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大河ドラマ「どうする家康」ネタバレあらすじ第11話「信玄との密約」

家康の第11話タイトルは「信玄との密約」は、視聴率が
10・9% 前回から3・7ポイント増です。
それではあらすじを見ていきましょう。

 

(破られ燃やされた手紙) 

田鶴は手紙を読んだあと破いて、火鉢に捨てます。これは瀬名から届いた手紙でした。
田鶴は今川への忠誠心が高く、自分の夫の裏切りともとれる行為さえも許さなかった
芯が強い女性です。
その田鶴は、「皆の者、戦に備えよ」と家臣や侍女に命じます。

徳川家康誕生)

1566年冬、三河平定を成し遂げた家康は、家康は源氏の末流という証を見つけ姓を
“徳川”に改めます。「徳川家康」の誕生です。そして、従五位下三河守に任官されます。

1568年夏のある日、家康は同盟を結んでいる織田信長に鷹狩りに誘われます。ここで「武田信玄駿河遠江を狙っている。武田に今川領を渡すな」と強く言われます。

10月、信長は上洛し、足利義昭室町幕府15代の征夷大将軍になります。

 

駿河を狙う武田信玄
一方、甲斐の武田信玄は、三国同盟を破り駿府を奪おうと画策していました。
家康は信玄に何度も談判を申し入れますが、返事が来ません。

家康は、武田勢に、大きな動きがなかったので、武田が今川攻めを諦めたのだと思っていました。

しかし、武田軍は着々と今川の武将を調略していました。甲斐・躑躅ヶ崎館では信玄が山県昌景穴山信君と共に今川領の地図を広げて話し合っています。

武田はすでに今川の武将たちを調略し、いつでも駿府を落とすことが可能な状況まで、下準備を行っていました。信玄おそるべし!!

そこへ家康に会ってやってほしいという信長からの書状届きました。

 

 武田信玄との対面)

その冬、突然、信玄から会いたいと申し出がありました。

談判当日、家康は、信濃三河の境の寺で信玄の到着を待っていました。

しかし、家康のもとに、信玄本人は来ず、来るのは信玄の家臣だという情報が入り、
それを聞いた家康は、格のことを考え信玄が来ないならばと家臣たちに出席を命じました。

しかし、家臣の一人・石川数正は「むしろ格を合わせたからこそ信玄ではなく信玄の家臣なのでは」と言い、他の者も「武田信玄と殿とでは、とても格が同じとは…」、
さらには信玄の家来たちでも家康より格が上だとまで言われてしまいます。トホホ・

結局、家康は「わしは出ぬ!」と言って数正らに談判を任せて、本多忠勝榊原康政を引き連れ出ていきます。

そして家康は外で妻の瀬名が好きな栗を拾います。
やがて家康たち3人は、“信玄は猫のような貧相な小男かもしれない”と言いだし、猫の鳴き声を出して信玄のモノマネを始めます。そして皆で信玄をバカにします。

 するとそこに1人の大男が姿を現し「日が傾くと一気に冷え込みますな。茶でもいかがか。猫は嫌いではない。あやかりたいものじゃ。非礼をお詫びいたす。堅苦しい場所は、嫌いでな。このように、肩ひじ張らずに会った方が、相手のことがわかるというものじゃ。」と言います。

実は、この男が武田信玄でした。その正体がわかった瞬間、家康たちはびっくり仰天!!つい先ほどまで盛りあがっていた信玄をバカにした発言も、ちゃんと信玄の耳に入っていたのです!!ありゃりゃ、
しかも周囲をよく見ると周りに信玄の手の者たちが囲んでいるので下手な動きはできません。やられましたね!


(お互いで駿河を攻めよう)
森の中で、信玄は家康に対して、「駿河からは我らが、遠江からはそなたらが、互いに切り取り次第で、いかがか。ようござるな。」と言い、武田・徳川が双方で今川領を攻めて、切り取り次第で己の領地にする提案をしてきます。

家康はこの案にしぶしぶ承知し密約が交わされます。今回のサブタイトル「信玄との密約」です。

さらに家康は帰り際に、信玄から「奥方が好きだと聞いたので」と栗を渡されます。
ここに信玄が「家康、あんたのことはちゃんと知っているんだぜ、情報が入っているんだよ」という諜報活動の凄さという圧力が感じられます。
信玄は、家康の性格もふくめて全てを把握しこの密談に望んでいたのです。おそるべし! 

 

(女城主・田鶴)

今川攻撃の密談が交わされると、武田軍は、すぐに駿河攻めを、同時に徳川軍も遠江侵攻を開始します。

しかし、ここで、問題が発生します。それは今川方の引間城主が瀬名の幼なじみで親友でもある田鶴だったのです。
田鶴と瀬名は、嫁に行っても互いの家を訪れたりして仲良くいようと約束をしていたほどの親密ぶりでした。その田鶴を攻撃することになります。

家康も瀬名も、田鶴を討ち取るのではなく“降伏”させようと試みます。瀬名は田鶴に文を送り、徳川側につくように説得をします。
しかし田鶴からの返事がきません。田鶴は、今川に尽くすことを決めていたのです。
そのうちに武田軍が駿府を制圧したという報せが届きます。
侵攻開始からわずか1週間の電光石火の早業に、徳川軍は武田勢の凄さに驚きます。

 

(田鶴死亡)

家康は急がねば駿河を武田に全部取られてしまいます。しかし田鶴とは戦いたくない家康。刻々と時が過ぎていきます。

和睦を望む家康・瀬名、その願いもむなしく、結局、田鶴は城に火を放ち、18人の侍女たちと甲冑姿で城外へ向かいます。そして家康勢にたちむかおうとしたところを討たれて死亡します。

なんとも悲しい戦国の世です。
【次回に続く】