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4月15日 乗客の約7割が死亡…“不沈船”タイタニック号沈没|当時の新聞はどう報じたのか

1912年(大正元年)4月15日。

豪華客船「タイタニック号」が、北大西洋で氷山に衝突し沈没するという、
史上最も有名な海難事故が発生しました。

多くの犠牲者を出したこの事故は、世界中に大きな衝撃を与えます。

では、この大惨事を当時の新聞はどのように伝えていたのでしょうか。

本記事では、タイタニック号沈没の概要を振り返るとともに、
当時の新聞記事をもとに、その報道内容や表現を読み解いていきます。

一次資料から見えてくる“当時の世界の受け止め方”に迫ります。

新聞集成明治編年史 第十四卷 - 国立国会図書館デジタルコレクション

【4月15日】今日はタイタニック号沈没の日!
これは人類史に刻まれた海難事故です。

1912年(明治45年)4月15日午前2時20分。
イギリスの豪華客船「タイタニック号」が北大西洋の海に沈没しました。
乗客と乗員をあわせた7割が命を落とすという、海難事故史上もっとも悲劇的な出来事のひとつです。

(「不沈船」と呼ばれていたタイタニック号)
タイタニック号は、イギリスの海運会社ホワイト・スター・ラインが建造した当時世界最大級の豪華客船です。

全長約269メートルで、総トン数46,329トン、最高速度は23〜24ノットという性能を誇りました。


(4月10日 サウサンプトン港を出発)
1912年(明治45年)4月10日、イギリス・サウサンプトン港を出発し、アメリカ・ニューヨークへ向かう処女航海の途中、悲劇は起こります。
(実際の乗客者数と死亡者数は不明)
出航直前の乗船キャンセルによって乗客リストが不正確であり、また偽名を使って乗船した人がいたり、犠牲者リストが重複して数えられていることなどから、この沈没による被害者の正確な数はわかっていません。そのため死者数は1,490人から1,635人と見積もられています。

(氷山との衝突)
4月14日23時40分ごろ、カナダ・ニューファンドランド沖でタイタニック号は氷山と衝突。

衝突により船体の横腹が大きく損傷し、6つの水密区画に大量の海水が流入。
そこからわずか2時間40分後の4月15日午前2時20分、船は完全に沈没しました。

(致命的に不足していた救命ボート)
タイタニック号には、20隻の救命ボートが搭載されていました。

  • 定員65名の木製ボート:14隻

  • 定員40名の木製ボート:2隻

  • 定員47名の折りたたみ式ボート:4隻

合計で最大収容人員は1,178人。
しかし乗船者数は2,200人以上。
救命ボートの数は明らかに足りず、すでに事故への備えとしては不十分だったのです。

加えて、事故現場では混乱が広がり、定員に満たない状態で出発したボートも多く、結果として多数の命が失われました。
(救助されたのはわずか710人、死亡率約7割!)
事故の発生直後から、タイタニックの無線通信士はモールス信号「SOS(・・・ ――― ・・・)」を打電し続けました。

その信号をキャッチしたのが、ニューヨークから地中海へ向かっていたイギリスの客船「カルパチア号」。
カルパチア号は現場へ急行し、わずか710人の命が救われたのです。
下の写真は4月15日の朝にカルパチアから撮影された折りたたみボートDです。

このタイタニック号の生き残りの中に唯一、日本人がいました。
YMOの細野晴臣のおじいさんです。

(今も語り継がれる、タイタニック号の沈没)
事故から100年以上が経過した今でも、「タイタニック号沈没」は人類史に残る悲劇として語り継がれています。

そこには「テクノロジーへの過信」「人命軽視の規定」「想定外の自然の脅威」など、現代にも通じる数々の教訓が含まれているからです。

 

・・4月15日は
豪華客船・タイタニック号が沈没した日です。