
(出典:東京名所図絵 築地海軍省風船ヲ試る 歌川広重三世 明治11年出版:デジタル国会図書館https://dl.ndl.go.jp/pid/1307377)
1877年(明治10年)5月21日、
日本で始めての軍事用の気球
第一号球(だいいちごうきゅう)が
東京の空に上がりました。
(きっかけは西南戦争)
気球のきっかけは西南戦争でした。
1877年(明治10年)2月15日西南戦争が起き、西郷軍は進軍し北上します。熊本城は西郷軍に包囲され政府軍の籠城戦が始まります。 また、田原坂植木では熊本城への援軍として派遣された政府軍が西郷軍の攻撃に苦戦していました。

明治政府は、これらの状況を打破するために、気球の使用を検討します。
これは、1870年に起きた普仏戦争で、フランスの外相レオン・ガンベッタがプロイセン軍に包囲されたパリを気球で脱出した事例に倣って発案さ れたといわれます。
(陸海軍が気球開発)
陸軍省主導の下、工部省管轄下の工部大学校(東京帝国大学工学部の前身)、海軍省管 轄下の海軍兵学校、そして陸軍省管轄下の陸軍士官学校がそれぞれに気球開発を行います。
(5月21日気球・第一号球が帝都に飛ぶ!)
1877年(明治10年)には、陸軍工部大学が海軍と共同で奉書紙で型をつくったあとゴムで塗装した一人乗りの係留気球を製作します。
すでに5月3日にはテストを行っています。

(出典:新聞集成明治編年史 第三卷 昭和15年発行:国会図書館デジタルアーカイブス
https://dl.ndl.go.jp/pid/1920337/1/126)
そして、5月21日、東京築地にある海軍省前で気球の実験が行われました。
この実験では奉書紙にゴム塗装して、高さ16.2m、幅9mの一人用の気球を2個作りました。気球に詰めるガスは、芝金杉橋のガス工場 からパイプで送られました。
そして実際に気球が人を乗せて高度198mまで上昇しました。
この実験風景は人々の注目を集め、さまざまな錦絵に 描かれました。当時は「気球」ではなく「風船」と表現していたようです。

(出典:東京名所図絵 築地海軍省風船ヲ試る 歌川広重三世 明治11年出版:デジタル国会図書館https://dl.ndl.go.jp/pid/1307377)
(2日後の5月23日にも)
さらに2日後の5月23日にも、士官学校でも気球の実験が行われました。下の写真は士官学校での飛行試揚の模様です。

こうして実験に成功した気球ですが、西南戦争の状況が変わり熊本城の攻防戦の決着がつき西郷軍が敗走したため実用化は見送られました。
(日露戦争と気球)
その後、26年後、日露戦争で日本軍は、気球を使い露西亜軍がいる旅順港の偵察を行います。気球につながっていた籠に乗った兵士が望遠鏡で観測して状況を伝えました。

(出典:航空五十年史51ページ:昭和18年出版・デジタル国会図書館:
https://dl.ndl.go.jp/pid/1059374/1/51)
その後も日本は気球や飛行船の開発を続けて行きます。
。。。ということで5月21日は
日本で初めて軍事用の気球が飛んだ日です。



