日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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2022年(令和4年)11月13日(日) 人間魚雷回天の島・大津島での追悼式に参加

2022年(令和4年)11月13日(日)

人間魚雷回天の乗組員追悼式に参加しました。


(回天の訓練基地・大津島)

人間魚雷回天の訓練基地は日本各地にありましたが、今回の式典が開かれた山口県周南市大津島は島全体が訓練基地となっていました。

大津島には人間魚雷「回天」の訓練基地が、今も残っていてその姿を見ることができます。

 

人間魚雷回天

回天は太平洋戦争末期に日本海軍が開発した特攻兵器です。イスに座る形で乗組員が
操縦して敵艦に体当たりします。f:id:reiwa00502:20211118145449p:plain

全長は14.75m、胴体の直径は1mで1人乗りで、推進装置には、九三式酸素魚雷
エンジンを使っていました。
回天の先端部分には1.55トンの炸薬を装備していました。九三式酸素魚雷炸薬量の
2倍の量を搭載できたため、「回天」が命中すると、大型艦船でも一発で沈めることが
可能だと考えられていました。

この「回天」という名前には「天を回らし戦局を逆転する」という願いが込められていました。f:id:reiwa00502:20211118150133p:plain

回天は、1944年(昭和19年)7月に2機の試作機が完成し、11月20日のウルシー環礁
奇襲で初めて実戦に投入され、以後終戦までに420基が生産されました。

回天は潜水艦から切り離され出撃する仕組みですが、一度、潜水艦から発射した回天は、体当たりに失敗しても回収されることはなく、また、脱出装置もついていない
ため、乗り込んだ搭乗員は2度と帰ってくることはありませんでした。

終戦の日まで全国から集まった20代の若者を中心に搭乗員145人が犠牲になりました。

f:id:reiwa00502:20211116224716p:plain

回天に関しては以下の本がお勧めです。
まずは下をクリックして御覧下さい。


 


 

(回天初出撃の11月8日に近い日に慰霊祭)

回天の部隊が初めて出撃したのは1944年(昭和19年)11月8日、ここ大津島基地を出撃した菊水隊12基が「回天特攻の初陣」ということです。11月8日の初陣後、回天の最初の作戦であるウルシー泊地攻撃「菊水隊作戦」(第1次玄作戦)が、11月19日から20日にかけて行われました。

そこで地元の有志らでつくる顕彰会がこの日に近い毎年11月の第2日曜に追悼式を開いています。

 

(2022年:令和4年、小雨の中での慰霊祭)

2022年(令和4年)11月13日(日)午前11時半から、この大津島で回天の搭乗員らの慰霊式がありましたので前年に引き続き参加してきました。

この式は正式には回天烈士及び搭載潜水艦戦没者追悼式と言います。

式には、遺族や関係者など約60人が出席しました。
この日は去年と違い、曇天で時折強い雨が何度も降りました。

下が頂いた資料に記載されていた予定表です。

式典は、回天記念館敷地内の慰霊碑前で行われました。

国歌斉唱の後、黙とう、そして回天顕彰会の原田茂会長(84歳)が式辞を述べました。

その後、周南市長や山口県知事の追悼の言葉(代読)があり、白菊の献花がありました。

参列者は列を作り慰霊碑前に白色の菊を献花し、回天搭乗員と回天搭載戦没潜水艦乗員合わせて1299人の冥福を祈りました。

力強い太鼓の奉納もありました。

おっさんも祖国のために志半ばで命を絶たれた先輩方に哀悼の意を表しました。

式典は12時半に終了。1時間の式典でした。

 

【回天顕彰会公式HP】

 

<<回天慰霊祭が行われた大津島>>

<<回天の訓練が行われた大津島にある大津島回天神社>>

 

【周南観光コンベンション協会HP 大津島エリア】

<<回天の島・大津島への行き方>>

JR「徳山」駅南口から徳山港まで徒歩5分、徳山港から馬島港までフェリーで42分

、高速船では22分

※回天記念館は馬島港から徒歩約10分

住所:山口県周南市大津島

 

祖国のために命を捧げた先輩に感謝し追悼しました。