山口県下関市の
壇ノ浦漁港に小さな神社がありました。
蛭子神社といいます。
(赤間神宮徒歩5分)
赤間神宮から少し歩いていたとき、壇ノ浦の海に行くと、凄く気になる神社がありました。
コレです。蛭子神社、地元では「蛭子社」と呼んでいます。
※この蛭子神社に関しては現地から得られる情報だけでは不明な点が多いので、下関市役所観光政策課及び赤間神宮に教えてもらいました。皆様、有り難うございました。
この蛭子神社は、壇ノ浦漁港の船泊りある小さな神社です。
江戸時代の1807年(文化四年)に、この神社の記録があります。「防長寺社由来」という書物に、この壇ノ浦蛭子神社の由来が書かれているそうです。
1863年5月に、長州藩が馬関海峡を封鎖し、航行中のアメリカ・フランス・オランダ艦船に対して無通告で砲撃を加えた事件や翌年8月に、その報復として、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの艦船17隻が下関や彦島に砲撃し占拠していますので、この時に、蛭子神社にお祈りをした人がいたかも知れませんね。
(朱色の橋)
この神社のすぐ前には朱色の橋があり、この橋を渡ると海・壇ノ浦に出ます。
この橋は1991年(平成3年)に台風で流され、このときにかけられたものだそうです。
欄干の朱色は魔除けや不老長寿を象徴する色として、 古代より宮殿や神社仏閣に多く用いられてきましたので、この橋もその意味合いがあると思われます。
(何か不明なもの)
この蛭子神社周辺には不思議なものがありました。
石でできた3つの物が並んでいます。ちなみに後ろの橋は本州と九州を結ぶ関門橋です。
では1つ1つ見ていきます。
(その1 龍宮さん)
これは特別丁寧に玉垣で囲まれていて、しめ縄もかけられています。
この石は、地元では「龍宮さん」と呼ばれているそうです。
時期は不明ですが海中から引き揚げられ海の安全と豊漁の守り神となっているようです。
この玉垣の1つに「慶応」の年号が刻まれていますので江戸時代末期には存在していたかも知れません。
また、この岩は、磐座(いわくら)という、神様が降り立ち鎮座する石の可能性が高いのではないかという意見もありました。
下にある文様、何か意味があると思われますが、右の「×マーク」は何のことかわかりませんでした。
左は、「三つ蔓柏(みつつるかしわ)」、あるいは「蔓柏(つるかしわ)」と言う
家紋です。
この紋の「三つ蔓柏」は、七福神の一柱でもある恵比寿様の神紋としても有名です。
恵比寿神社と蛭子神社は音読みでは同じです。
古くから、柏が神事の食器として使用されていたことから、神職の家紋として用いられるようになりその社の氏子なども家紋として用いることもあったようです。
また、春の新芽が出るまで葉を落とさないことから、「代が途切れない、家が続く」として子孫繁栄の願いからも家紋として用いられるようになったそうです。
(その2 祠??)
下の石の部分が新しいので、ここは新しく作ったと思われます。
近くに住む人の話では、台風で流されたので再建されたそうですが、その時期も含め
詳細は不明で、さらに、なぜここにあるのか、わからないそうです。
(その3 謎の石)
下関市史の民族編には、いつの時代に行われたかは不明ですが、壇之浦漁業協同組合のやすむら組合長(1910年=明治43年生まれ)からの聞き取りとして、この石の事が書かれていました。
下関市大坪町に金比羅八幡宮がありますが、その沖でこの石が網にかかりました。
やすむら組合長は「海からあがってきた物だから大切にすべきだ」と思い、ここに奉納したそうです。
先ほどの「防長社寺由来」によると、この蛭子神社では、1月14日と10月16日が祭日になっているとに書かれています。
漁協の方に聞きましたらこの神事は、コロナ前までは、赤間神宮から宮司が来て漁協関係者が参列し祝詞や御神酒をあげ、豊漁や海の安全を祈願していたそうです。
<<壇之浦 蛭子神社への行き方>>
赤間神宮から徒歩5分程度
住所:山口県下関市壇之浦町1
壇ノ浦漁港にある小さな神社・蛭子神社。
海の安全と豊漁の神として親しまれてきました。
どんな歴史があるのでしょうか?気になります。