1911年(明治44年)4月9日、
東京・吉原で火災が発生し、ほぼ全焼しました。
これは映画「吉原炎上」にも描かれた吉原最大規模の
火災です。
【出典:
https://dl.ndl.go.jp/pid/1920445/1/222)
(4月9日出火)
1911年(明治44年)4月9日火曜日、午前11時30分頃、東京市浅草区にある吉原遊廓内から出火がありました。
火は南西の風に煽られ、吉原遊廓全体に燃え広がり、貸座敷300余戸、引手茶屋123戸など遊廓内のすべてを焼きつくします。
さらに折からの強風(毎秒12mの南風)によって周辺の家屋など四方に延焼し、西は下谷区竜泉寺町、東は隅田川沿いの浅草区橋場町、さらに千足から南千住に至り、23か町、全焼6,189戸、半焼69戸、焼損面積6万9,539坪(22万9,479平方メートル)の大火となりました。
この吉原の大火には、消防隊だけでは間に合わず近衛一連隊や警察隊も協力して消火活動にあたりました。
さらに、東京の蒸気ポンプだけでは足らずに横浜へ応援要請します。横浜の消防隊は、蒸気ポンプを貨車で輸送して駆けつけ消火活動にあたりました。
午後4時30分頃には吉原一帯は全焼し日本堤警察署、隅田川駅も焼失しました。
この大火事は、午後9時頃にようやく鎮火しました。
下は火災状況を伝える当時の新聞記事です。
記事を拡大してみますね。火災で「見返り柳」が根本だけが残たようですね。
【出典:
https://dl.ndl.go.jp/pid/1920445/1/223)
その大火を切り抜けた見返り柳は今もありました。
(被害総額700万円!!)
吉原をほぼ全焼させた火災発生が昼間だったことで死者は8人でしたが、当時の報道によると被害額は吉原が500万円、すべてあわせると700万円だと言われています。
吉原遊郭跡地を歩き今も残る当時の名残をまとめました。
この1911年〔明治44年〕の吉原の大火を描いた映画が「吉原炎上」です。
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・・・ということで4月9日は
吉原遊郭が火事でほぼ全焼した日です。