日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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源頼朝の墓の近く、法華堂跡に建つ白旗神社(西御門)

武士として初めて幕府を開いた源頼朝
その頼朝の墓は、神奈川県鎌倉市にあります。
その墓に向かう階段をのぼる左側に
白旗神社(西御門)があります。


(もともとは頼朝の持仏堂があった場所)
白旗神社は、頼朝の館のあった大倉御所の北隅で、鶴岡八幡宮の東500mほどにあります。

この地は、鎌倉幕府の北隅で持仏堂(守り本尊として常に身近に置いて信仰する仏像のこと)がありました。

境内入口の鳥居をくぐると正面に社殿があります。この社殿が実にシンプルです。


頼朝が本格的に打倒平氏に向けて挙兵した石橋山の 合戦のときに、源頼朝が髻の中に
納めて戦ったという観音像が安置されていたそうです。


(頼朝の死後に法華堂に)

1199年12月27日、源頼朝は、御家人・稲毛重成がなくなった妻の供養のために相模川に架けた橋の落成供養から戻る途中に落馬し、それが原因で死亡します。
頼朝の死後は、ここは法華堂と呼ばれました。
ちなみに頼朝の墓は、この白旗神社の上にあります。

 

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鎌倉幕府の手厚い保護)

ここは源頼朝にゆかりがあったことから鎌倉幕府かた手厚い保護をうけ鶴岡八幡宮
勝長寿院とともに三大寺として崇敬を集めました。

 

(宝治の乱で三浦一族が自害)

1247年6月5日に、三浦泰村と弟の光村の兄弟が、鎌倉幕府を実質支配する北条氏に対し反乱を起こします。これが宝治の乱です。
しかし、三浦勢は敗戦濃厚となったため泰村は、「皆で亡き頼朝公の御影の前で死のう」と考え法華堂へ集まるように決めます。そして法華堂には三浦一族とその縁戚や
御家人など500余名が集まり、そこで自刃します。
三浦一族の墓所は、頼朝法華堂東方の山腹にあります。

 

(神社は明治期に建立)
明治維新の後の1872年(明治5年)に跡地に頼朝を祀る白旗神社が建立されていました。

神社の名前の由来は「源氏の白旗」ですね。
下は、壇ノ浦に面した福岡県北九州市門司にある壇ノ浦の合戦を描いた

壁画ですが、確かに源氏の船には白旗が掲げられています。

【壇ノ浦の合戦を描いた壁画はここをクリック🔽🔽】


白旗神社は、その多くが源頼朝主祭神として日本全国に70社あまりあるそうです。

 

<<白旗神社への行き方>>
JR鎌倉駅東口徒歩20分
住所:神奈川県鎌倉市西御門2-1-24 

 

そのほかにも、鎌倉周辺には史跡がたくさんあります。
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