

 

第39話は「穏やかな一日」。平均世帯視聴率は12・0%、第38話は11・7%でした。

確かにこの回はタイトル通り「穏やかな一日」で戦乱も陰謀もなく穏やかです、

しかし、今後の動乱の伏線、さらに人の感情の機微が至るところで見られます。

では、ストーリーを見ていきましょう。

 

(動き始めた2代執権北条義時

このドラマの主人公の北条義時は、前回、初代執権で色々と強引な振る舞いを行い、
混乱を起こしていた父・時政を伊豆へ追いやります。
そして二代執権に就任し、今後は御家人たちが謀反を起こさないようにと動き出します。
しかし、そのやり方には御家人達から不満の声も出てきます。

1208年、義時と後妻のえ、との間に男の子が生まれ無事成長していきます。この男子は、7代執権の後の北条政村です。のえのずるさやしたたかさが動作の1つ1つに見れます。今後この女性がどう動くのか気になります。

同じく1208年、鎌倉殿の源実朝は疱瘡にかかってしまい、一時は命の危機に瀕しました。この時代の疱瘡は難病ですが、実朝は生還します。
このとき義時は実朝にもしもがあれば、実朝の兄・頼家の嫡男で実朝には甥にあたる
善哉が跡を継ぐ事を考えていました。

回復した実朝ですが、顔に多少あばたが残ってしまいました。


(跡継ぎが出来ない)

政子と実衣は、実朝と千世との間に世継ぎの誕生がいまだないことを心配しています。
跡継ぎがいないと血が途絶えるからです。
実衣は側室を用意して、実朝と引き合わせますが、実朝は会ってすぐに断わります。


また、実朝は、子宝に恵まれないため、善哉を猶子(ゆうし)とします。

(解説)
猶子(ゆうし)とは実親子ではない二者が親子関係を結んだときの子。 漢文訓読では「なほ子のごとし」(訳:あたかも実子のようである)と読みます。

 

病気から回復した実朝に対し母親の尼御台・政子は、身体が弱い実朝が政に復帰すると体調を崩すのではないかと危惧します。

このような状況の中、義時は、今こそ北条が鎌倉幕府の中心に座るチャンス到来だと
考え「政は私が進めます。鎌倉殿にはそれを見守っていただく。兄上は、坂東武者の
頂に北条が立つことを望んでおられました。私がそれを果たします」と政子に宣言し
やる気満々です。
番組当初の戦闘でも怖がっていたあの弱々しい義時がいまや冷淡な策略家・謀略家になりました。

 

歌人実朝)

鎌倉殿の実朝は政に参加するものの、お飾り状態で、言われたままに花押を推すだけの人形です。
そんな日々に実朝は「私は役に立っているのか…」と悩みます。そりゃそうですよね。
存在意義が薄いんですから。。
そんな失意の実朝を義時の息子の泰時が励まします。
すると実朝は、自分が書いた和歌の一首を泰時に渡します。

この歌が今回のキーワードですよ。
さて、歌をもらった泰時ですが、当時の風習で返歌をしなければなりません。しかし、そう簡単にはいい歌が思い浮かばず困惑します。

その頃の実朝は、和歌の作り手として大きな評判を呼んでいました。

そのため当時の和歌の第一人者の藤原定家殿が歌の手直しをしてくれていました。

(解説)
藤原定家は、学校の授業で出てくる歌人。「新古今和歌集」の撰者の一人で、さらに「新勅撰和歌集」「小倉百人一首」の撰者でもある当時の超一流の第一線級の歌人であります。

 

さて、源仲章が義時のもとにやってきて「今後は、鎌倉殿のおそばで政を指南するようにと、上皇様に仰せつかりました」と言います。

実朝は三善康信に和歌の指南を受けていました。

 

「今朝みれば 山もかすみて 久方の 天の原より 春は来にけり」
(意味:今朝見ると、山も霞がかかり、大空から春はやって来たのだった)

 

これは源実朝金槐和歌集に詠まれている歌です。

 

さて、このように和歌の実力をめきめきとあげていく実朝ですが、源仲章が、実朝に
和歌を教えていた三善康信に対し、今後は実朝への和歌の指導を禁じてしまいます。
実朝は落胆します。

(上総介にしてほしい・・)

実朝がよく足を運んでいた御家人和田義盛が実朝の元にやってきまいた。
義盛は「わしを上総介(上総国国司)に推挙してほしい」と頼みます。
このころ和田義盛は、実朝の官職が「羽林」(うりん)なので、実朝に対し「ウリン」と親しく呼んでいました。
義盛と実朝は仲が良いようです。


その義盛が「上総介になりたい」と実朝に直談判したため実朝は政子に推挙したいと
相談します。

しかし「身内や仲がいいことを持ち出すものではない、もっと厳かなものだ」と拒否します。これにて却下!

ちょうど、棚を作りに来た八田知家が政子に「御家人たちは皆、苦々しく思っています。北条でなければ国司になれないのか」ともらします。
御家人たちの気持ちを聞いた政子は、鎌倉幕府の状況を知り戸惑います。

(守護の世襲制を交代制に)

そんな中、義時は、一部の御家人に権力が集中しないように、世襲だった守護を交代で担うように変えようと考えます。
政子は「そんなことをすると波風が立つのではないか」と心配しますが、義時は「二度と北条に刃向かう者が出ないように実行すると決意します。

 平盛綱誕生)
実朝からの歌に対する返歌に悩んでいる泰時のところに、父・義時が姿を現し「いささか疲れた」と横になります。
その義時の視線の先には鶴丸が見えます。
小さいときから北条に使えてきた鶴丸に対し「諱(いみな=名前のこと)をつけてやろうか。盛綱…氏もいるな。平でどうだ。源氏の世が安泰となった証だ」

当時、苗字をもらう事は非常に重要です。名前をもらった鶴丸は、義時に「御家人にしてほしい」と訴えます。御家人となれば単なる武士ではなく身分も上がります。
義時は、鶴丸が長年北条を支えてきた功労者だということを十分感じていたので、
「本日の切的の技競べに紛れ込め。そしてひときわ目立つ働きをしてみせよ」と言い
結果が良ければ実朝に御家人にすることをかけあってみようと考えます。

解説)切的(きりまと)とは遠く離れた小さな的を矢で射抜く武士の競技です。
弓矢の腕が問われます。

 

(変わっちまったよなあ)
義時は、義盛を呼び寄せていて「上総介の件は忘れてほしい」と告げ要望を却下します。
さらに今後は実朝に直談判で何か頼むことも「ウリン」と呼ぶのも禁じました。

このことに納得がいかない和田は「変わっちまったよなあ、鎌倉もお前も!」とセリフを吐出して行きます。
大江広元が義時に「和田殿は御家人の間で人気があります。慎重にかからなければなりませんな」と言います。

 

(二年ごとの守護)

三浦義村がつつじと善哉を連れてやってきました。
つつじと善哉を政子のところに案内したあと、義時と合流した義村は、義時から鎌倉の新しい構想を聞きます。
それは、守護を二年ごとにすることに改め、このことのよって御家人たちの力を削ぐという内容でした。
その会話で義村が「言っておくが、俺も相模の守護だぜ」と言うと義時は「だからこそ、真っ先に賛成してもらいたいんだ。ほかの御家人は何も言えなくなる」。まさに口裏合わせ交渉です。
この自分に不利となる義時からの提案に義村は承諾はしますが、それは形の上で有り、本心は不満で、義時が去ると怒りで床を殴りつけます。

庭で政子、つつじ、善哉が仲良くしていると、鎌倉殿の実朝が時房と共に姿を現しました。
そして、時房は善哉を誘い、実朝と三人で蹴鞠を始めます。
実に和やかな雰囲気です。

(私のやることに口をはさまぬこと)

その日、切的の技競べが行われました。弓でいかに離れた的の中心を射るかを競う勝負です。

この勝負で、泰時と組んだ鶴丸改め平盛綱が見事な腕前を見せ勝利します。
その後、義時は実朝に、平盛綱御家人にしてやりたいと提案します。

しかし実朝は、「それを許せば、子孫の代になって直参を企てるなど、のちに災いを
招く」と答え、義時の要望を退けます。

すると、義時は「どうやら私はもう要らないようです。伊豆へ下がらせていただきます」と駆け引きに出ます。
今や鎌倉の政を行い取り仕切る義時が、いなくなれば政が混乱します。
この嫌がらせと言えるやりとりで実朝は義時案に妥協するしかありません。
結局、盛綱を御家人にするのを許します。こう言うやり方非常に後味悪いですねええ。

義時は実朝に冷たくそして静かに「私のやることに口を挟まぬこと。鎌倉殿は見守ってくださればよろしい」と伝えます。いやあな雰囲気です。

(カミングアウト)

京都から鎌倉に来て鎌倉殿に嫁いだものの世継ぎができないことについて、千世(後鳥羽上皇のいとこ)は、実朝に側室を持つことを勧めます。
実朝は、「私には世継ぎを作ることができないのだ。あなたのせいではない。私は、
どうしてもそういう気持ちになれない」と千世に打ち明けます。

 

一方、なかなか返歌ができない泰時、その背後から仲章が歌を詠みます。

 

「春霞 龍田の山の 桜山 おぼつかなきを 知る人のなさ」
はるがすみ たつたのやまのさくらやま おぼつかなきを しるひとのなさ

(意味:春の霞ではっきりと姿を見せない龍田山の山桜の花のように、私もあの人に知られぬまま、もどかしい恋心を持て余している。ああ、あなたに会いたい)という感じでしょうか・・

 

で仲章が「これは恋しい気持ちを詠んだもの」だと言います。
んんん!!これは??!!! 男が男を好きになるボーイズラブの世界??!!

泰時は実朝の元へ行き、自分に送った歌は間違えて恋の歌を渡したのではないかと差し出します。
その瞬間の実朝の表情!!同性愛・ボーイズラブ失恋!!
実朝は自分の思いが伝わらない悲しい気持ちを抱きつつそれを泰時に悟られまいと冷静を取り繕います。
実朝は「間違えて渡してしまったようだ」といい他の和歌を詠みあげます。

 

「大海の 磯もとどろに寄する浪 破れて砕けて裂けて散るかも」

【現代語訳】
海岸の磯にとどろくばかりに打ち寄せる波、その荒波が岩にぶつかってくだけて、裂けて、細かなしぶきとなって散っていることよ。


この歌、聞いたことがありますよね。実朝の代表作「金塊和歌集」に収められた歌です。

この和歌の本歌と言われる歌が、「万葉集」に収録されている笠女郎(かさのいらつめ)が詠んだ
「伊勢の海の磯もとどろに寄する波恐(かしこ)き人に恋ひわたるかも」です。

これは笠女郎が、大伴家持に贈った24首のうちの一つで、「伊勢の海をとどろかせて寄せてくる波のように、畏怖を抱くほど立派なあなたを恋し続けます」という意味が
あるの恋の和歌です。
・・そう考えると実朝の心の中、そして改めて出した和歌の意味もよくわかりますね・・


公暁京都へ)

1211年9月22日、善哉は出家し公暁と改名し、修行のために京へ旅立ちます。

公暁はおばあさんにあたる政子に「園城寺の公胤僧正のもとで修業をしてまいります」
と挨拶をします。このとき義時が「お戻りになられた暁には、鶴岡八幡宮別当になっていただきます」と話します。

そして、京都へと向かう公暁を実朝、そして義村がそれぞれ別の場所から見送ります。
この公暁が鎌倉に戻る数年後、実朝、義村を巻き込む雪の鶴岡八幡宮の惨事がおきます。

こうして第39話も終了です。