日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

ダイエットの挑戦
重曹クエン酸水は効果がない
前立腺ガンやPSA
妖怪怪物
MENU

8月20日墜落:久我神社境内に建つ「粟根機墜落之地(福岡県水巻町)

福岡県水巻町の小さな神社の境内に
「粟根機墜落之地」と刻まれた石碑があります。

(久我神社に建つ石碑)
鹿児島本線水巻駅から歩いて40分の場所にある久我神社。

この神社の静かな境内に、ある石碑が建っています。

石碑には「粟根機墜落之地」の文字が刻まれています。

1944年(昭和19年)8月に北九州の八幡製鉄所を空襲に来たB29空襲を迎え撃った飛行第五二戦隊の飛行隊長である粟根逸夫大尉が乗る戦闘機が、ここに墜落しました。
八幡製鉄所を狙いB29来襲)
1944年(昭和19年)6月16日未明、中国・成都を飛び立ったB29が八幡製鉄所を狙って来襲します。これがB29による本土初空襲です。

その2か月後となる1944年(昭和19年)8月20日早朝、中国四川省成都を発進したB29が、北九州の八幡製鉄所などの軍需工業を攻撃目標として飛来します。
敵機襲来の知らせを受け、芦屋、小月、防府3基地の飛行隊が迎撃に向かい「撃墜確実13機、撃墜破40機以上」という戦果を挙げています。

下は、そのときの空襲の戦果を報告する当時の新聞(1944年:昭和19年8月22日朝刊)です。
空襲は20日、21日と2日続いたので22日の朝刊の記事です。

f:id:reiwa00502:20210808130040p:plain(粟根逸夫大尉墜落死)
この日は昼間だけではなく同日の夜間にもB29が来襲しています。
夜間出撃では、第十六飛行師団・飛行第五二戦隊からは四式戦疾風6機が出動しましたが、敵と遭遇することはありませんでした。
しかし、この夜間出撃では、飛行第五二戦隊の飛行隊長である粟根逸夫大尉が乗る戦闘機が墜落し戦死しています。
粟根逸夫は1940年(昭和15年)6月21日に陸軍航空士官学校を卒業し1944年(昭和19年)4月3日に飛行第五二戦隊の飛行隊長となりました。
(久我神社)
粟根機が墜落したのが陸軍芦屋基地近郊にある久我神社です。

神社の境内には「粟根機墜落之地」の碑が立っています。
なお、左右にある石柱は、当時の神門で墜落機がぶつかったため破損しています。

碑文です。ただし、戦闘機「飛燕」ではなく「疾風」が正しいと思われます。

(向かって右側)
陸軍少佐 粟根逸夫

広島県府中市篠根町出身

昭和十九年八月二十日夜 北九州上空侵入の米機を迎撃戦として離陸直後此の地にて散華 乗機飛燕は大破炎上 同時に社務所も消失した

平成四年盛夏

 

(向かって左側)

此のモニュメント石柱は事故機の接触により折損した当時の神門であります

静かな神社の境内に建つ碑。。街を空襲から守るために出撃したそんな歴史があるんですねえ。


(同じ日に・・体当たりでB29を撃墜し街を守る)
また、この日の空襲では、八幡市上空で爆撃を開始しようとしていたB29に小月基地から出撃した陸軍第十九飛行師団・飛行第四戦隊所属の野辺重夫陸軍准尉と高木傳蔵陸軍軍曹が搭乗する二式複座戦闘機「屠龍」が体当たりを敢行しB29を2機撃墜しています。f:id:reiwa00502:20210801140820p:plain

自らの命と引き換えに故郷の街を守ってくれた兵士に対し、地元の方々が毎年開催している慰霊祭があり,おっさんも毎年のように参列しています。

<<粟根機墜落之地の碑が建つ久我神社へ行き方>>
JR鹿児島本線 水巻駅徒歩40分程度
住所:福岡県遠賀郡水巻町古賀1-11-26

福岡県遠賀郡水巻町にある久我神社、
ここには粟根機墜落之地碑が静かに建っています。