日本書紀に登場する
日本最古の橋が、
かつて大阪にありました!!
(鶴橋の由来:つるのはし跡公園)
大阪に行った時に、地元の人から「大阪に来たら鶴橋で焼き肉じゃあ」と誘われました。
大阪の鶴橋=焼き肉として有名なのですが、この鶴橋という地名の由来となった「つるのはし跡公園」という場所がありました。
つるはし跡公園は、大阪環状線の桃谷駅のすぐ近く桃谷駅前商店街の近くにあります。場所は桃谷3丁目の南西辺りで道沿いです。
敷地の中央には大きな石碑があり、その石碑に向かう小道が橋のようになっていました。
この石碑の四隅には当時のつるのはしの親柱が置かれています。
親柱には「鶴之橋」と刻まれているのがわかります。
(日本最古の橋)
この「つるのはし」は、日本書紀に登場することから日本最古の橋だそうです。
日本書紀によれば、仁徳天皇14年の条に「冬11月、猪甘津(いかいのつ)に橋わたす。すなわちその処を号けて小橋という」と記されています。
この橋は、平野川(旧大和川)に架けられていた橋で、 かつては「猪甘津橋(いかいつのはし)」と呼んでいたそうです。
(つるのはしの由来)
この橋は、江戸時代に「鶴橋(つるのはし)」という呼び方に変わっていきます。
その由来については、江戸時代に書かれた「摂陽群談」という地誌に「この辺りに鶴が多く群れ集まったために、鶴橋という」と記されています。
また、“津の橋”から訛ったものという説もあります。
この橋は、1874年(明治7年)に川を深く掘り直したときに石橋に掛け替えられました。
その後、1923年(大正12年)に鶴橋耕地整理組合の手によって新平野川が開削され、旧平野川の川筋は1940年(昭和15年)に埋立てられて、つるのはしは廃橋となりました。
この公園は1952年(昭和27年)に橋の名を後の世に伝えようと1952年(昭和27年)に作られ、記念碑を建て、当時の親柱4本を保存しました。
(小野小町の歌碑)
公園内には「小野 小町」が詠んだ歌を記した歌碑もありました。
歌碑には
「忍ぶれど 人はそれぞと 御津の浦に 渡りそめにし 猪甘津の橋」と刻まれています。
小野小町もこのあたりに来たんでしょう。。
(江戸時代のつるのはし)
公園内には、江戸時代に活躍した浮世絵師・長谷川 貞信が描いた、江戸時代のつるのはしが描かれています。画面右下の橋です。
また江戸時代の1701年(元禄14年)に描かれた「平野川・大和川 絵図」もありました。
地図の下部分をよく見ると。。
「猪飼野村」と「木野村」を繋ぐ橋に「鶴の橋」と赤文字で書かれているのがわかります。
【大阪市HP つるのはし跡】
<<つるのはし跡公園への行き方>>
オオサカシティバス「桃谷駅筋」下車 東すぐ
日本書紀に記された日本最古の橋。
その地に立つと感無量です。