9月24日――西郷隆盛が西南戦争で自決した命日。
その前日の秋分の日、鹿児島に行き、
侍軍団と一緒に西郷隆盛ゆかりの地を巡る、
およそ8kmの歴史ウォーク「西郷どんの遠行」に
参加しました。
(西郷隆盛の命日の前日に開催)
2025年(令和7年)9月23日(火:祝)おっさんは鹿児島にいました。
この日、西郷隆盛ゆかりの地を巡る9kmの歴史ウォーク「西郷どんの遠行(せごどんのえんこ)」に参加したのです。
このイベントは毎年、秋分の日に開催される鹿児島市の恒例行事。西郷隆盛の誕生地、または西郷屋敷跡を出発し、終焉の地、さらに墓がある南洲神社までの、およそ8キロを歩きながら、彼の生涯と偉業に思いを馳せるという催しです。
(西南戦争)
ここで西南戦争を紹介します。
江戸幕府が崩壊し、時代が明治になると明治政府は士族に対し、1876年(明治8年)に、「廃刀令」と「金禄公債証書発行条例」という刀や俸禄が無くなる法律を施行し武士の特権を奪っていきます。そのため経済的にも精神的にも追い詰められます。
1877年(明治10年)薩摩で、不平士族が、職を辞して帰省していた西郷隆盛を指導者にして蜂起します。西南戦争の始まりです。

薩摩軍は薩摩から北上し熊本県に入り熊本城、さらにその北部の田原坂などで攻防を
繰り広げます。

田原坂での攻防は17日間続き白兵戦を中心とした生々しい攻防が続きます。

戦いは兵力・物量に勝る官軍に次第に有利に進み、薩摩軍は各地で敗走し、やがて9月24日、鹿児島で西郷隆盛が自決し終焉を迎えます。
(西郷どんの遠行)
さて、今回参加した「西郷どんの遠行」ですが、鹿児島市内にある西郷隆盛のゆかりの地を歩くウォーキングです。
朝8時から10時の間に、出発地点(加治屋町誕生地または武町西郷屋敷)でスタンプ紙をもらいます。
下がスタートの時に配布されたスタンプ用紙です。
用紙には、ゆかりの地の地図がありますが、これがほとんど役に立たず、大変な目に
あいました。

出発時間は自由で、甲突川畔を北上→護国神社近くの座禅石→夏蔭城跡→城山頂上の本営跡→西郷洞窟→南洲翁終焉の地→南洲神社(南洲墓地・南洲顕彰館)までスタンプを押しながら、約8km1万歩を歩きます。13時までに到着すれば良いそうです。
(いざ出発!!)
出発地点は、加治屋町の西郷隆盛誕生地あるいは武町の西郷屋敷のどちらでもよいとの事でしたが、せっかく鹿児島に来たのだからと両方に行きました。最初に西郷屋敷、次に生誕の地です。
【西郷屋敷】
1873年(明治6年)、西郷隆盛は朝鮮への使節派遣の考えに反対されて鹿児島に帰ります。それから西南戦争が起きる1877年(明治10年)までの4年間を暮らしたところです。
【誕生の地】
文政10年12月7日(1828年1月23日)西郷隆盛がこの地で生まれました。

さて、これから西郷どんの遠行に出発です。

いざ、しゅっぱ~つ!!
甲突川沿いに延々と行き、座禅石に向かいます。
このルートは西郷隆盛と大久保利通が若い頃に歩いたそうで、その道を実際に歩くと感慨深いものです。
【座禅石】
西郷隆盛と大久保利通が若い頃に無参禅師に禅を学んでいましたが、その時にこの石に座禅をくみ修行をしたという場所です。


(おっさん遭難し武士軍団に救出される!!!)
さて、座禅石まではなんとか行けたのですが、次の「夏蔭城」に行こうとしたところ道がわかりません。
おっさんは鹿児島市初登場なので土地勘が全くありません。携帯のナビも役に立たず遭難してしまいました。
住宅地を延々と歩き途方に暮れたところ、侍軍団を偶然発見!!
急いで駆け寄ると彼らは、このウォーキングのしんがり部隊。・・・ということで、おっさんは、このお侍さんたちに着いていくことにしました。
このウォーキングは企画は素晴らしいですが、初心者、特に県外の人には難しいので、ナビ検索ができるように、目的地には住所を記載して欲しいです。
【夏蔭城】
城山攻防戦の激戦が繰り広げられた場所です。城山を守るための重要拠点の1つでしたが、正式な城や砦ではありませんでした。

夏蔭城から鹿児島市内を眺める・・いい景色です。
西郷たちもこの景色を眺めたのでしょう・・・
【城山本営跡】
熊本から敗走する西郷隆盛の一行は九州の山を越えて鹿児島を目指し、9月1日、城山に戻ります。西郷軍はここで籠城をしました。西郷隆盛以下370人でした。


ここは絶対に道がわかりません。。。侍軍団の皆さまの協力で無事行けました。
【南洲翁洞窟】
西郷隆盛以下、西郷軍の諸将が6日間洞窟で過ごしたと伝えられています。西郷隆盛はここで寝起きしたそうです。
城山陥落前日の23日の夜にはここで決別の宴が催されたそうです。

(西郷隆盛自害で西南戦争終結)
9月24日午前4時、政府軍の総攻撃が始まり、西郷は股と腹に被弾し諦めて自決します。
下の写真は、西郷隆盛終焉の地に立つ石碑です。「南洲翁」とは西郷隆盛の事です。
総大将の西郷の死により西南戦争は終わりました。
西郷隆盛終焉の地、映像を撮影しました。
2バージョンありますので御覧下さい👇
(撮影日は2025年:令和7年の命日の前日9月23日です)


(出典:新聞集成明治編年史 第三卷:国立国会図書館デジタルアーカイブス
https://dl.ndl.go.jp/pid/1920337/1/177)
(ゴールは西郷が眠る南洲神社)
「西郷どんの遠行」のゴールは「南洲神社」。
ここには西郷隆盛の墓地と南洲顕彰館があり、彼の遺訓や生涯を学ぶことができます。

人生初の「西郷どん遠行」。
2025年(令和7年)は鹿児島市の小中学生を含めた
1053人が参加したそうです。
県外から来たおっさんは侍隊に助けられ完走できました。
侍隊の皆さん本当にありがとうございました。

・・ということで、
2025年(令和7年)
西郷隆盛の命日の前日・9月23日に開催された、
西郷どん遠行は実に充実したイベントでした!!
侍隊の皆さん、道中有難うございました!!




