道路沿いに、さりげなくある石でできた国旗掲揚の柱。
しかも表面に「皇紀二千六百年」と刻まれています。
今回は、この柱から読み取っていきます。
(東京都調布市にある石の柱)
おっさんは気になっていたものがあります。
東京都調布市国領二丁目・・・京王新宿線の国領駅から旧甲州街道に向かうと、旧甲州街道沿いにファミリーマート国領二丁目店があります。
この敷地に石でできた柱のようなのがあります。
近づいて見ますと・・
光の具合で見にくくて恐縮ですが石の表面には「皇紀二千六百年」と刻まれています。
(この石の柱は国旗掲揚台だが・・)
これは、その形からして国旗掲揚台と思われますが、通常、国旗掲揚台は神社、学校、公民館などにあります。
例えば、おっさんが今まで足を運んだ神社でも・・・
【中野氷川神社の国旗掲揚台】
【🔽中野氷川神社についてはここをクリック🔽】
【阿佐ヶ谷 馬橋稲荷神社】
【阿佐ヶ谷の馬橋稲荷神社については下をクリック🔽】
(五香屋という呉服屋さんの敷地に)
通常住宅地や神社、学校に見られる事が多い国旗掲揚台。
しかし今回は住宅地にポツンとあります。しかも、ここにはかつて神社や学校はありませんでした。
では、なぜ、ここに皇紀二千六百年と刻まれた国旗掲揚台があるかとういうと・・。
現在、この国旗掲揚台がある場所には、1階がコンビニが入ったマンション、スポーツジムなどが建っていていますが、調べてみると、戦前は五香屋という大規模に商売を行っていた呉服屋さんだったそうです。広大な土地なので金持ちだというのがわかります。
呉服屋さん、・・。呉服屋は呉服=和服を扱うお店で、着物や帯のほか和装小物など
も扱っています。
今では、呉服屋さんの数も少なくなりましたが、洋服でなく和服が主流だった戦前は、生活必需品の和服を扱う呉服屋は大繁盛していて、このお店も旧甲州街道沿いということで賑わっていたそうです。
また1913年(大正2年)4月15日には旧京王線の北浦停車場ができ、道路と鉄道に近いという利点を生かし繁盛したそうです。
このように個人の呉服屋に国旗掲揚台が建てられたのは珍しいことです。
(皇紀2600年という時代)
呉服屋の国旗掲揚台に刻まれた文字「皇紀二千六百年」は、神武天皇が即位して2600年目にあたる昭和15年=1940年のことです。
当時は日中戦争の真っ最中です。
紀元節=国のお祭りと言うことで、この年には
札幌冬季五輪が2月3日から12日まで。
万国博覧会が3月15日から8月31日まで
東京五輪が9月21日から10月6日まで・・と、
なんと夏冬両方の五輪と万博の世界的三代イベントが同じ年に開催が予定されていました。(しかし、いずれも長引く日中戦争の影響で返上となりました。)
そして11月10日には皇居前広場で紀元2600年式典が開催されました。
皇紀2600年記念式典は翌11日にも開催され、2日間にわたるこの式典には、合計で5万5千人の参列者を迎えました。
【🔽紀元2600年式典の映像はここをクリック🔽】
【皇紀2600年の出来事】
皇紀2600年の年に起きた出来事を見てみます。
3月30日には蒋介石から離れた汪兆銘が南京に南京政府を樹立。
すでに欧州戦線では第2次大戦は勃発しドイツ軍の進撃が続いています。
6月には満州国皇帝の溥儀が2度目の来日をします。この時、史上唯一、昭和天皇が
わざわざ東京駅のホームに出迎えに来るという最恵国待遇を受けます。
このような対応を受けた国家元首は今までも含めてただ一人です。
【満州国皇帝入京を伝える日本映画ニュース特報】
9月27日には日独伊三国軍事が調印されます。
(記念切手も2度発行)
初代の神武天皇は、宮崎で生まれ九州を平定したあと、東へと向かい、奈良の樫原に都を作り、そこで初代天皇として即位します。
その即位した日が西暦元年の660年前の2月11日とされています。
ですから2月11日が「建国記念の日」であり、この日は当時は「紀元節」と言っていました。
皇紀2600年2月11日の紀元節には、記念として2銭切手と10銭切手を発売します。
いずれも図案は日本書紀からです。
2銭切手は、金鵄です。
「紀元二千六百年」の歌の出だしの♪金鵄輝く日本の~ の金鵄です。
10銭切手は鮎と厳瓶(いつしべ)です
さらに、11月10日の紀元2600年祝賀会にあわせて4銭と20銭の記念切手を発行します。
4銭切手は、天孫降臨の地・宮崎の高千穂です。
(初代神武天皇の船出を再現)
初代神武天皇が船出をしたと言われる宮崎県の美々津では、4月18日に、皇紀2600年記を祝し、日本海軍協会、大日本海洋少年団、大阪毎日新聞社が主催し神武天皇が船出したという「おきよ丸」を作り、地元宮崎の青年150人が古代船を漕ぎ、美々津港から大阪中ノ島まで「神武天皇の船出」を再現しています。
そして一行は、奈良の樫原神宮で神楯を奉献しています。
(海軍零式戦闘機がデビュー)
太平洋戦争前半に無敵を誇っていた日本海軍のゼロ戦はこの年にデビューします。
2600年の末尾の0からゼロ戦と名付けられました。
天孫降臨の地であり、初代神武天皇が住んでいた宮崎も盛り上がります。
そして3つの石碑が作られました。
①八紘之基柱(八紘一宇の塔・平和の塔)
【八紘一宇の塔について書いたブログはココ】
②皇軍発祥之地碑
【皇軍発祥之地碑について書いたブログはココ】
③日本海軍発祥之地碑
【日本海軍発祥之地碑について書いたブログはココ】
さて、話を調布国領に戻すと、このような時代に呉服屋の五香屋に皇紀2600年を記念した国旗掲揚台が建てられました。
(国領での惨劇)
そして、この国旗掲揚台が建てられた5年後の1945年(昭和20年)の4月7日、この国領で悲劇が起きます。
空襲に来たB29から脱出した乗組員を住民が殺害したのです。
【🔽国領B29乗組員殺害に関してはここをクリック🔽】
人々の歩みを見てきた❝時代の目撃者❞として
今も調布国領を見つめています。