日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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1914年(大正3年)1月12日午前10時5分 桜島大噴火 大隅半島と陸続きになる! 大正大噴火(鹿児島 桜島)

 

【埋没鳥居の隣にあった資料館の写真より】

1914年(大正3年)1月12日、
鹿児島県にある桜島が大噴火します。大正大噴火です。
この大噴火で溶岩などが流れ出し
桜島大隅半島と陸続きになりました。

(鹿児島のシンボル:桜島
鹿児島県のシンボル桜島。東西約12km、南北約10 km、周囲約55 km、面積約77km² の火山で、今もよく小規模な噴火をしています。

(大正大噴火)
1914年(大正3年)1月12日、桜島は大噴火を起こし、この噴火は1915年(大正4年)9月頃まで続いたと推定されています。

大正大噴火と呼ばれるこの噴火は、20世紀以降、日本で起きた火山噴火の中で噴出物量では最大であり、58名の死者、行方不明者を出したとされています。
下の写真を見るとその爆発の凄まじさがわかります。
この噴火で噴出した大量の火山灰・軽石は、上空18,000m以上まで上昇し、特に火山灰はカムチャッカ半島まで飛んでいったといわれています

(出典:「幕末・明治・大正回顧八十年史 第16輯」東洋文化協会出版 18ページ
デジタル国会図書館 https://dl.ndl.go.jp/pid/8797972/1/18

 

(すさまじい火山灰)
この大噴火で一帯は火山灰、軽石等で埋め尽くされます。民家も御覧の通り。

(出典:「幕末・明治・大正回顧八十年史 第16輯」東洋文化協会出版 18ページ
デジタル国会図書館 https://dl.ndl.go.jp/pid/8797972/1/18

煙の量と凄まじさが写真から読み取れます。

【上2枚とも埋没鳥居の隣にあった資料館の写真より】

 

(火山の噴火で島と半島がつながった!!)
現在、桜島は、大隅半島と陸地でつながっています。それは、この大正時代の桜島噴火で流れ出した溶岩が島と半島をつないだのです。

下の写真は島から海中へと流れ出す溶岩です。

(出典:「幕末・明治・大正回顧八十年史 第16輯」東洋文化協会出版 18ページ
デジタル国会図書館 https://dl.ndl.go.jp/pid/8797972/1/18

(今も残る大正大噴火の傷跡)
実際に桜島に行き、大正大噴火の傷跡を発見しました。

これ、神社の鳥居です。火山灰で3メートルほど埋まっています。

この鳥居は、「埋没鳥居」と呼ばれていて、桜島の火山が噴火したときに噴出した灰などで、ここまで埋まりました。

(3メートルの鳥居のほとんどが埋没)
この鳥居阿がある黒神地区には、桜島の噴火でわずか1日で2メートルの軽い石や火山灰が積もりました。
黒髪集落の家々は屋根だけ残したままの姿で埋まってしまい、さらに高さ3メートルの腹五社神社の鳥居は、火山灰に埋め尽くされました。

【埋没鳥居の隣にあった案内板の写真より】

 

この埋没鳥居は、当時の東桜島村長の野添八百蔵氏が噴火の脅威を後世に伝えようと、そのままの形で残すことにしました。

 

とにかくすさまじい噴火でした。

【埋没鳥居の隣にあった案内板より】

【埋没鳥居公式サイト】

(噴火時の避難のための24時間フェリー)

桜島鹿児島市を結ぶフェリーは噴火の時の避難を考え24時間運航しています。
桜島フェリーに関しては下をクリックして御覧下さい

 

1月12日は桜島の大噴火・大正大噴火が起きた日です