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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ネタバレあらすじ 第46話「将軍になった女」


「鎌倉殿の13 人」の第46話は
「将軍になった女」。
世帯平均視聴率が11・3%でした。

いよいよ尼将軍・政子の誕生!。
では、あらすじを見てみましょう。

 

(我が子を鎌倉殿に)

前回、右大臣任官の拝賀式が終わり、帰路についた源実朝鶴岡八幡宮の大階段で、
甥の公暁に暗殺されます。さらにその公暁三浦義村に殺されます。
こうして源実朝公暁が亡くなった事により、源氏の血を引く男子は源頼朝の異母弟・阿野全成北条義時の妹・実衣の子・阿野時元1人になりました。

ここを好機到来と実衣は、我が子・阿野時元を鎌倉殿にしようと考えます。

鎌倉殿になるには天皇の命令を伝える文書である宣旨が必要です。そこで実衣は、宣旨を得るにはどうすればいいかを三浦義村に相談します。

それを聞いた義村は「通常であれば難しいが、早急に鎌倉殿をたてる必要がある今なら可能性がある」と実衣に言い、さらに「次の鎌倉殿は時元殿に決まったと朝廷に申し上げるんだ。そうなれば、朝廷は宣旨を下さないわけにはいかない。手はずはこの三浦におまかせを!」と言います。

すると実衣は「約束は必ず果たします。息子が鎌倉殿になったとき、執権は平六殿、
あなた。」といい、息子を鎌倉殿にしようとやる気満々です。

しかし、これはワナでした。

義村は、すぐに義時のところに向かい「あとは時元を挙兵に追い込むだけだ。そして
謀反人として討ち取る。」と義時に告げます。
つまりこれは義時と義村がぐるになった策略だったのです。

義時は、源氏唯一の血が流れている阿野時元が残っていれば、必ず誰かが担ぎ出すなどして鎌倉が騒動に巻き起こすと考え、処分しようと考えていたのです。

(源氏途絶える)

一方、京都では後鳥羽上皇は鎌倉から送られた文を読んでいました。
その手紙には、次期鎌倉殿の頼仁親王に一刻も早く鎌倉に来てほしいという内容でした。

後鳥羽上皇は「不始末をわびて辞退してくるかと思ったら、ぬけぬけと催促してきおった!」と怒ります。

1219年2月22日、阿野時元が挙兵をしますが、義時の準備していた兵に囲まれて自害します。

実朝暗殺からまだ1ヶ月もたっていませんでした。

 

(実衣の処分)

御所では、阿野時元の母・実衣をどうするかの詮議が始まります。

実衣は、時元の謀反には関わっていないと否定します。
しかし、実衣が、「宣旨をいただければ、あなたが鎌倉殿。挙兵すれば御家人は皆従います。」と息子・時元に送った手紙が見つかります。

これが証拠となり実衣は自らの行動を認めます。

また、三浦義村が実衣の部屋から、朝廷に送る宣旨をお願いする書きかけた文書を見つけて、証拠として差し出します。

万事休す。
義時は、実衣を厳罰に処すべきですと冷たく言い放ちます。実衣は義時の妹ですよ!

政子は実衣が長年支えてくれた功労を配慮し命を奪うことはやめるよう訴えます。

しかし大江広元は「大切な肉親でも、罪を犯した時は罰する。そのとき初めて御家人たちは、尼御台への忠義を誓うことになるのです。」と言います。

結局、その場で実衣の処罰は決まらず、実衣は処罰が決まるまで、部屋に閉じ込められることになりました。

 

(かけひき)

阿野時元の乱から1ヶ月たったころ、後鳥羽上皇からの返書が届きます。

それは、「2人の親王のうちどちらを選ぶか吟味したい」という内容でした。すでに鎌倉殿は頼仁親王に決まっていたはずですが、後鳥羽上皇は、まだ決まっていない事にして鎌倉側に断らせようとしています。

つまり鎌倉も朝廷も頼仁親王を鎌倉殿にすることを先方から断らせようと考えています。

 

(外の世界)

政子は「私は私の政がしてみたいのです。」と言い、御所の外に出て街を実際に見て、直接人々と言葉を交わしたいと考えます。

それを聞いた大江広元は「施餓鬼(せがき)」を提案します。

施餓鬼とは、生前の悪行などが原因で餓鬼となった霊魂や、無縁仏など供養されない死者に施しを行う儀式のことです。また、 施しを与える者・受ける者の間に貴賤の区別があってはならないという考えがあります。

政子達が、施餓鬼を行うと、御所の庭に人々が集まり、北条泰時平盛綱が、集まった人たちに供え物を渡しています。そこに政子が姿を現し皆に親切に接します。

政子は人々に慕われ、その姿に励まされ感謝を込めて「ありがとう。」と伝えます。

 

(息子を執権に)

義時の妻の のえは、義時に後継ぎは自分が生んだ政村がふさわしいと義時に言いますが相手にされません。
のえは野心満々な女です。のえは、父親に、北条政村の「村」をとった三浦義村に相談するようにアドバイスされます。
この北条政村、のちに執権になりさらに連署にもなり元寇北条時宗を支えます。

 

(地頭を変えよ)
後鳥羽上皇が実朝を弔問する使者を鎌倉に送りました。と同時に、2つの国の地頭を
変えるように求めてきました。

後鳥羽上皇が返上を要求したこの荘園の地頭は北条義時だったのです。これは朝廷から鎌倉に対する嫌がらせです。

 

(私の考えが鎌倉の考えです)

鎌倉では、実朝の死後、鎌倉殿の空白期間が続いていました。

これに対し義時は「上皇様は、鎌倉が言うことを聞くのか試しておられるのです。下手に出ると、この先に西に頭があがらなくなります。時房に軍を率いて京に参らせます。その数、1000。今すぐ返事をするように脅しをかけます。上皇様はすぐに泣きついてきます。そして、新たな方を選んでいただきます。こちらの意のままになる方を。」と強気です。

ここで政子は、義時の考えが、他の宿老たちの承諾を得たのかと尋ねました。すると義時は「私の考えが鎌倉の考えです。」と応えます。

 

上皇と時房)

義時は、朝廷に揺さぶりをかけようと弟の北条時房に軍勢を率いて京に向かう事を命じます。大軍を率いて京に入ることで、ひょっとしたら大戦になる可能性もあります。
時房は責任重大です。

時房は、「できれば蹴鞠で決着をつけたいものだなあ。」とつぶやきます。

3月中旬、時房は上洛しました。時房は1000騎を率いています。

朝廷で後鳥羽上皇と対面した時房は、1000騎の兵は護衛であり、朝廷への脅しではないと言います。しかし、後鳥羽上皇はその言葉を信じません。

双方の話が平行線を続ける中、後鳥羽上皇が時房に蹴鞠勝負を挑んできました。

時房は「望むところでございます!」とやる気満々です。

後鳥羽上皇北条時房の鞠の蹴りあいは延々と続きます。いい勝負です。

長い蹴りあいのあと、最後は後鳥羽上皇がふらつき失敗します。時房が勝ったのです。しかし後鳥羽上皇は息を切らせながら「引き分けじゃ!」と言います。
勝負に勝っているはずなのにこの判定に怪訝な表情を見せる時房のもとに、藤原兼子が近寄り、耳元で「上皇様を負かしたとなれば、あのお方はそなたを許しますまい。末代まで朝敵の汚名となりましょう。」とアドバイスを送ります。
それを聞いた時房は、後鳥羽上皇の前に出て手をつき「私の負けにございます。」と言い上皇に花をもたせます。

それを聞いた上皇は「私を負かすことはできなかったが、そなたの力は認めよう。」と言い後鳥羽上皇は、親王ではなく代わりの者を鎌倉に送ると約束します。

勝負に勝っても相手をたてた時房の作戦勝ちです。

 

(鎌倉殿候補は2才)

その後、後鳥羽上皇の側近・慈円が極秘裏に鎌倉を訪れました。

慈円は「三寅(みとら)」という人を次の鎌倉殿に推薦してきました。

慈円は、この三寅の家系を延々と説明します。しかしややこしすぎて義時と政子は理解できません。というかTVを見てた人のほとんどがわからないと思います。ここはTV画面に家系図を書いて欲しかったですね。

慈円は「摂関家の流れをくみ、なおかつ源氏の血をひくお方だ。」と言います。
申し分ない血筋です。

ただ、この三寅様は2歳の赤ちゃんでした。

三寅は、まだ幼いので元服してから征夷大将軍になる流れです。

一方、京では後鳥羽上皇に仕える藤原秀康慈円が次の鎌倉殿候補である三寅を決めたことに対し怒りを抱きます。

三寅は慈円の親戚で同じ九条一門で、自分の身内が鎌倉殿になるのです。
また、ここで藤原秀康は、その気になれば鎌倉を攻め落とすことも!と述べます。

 

(尼将軍の誕生)

7月、三寅が鎌倉に到着します。
しかし、まだ2歳で鎌倉殿に就任するには若すぎます。

義時は自分が執権として政を執り行いますので、不都合はないと言いますが、政子は「あなたは自分を過信しています。」と反対します。

御家人が2歳の三寅に従うはずがなく、また鎌倉が乱れるかもしれません。そこで政子は自分が鎌倉殿の代わりとなることを志願します。

政子は「鎌倉殿と同じ力を認めていただきます。呼び方は…そうですね、尼将軍にいたしましょう。」と言います。尼将軍です!

 

その日の夕刻、この日の夕方、政所始が行われ御家人たちが集まります。
政子は2歳の三寅を膝の上に乗せて御家人たちの前に座ります。三寅のお披露目の場であった政所始は、政子の尼将軍のお披露目にもなりました。
こうして、政子は尼将軍となり義時以上の権力を持つことになりました。

義時が「姉上としては珍しい。ずいぶんと前にでるではないですか。私への戒めですか?」と言うと、政子は、「全てが自分を軸に回っていると思うのは、およしないさい。やっておきたいことがあるの。」と言い、ある場所に出かけます。

そして尼将軍となった政子は、部屋に閉じ込められていた状態が続いていた妹の実衣を助け、姉妹二人で抱き合います。

 

さあ、尼将軍・北条政子の誕生です。
鎌倉殿の13人もあと数回。。最後はどうなるのかなあ・・