日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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大河ドラマ「どうする家康」ネタバレあらすじ 第1回「どうする桶狭間」

 

2023年(令和5年)のNHK大河ドラマ
「どうする家康」が始まりました。
初回「どうする桶狭間」の平均世帯視聴率が
15・4%で前作の大河「鎌倉殿の13人」の
初回17・3%から1・9ポイントダウンしています。

 

ではストーリーを見ていきましょう!!

(人質生活)

松平竹千代は駿府今川義元のもとで人質生活を送っていました。しかし人質とは言うものの、今川義元に見込まれ不自由ない生活を送り、また十分な教育も受けていました。この松平竹千代、のちの徳川家康です。 松平竹千代(幼名)→ 元信(初名)
→ 元康 → 家康 → 徳川家康 ·と名前を変えていきます。

 

家康は、室町時代の1542年に生まれますが、1547年今川の人質に行く途中に連れ去られ織田家の人質になります。ここで信長と過ごします。
そして1549年に今川義元の人質になります。
1555年、14歳となった竹千代は、今川義元の下で元服し、「松平次郎三郎元信」(もとのぶ)と名乗ります。名前には、義元の一字「元」を与えられていて、これは、義元と主従関係が結ばれ、今川氏配下になったことを意昧しました。

 

やがて元信は今川家重臣・関口氏純の娘の瀬名と出会い好意を抱きます。

 

(みすぼらしい故郷:岡崎)

ある日、元康は父の墓参りに三河・岡崎を7年ぶりに訪れます。しかし岡崎城は、みすぼらしく、人々の衣服も情けなく、そんな故郷に落胆します。

 

元康がご飯を食べている最中には、次から次へと家臣たちが挨拶にやってきます。しかし元康は、6歳の頃からいなかったために覚えていない者ばかりです。
父に仕えていた酒井忠次など旧臣たちと再会し、彼らが今川家に不満を抱き、松平家再興を願っていることを知ります。

 

(妻をめとる)

元信と瀬名は互いに思いを寄せていきますが、瀬名を側室にしたいと思っている義元の嫡男・今川氏真は2人が会うことを禁じます。

 

ある日、今川義元は、氏真と元信が勝負をして勝った方に、瀬名を嫁として嫁がせると言い出します。そして元信が勝負に勝ちます。
義元はこれまで元信がわざと氏真に負けていたことを見抜いていて、それは氏真に対する侮辱だと叱咜します。

ただ、約束通り、元信は瀬名と結婚することになります。やがて男の子が生まれます。

瀬名は、のちに築山殿(つきやまどの、西光院、清池院)と称されました。
この婚姻により、元信は、今川一門に準じる扱いとなります。この後、元信は元康(もとやす)と改名します。元康の祖父・清康(きよやす)の勇名を慕い、改名したと言われています 。
嫡男・竹千代も誕生し元康と瀬名は3人で幸せな時間をすごしていました。

 

桶狭間

1560年(永禄3年)元康が19歳の年、今川義元は、織田領である尾張へ進撃します。
元康は妻子たちと別れ、織田軍に包囲されて陥落寸前となった今川方の大高城に米を届ける任務に就きました。

そして、織田軍の猛攻撃をくぐり抜け、大高城にようやくたどりつきます。
あとは、大将の今川義元らの本陣が到着するのを待つばかりでした。しかし、桶狭間から、今川義元戦死という衝撃の知らせが届きます。

動揺する中、織田信長が大高城に押し寄せようとしています。

元康は幼いころ信長と一緒に過ごしたことがあり、信長の性格を熟知しているため信長の忌まわしい記憶が蘇ります。
家臣たちは、口々にどうするべきかを、元康に意見を聞こうとしますが、そこに元康の姿がありませんでした。
元康は、どうしていいかわからず嫌になって陣を逃げ出したのです。逃亡です。
やがて本多忠勝に連れ戻され大高城に戻ってきました。

大高城に織田軍2000が迫ります。

「家族が待つ駿河に戻るか、故郷の三河へ進むか、それとも籠城か・・」元康は家臣からどうするか問われます。

信長の恐ろしさを知っている家康は叫びます。
「どうすればええんじゃあ」

(つづく)