古代の文字と言われるペトログラフ・・。
そのペトログリフが刻まれた石が
北九州市門司区の藤松にあるそうなので
行ってきました!!
(ペトログラフとは)
ペトログラフはギリシャ語で、ペテロ:peteroが、「岩」、グラフ:graphが、「文様や文字」の意味があります。つまりペトログラフは、古代人が岩石に刻んだ文字や文様の事です。
今から4000年前、メソポタミアを追放されたシュメール民族が海洋民族となり各地に散らばり、その地で岩にシュメールの神々の名前を彫って祈ったり祭祀を祭ったと言う説もあります。
このペトログラフが福岡県北九州市門司区の藤松という場所にあるというので、現地に向かいました。
今回は松藤市民センターにおられた、藤松町づくり協議会で藤松校区自治連合会の方に案内していただきました。
藤松ペトログラフは、道路の横にありました。石垣で囲まれた部分で地神墓(じこんぼ)塚と呼ばれるものがありました。ここにあるのです。
反対側、通路を背にして見てみます。
木の左側の石です。
石の正面にまわると
石の正面には「地神墓」の文字が刻まれています。
この「地神墓」の文字周囲に見えるキズのようなものがペトログラフだといいます。
ペトログラフの文字の部分をわかりやすく白く表示した写真です。
地神墓を囲む3つの部分が古代文字・ペトログラフだそうです。(この写真は許可を頂き「藤松ペトログラフ保存会15周年記念「藤松のペトログラフ2005」より引用させていただいています)
この地神墓のすぐ近くには顕彰碑があります。
それには1989年(平成元年)九月に地元の福岡県立大里高等学校の吉田信哲教諭(のちに日本ペトログラフ協会会長、ユネスコ国際岩石芸術学会日本代表、CMF国際大学特任教授・藤松ペトログラフ保存会指導顧問などを歴任)を中心とする同校考古学クラブの生徒によって発見されたものということが書かれています。
【現地石碑の文章】
ペトログラフの由来
此の祠の岩刻文字は、平成元年9月福岡県立大里高等学校吉田信啓教諭を中心とする考古学クラブの生徒諸君によって発見されたもので、二箇の立岩の内「地神墓」と漢字で刻られたその字の上と左右及び漢字の無 岩の背面漢字が渡来する遥か以前に刻られたと見られるシュメール古拙文字が検出され、その後村中川源流に近い清正公堂聖域内や村中川流域その他から十数箇が発見されています。
このシュメール古拙文字とは約4千年の昔メソポタミアのシュメール帝国の繁栄時代の文字で、その後シュメール人は海洋民族となり大移動を行ない世界各地に定住しそこに彼等が信仰する神々の名を刻み残しました。
藤松で発見されたものが世界各地のものと同一であることが立証されたことにより
藤松にも海洋民族が渡来したことが想定されます。
従って古代人の文化的遺跡を宗教的概念を放れて民族的学術的見地から貴重な資料として永久保存の処置を行なうものであります。
平成2年7月祥日建立 藤松ペトログラフ保存会会長
宮原深海 事務局 藤松公民館
この顕彰碑に地神墓に刻まれたペトログラフの説明があります。
【地神墓に建立されたペトログラフ顕彰碑除幕式の風景】
(この写真は許可を頂き「藤松ペトログラフ保存会15周年記念「藤松のペトログラフ
2005」より引用させていただいています)
【藤松市民センターHPの藤松ペトログラフの記述】
今回、現地を案内していただいた藤松町づくり協議会および藤松校区自治連合会の方にから、「藤松ペトログラフ保存会15周年記念「藤松のペトログラフ2005」という
素敵な解説書をいただきました。
それによると門司区藤松地区には17のペトログラフが見つかっているそうです。
<<藤松ペトログラフへの行き方>>
・JR門司駅より西鉄バスで藤松方面行バスに乗車、「門司大翔館高等学校」下車
・ JR小倉駅の小倉駅入口で西鉄バス門司駅行バスに乗車、「門司大翔館高等学校」下車
住所:福岡県北九州市門司区藤松三丁目2番 道路沿いにあります
すぐ近くにあるアージュ藤松というコーポと道路の間にありますので、
アージュ藤松が目印です。
4000年前の古代文字が日本にあるとは!!??
古代のロマンを感じます!!