世界的に有名な物理学者で
ノーベル賞受賞者のアインシュタインが
九州滞在中に宿泊した福岡県北九州市門司区にある
三井倶楽部。
その三井倶楽部のリニューアルオープン記念セレモニーが
あったので、参加してきました。
(三井倶楽部)
三井倶楽部はJR門司港駅の正面にあります。
ここは明治以降、三井財閥が社交場として使用していました。
三井倶楽部の外壁は、木の柱や梁などを骨組みとして外に見せるハーフティンバー形式で縦、横を強調する木部のダークブラウンと白の窓枠とシックな壁色とのコントラストが外観を特徴付けています。
これは英国ではチューダ様式と呼ばれていて、1世紀以上前に作られたものですが、
今見ても立派です。
(アインシュタイン来日)
アインシュタインは1922年(大正11年)に、日本に招かれ、11月17日から12月29日
までの43日間、日本を訪れ各地で講演をしています。
ちなみにアインシュタインは日本に向かう船の上でノーベル物理学賞の受賞の知らせを受けます。そのため、アインシュタインはノーベル賞受賞直後の来日となりました。
アインシュタインは、12月23日、さらに25日から29日まで門司の三井倶楽部に滞在しました。アインシュタインが宿泊した三井倶楽部の2階にある部屋は、当時の状態で保存され「アインシュタインメモリアルルーム」として展示されています。
(三井倶楽部プレオープン記念セミナー)
アインシュタイン来日から101年後の2023年(令和5年)3月25日(土)午前10時、その三井倶楽部で三井倶楽部プレオープン記念セミナーが開かれました。
ちょうど、桜が綺麗な時期です。
記念セミナーの会場は、1922年(大正11年)12月28日に歓迎会が催された場所でした。
下の写真は1922年(大正11年)12月28日の歓迎会の様子です。
写真中央にアインシュタイン博士夫妻がいます。写真を拡大しますね。
今回の記念セミナーのスケジュールは以下の通りです。
セミナーでは、アインシュタインが滞在した門司港の発展の歴史やその理由がわかり
有意義でした。
(アインシュタインのお宝を先行お披露目!)
今回の記念セレモニーでは、長らく行方不明になっていたアインシュタインのサインを、一般公開にさきがけ、先行お披露目されました。
このサインは群馬県館林の方が入手していたことがわかり、寄託されたそうです。
このサインは福岡で書かれたものです。
1922年(大正11年)12月24日のクリスマスイブに、福岡市でアインシュタインが日本最後の講演を行います。
そして、この講演に同行していた物理学者の石原淳が
「おほいなる 相対論の 創始者の 髭ややしろし 冬の陽あかく」と書いた歌の真ん中に アインシュタインが 「AE 1922」 と習字で書いています。
(1922年アインシュタイン来日、
北九州では三井倶楽部に宿泊)
アインシュタインは1922年(大正11年)に、改造社の創業者の山本実彦によって日本に招かれ、11月17日神戸港に到着します。
その後、仙台、京都、東京、大阪、神戸、福岡などに立ち寄り講演を行っています。
12月23日(土)夜に福岡県門司市にある三井倶楽部に宿泊し、翌日福岡に向かいます。
12月25日(月)のクリスマスには再び門司に戻り門司のYMCAで開かれたクリスマス会に参加しています。その席でアインシュタインは、バイオリンでアベ・マリアを演奏しています。
【出典:三井倶楽部アインシュタインメモリアル ルーム】
アインシュタインは、25日から29日まで門司の三井倶楽部に滞在し、27日(水)には
関門海峡や門司の対岸にある下関市を見学しています。
下の文字は三井倶楽部に掲げられているアインシュタイン直筆の「SAKAYEYA」。
12月24日に博多で滞在した栄屋旅館のことらしいのですが、栄屋旅館がなくなったのでここ三井倶楽部に掲げてあるそうです。
【上記写真は 「アインシュタインLOVE」実行委員会発行の図録「アインシュタインLOVE」からの引用】
28日、アインシュタインが日本を離れる前夜に送別会が開かれます。
会場は、今回、記念セレモニーが開かれた場所と同じです。
この送別会では、日本人関係者による義太夫、長唄、どじょうすくいなどが披露され、その返礼にアインシュタインはバイオリンを演奏しました。
そして12月29日 帰国の途に直前に、日本の師走の伝統行事であるもちつきにも参加しています。そして午後3時に日本郵船「榛名丸」で門司港から日本を立ちます。
【上記写真は 「アインシュタインLOVE」実行委員会発行の図録「アインシュタインLOVE」からの引用】
【三井倶楽部公式HP】
<<アインシュタインが宿泊した三井倶楽部への行き方>>
JR門司港駅正面 徒歩1分