日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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時代別-江戸時代

1万円札の肖像・福沢諭吉が18年間過ごした福澤諭吉旧居 ~大分県中津市~

1万円札の肖像画として有名な福沢諭吉。その福沢諭吉に変わり2024年(令和6年)7月3日に、新しい1万円札が登場します。・・と言うことで、1万円札の男・福沢諭吉が過ごした大分県中津市の旧宅に行きました。 (中津が産んだ偉人・福沢諭吉)中津は福沢諭吉が…

江戸時代、浮世絵や演劇でも取り上げられた浅茅ヶ原の鬼婆(あさぢがはらのおにばば)伝説が伝わる東京都台東区の姥ヶ池

江戸時代、浮世絵や演劇で上映された浅茅ヶ原の鬼婆(あさぢがはらのおにばば)伝説。その伝説発祥の地が隅田川近くにありました。 (姥が池の碑)浅草を散策しているとき、浅草寺の二天門から東へまっすぐ歩いた花川戸公園で石碑を発見しました。姥が池の碑…

池田屋事件での新選組と思われる刀傷が今も残りハッキリと見ることができる!京都三条大橋の擬宝珠(ぎぼし)

京都鴨川にかかる三条大橋。この擬宝珠に、幕末に起きた池田屋事件で新選組がつけたと思われる刀傷が今も残っています!(池田屋に新選組が襲撃)幕末の1864年(元治元年)7月8日(旧暦:6月5日)に、京都の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの…

池田屋事件のきっかけとなった古高俊太郎邸跡

池田屋事件のきっかけとなった事件が起こった場所があります。そこには「勤王 志士 古高俊太郎邸址」と刻まれた石碑がたっています。 (勤王 志士 古高俊太郎邸址)京都市下京区河原町通四条上ル一筋目東入南側、四条河原町という、賑やかな繁華街の一角に石…

新選組が2番目の屯所とした西本願寺の太鼓楼

西本願寺の花屋町通と堀川通が交わる交差点の角にある太鼓楼、ここは、幕末期に新選組が屯所としました。 (人々に時を知らせた太鼓楼) 太鼓楼は1789年(寛政元年)に西本願寺に建立されました。高さはおよそ15メートル、内部は三層になっています。最上階…

京都島原にある「久坂玄瑞密議の角屋」の石碑 ~ここで色々な尊皇攘夷運動の密議が重ねられました~

京都市下京区西新屋敷の一帯は、かつて島原とよばれる花街でした。そこで揚屋(現在の料亭にあたる店)として営業していたのが角屋(すみや)です。角屋の前には「久坂玄瑞密議の角屋」の石碑があります。久坂玄瑞が、この角屋で同志と尊皇攘夷運動の密議を…

もう1つの壬生の新選組屯所:旧前川邸 ~ここで古高俊太郎へ拷問が行われ、その自白で池田屋事件につながります~

新選組の壬生の屯所の1つ、旧前川邸。ここでは池田屋事件のきっかけとなる古高俊太郎への拷問や切腹が相継ぎました。当時の部屋がそのままの姿で残っています。 ※当ブログでは、新選組時代を「前川邸」、新選組以降を「旧前川邸」と表現しています。(新選組…

新選組、最初の屯所で芹沢鴨暗殺の地 八木邸

新選組が訓練に明け暮れた壬生寺の北にある八木邸。ここは新選組の壬生駐屯地でした。また局長だった芹沢鴨が暗殺された場所でもあります。(新選組の屯所:八木邸、現在は和菓子屋さん)壬生寺の近くに八木邸がありました。現在、八木邸は、京都鶴屋・鶴寿…

京都 幕末の志士や新選組の隊士も足を運んだかもしれない島原西門近くにある島原住吉神社

JR山陰本線丹波口駅からすぐ、江戸時代には花街としてにぎわった京都・島原西門近くに島原住吉神社があります。 (花街・京都島原の近くにある島原住吉神社)島原住吉神社は京都の花街・島原の入り口近くにあります。もともとは、この地に住む住吉屋太兵衛と…

光縁寺 新選組総長・山南敬助のお墓がある寺

光縁寺は、自決した新選組総長・山南敬助のお墓がある寺です。(同じ家紋で意気投合)光縁寺の門前近くには、新選組の馬小屋があり、毎日、隊士たちが門前を行き交っていました。その中には新撰組副隊長の山南敬介もいました。ある日、山南は、山門の瓦が、…

新選組が訓練に励んだゆかりの寺 京都市の壬生寺

京都市中京区にある壬生寺は、新選組隊士たちの訓練場として使われていました。(新選組隊士達が壬生寺で訓練)新選組ゆかりの寺として知られている京都市の壬生寺。1863年、新選組の結成当初の新選組が駐屯地を京都・壬生に置き、壬生寺を、新選組隊士たち…

幕末の志士や新選組が利用した日本最古の花街・京都島原を歩く

京都の島原(しまばら)。京都市下京区にある日本最古の花街の名称で正式名称は「西新屋敷」といいます。(なぜ島原?)京都島原の歴史は豊臣秀吉までさかのぼります。秀吉が京都を再興するときに、二条柳馬場に柳町の花街の設営を許可します。その後六条坊…

新選組3番目の屯所 不動堂村屯所跡地 

JR京都駅の西方にある堀川通と塩小路通の交差点にあるリーガロイヤルホテル京都の敷地内には新選組不動堂村屯所跡碑があります。 (西本願寺から3度目の引っ越し) 1867年(慶応3年)6月15日、新選組は西本願寺から屯所を葛野郡不動堂村に移転しました。3度…

新選組3番目の屯所 洛中屋敷跡 ~新選組不動堂村屯所~

京都駅すぐ近く、ホテルの一角に石碑がありました。「此付近 新選組最後の洛中屋敷跡」と書かれています。この周辺は新選組3番目で最後となる不動堂村屯所の洛中屋敷跡です。 (西本願寺から3度目の引っ越し)1867年(慶応3年)6月15日、新選組は西本願寺か…

油小路事件の現場・・新選組に殺害された伊東甲子太郎~本光寺・伊東甲子太郎他数名殉難の地~

新選組は内部で対立や離反が何度もあり、かつての仲間を何人も殺害しています。新選組を離脱し御陵衛士を結成した伊東甲子太郎は宴に呼ばれ、酒に酔った帰り道に殺害されました。油小路事件です。(新選組を離脱し御陵衛士を結成した伊東甲子太郎)今回は、…

龍馬の敵討ちで襲撃するも、新選組に返り討ちにあう!!~天満屋跡 中井正五郎殉難の地~

幕末の京都は本当に殺伐としていました。坂本龍馬に心酔する中井正五郎は、龍馬暗殺の敵討ちで怒りを抱き切り込みを行います。しかし、返り討ちに遭い死亡します。その事件があった天満屋のあとには中井正五郎殉難の碑が建っています。(ポツンと小さな石碑…

5月10日 世界初の自治政府・隠岐島の自治政府 崩壊

1868年の5月10日、島根県の隠岐島にあった世界初の自治政府が崩壊します。隠岐騒動の終了です。 (隠岐島)島根県の隠岐島。島根半島の北方約50 kmにある島々で鎌倉幕府を倒そうとした後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流された島として知られています。幕末、隠岐島…

高杉晋作の158回忌「東行忌」:2024年(令和6年)4月14日(日)、高杉晋作の命日に墓前での慰霊祭=東行忌に参列

2024年(令和6年)4月14日(日)は、高杉晋作の命日・東行忌です。晋作を偲ぶ158回忌に参列してきました。 (開催地・東行庵) 高杉晋作の慰霊祭=東行庵158回忌が開催されたのは、山口県下関市にある東行庵(とうぎょうあん)です。この東行庵は、1884年(…

4月13日 巌流島の戦いの日=決闘の日 巌流島で開催された佐々木小次郎慰霊祭参列=舟島祭参加 2024年(令和6年)4月13日(土)

江戸時代初めの1612年4月13日、関門海峡に浮かぶ巌流島で、宮本武蔵と佐々木小次郎の戦い=巌流島の戦いが行われました。それにちなみ、4月13日は「決闘の日」となりました。戦いから412年たった2024年(令和6年)4月13日に戦いの地・巌流島で開催された佐々…

長崎市内にある、わが国ボウリング発祥の地

長崎ちゃんぽんで有名な長崎市松が枝町の「四海楼」の建物近くの植え込みに、「わが国ボウリング発祥の地」の記念碑があります。 (長崎市に建つ わが国ボウリング発祥の地碑) 「わが国ボウリング発祥の地」という石碑は、路面電車の「大浦天主堂下」で降り…

日本の鉄道発祥は長崎!!~長崎市にある“我が国鉄道発祥の地碑“~

長崎市に「我が国鉄道発祥の地碑」があります。ん?ん?日本の鉄道発祥と言えば、1872年(明治5年)に新橋・横浜間で走った鉄道では?なぜ長崎が鉄道発祥の地なのでしょうか?? (我が国鉄道発祥の地)長崎県長崎市新地町、旧長崎英国領事館の北、長崎みな…

高杉晋作と坂本龍馬・青春交響の塔 (山口県下関市) 

山口県下関市の関門海峡を望む海岸には、「青春交響の塔」と呼ばれる高さ10メートルもある2本の剣の形をした塔があります。この塔には、高杉晋作、坂本龍馬といった幕末の2大エースのレリーフがはめ込まれています。 (高杉晋作の生誕164年の誕生日に完成)…

3月3日(旧暦)、日本とアメリカ合衆国の間で、日米和親条約が締結

江戸時代の1854年、旧暦3月3日、 鎖国状態だった日本が開国します。江戸時代の大きな出来事であり、その後の体制や情勢の大きな節目となった日米和親条約が締結されました。 (開国) 江戸時代の1853年に鎖国をしていた日本にアメリカの黒船が突如訪れ、日本…

大河ドラマ「どうする家康」 ネタバレ,あらすじ 48話最終回「神の君へ」

2023年(令和5年)のNHK大河ドラマ「どうする家康」ついに最終回です。最終回「神の君へ」。そのストーリーを見てみましょう。(濠が埋まった大坂城に浪人たちが集結) カルバリン砲による攻撃によって大坂城の天守閣が崩壊し、茶々は徳川との和睦に応じます…

12月17日 蓮華王院・三十三間堂完成

平安時代末期の旧暦1164年12月17日、京都に三十三間堂が完成しました。 (三十三間堂紹介) 三十三間堂の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。 元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂・法住寺殿(ほうじゅうじでん)の一角に建てられた…

大河ドラマ「どうする家康」 ネタバレ,あらすじ 45話「二人のプリンス」

1年を通して放送する大河ドラマ。いよいよ終盤・もうすぐ終わりです。45話「二人のプリンス」。世帯平均視聴率は11、6%でした。さっそく、ストーリーを見ていきましょう。 (秀頼が気になる)家康は将軍職を息子の秀忠に譲って大御所となり、駿府城を居城と…

高杉晋作生誕地(山口県萩市)  

奇兵隊を結成した幕末の風雲児・高杉晋作の生家が山口県萩市にあります。 (晋作の生家は一部公開中)高杉晋作の生家は萩城下の菊屋横丁沿いにあります。 これがまた 実に赴き深い城下町の風景です。 晋作の生家は、現在、南側半分が公開されており、晋作の…

松下村塾発祥の地 玉木文之進旧宅

吉田松陰で有名な松下村塾。実は創始者は吉田松陰ではありません。松陰の叔父・玉木文之進です。 (松陰神社のすぐ近く)松下村塾の建物が残されている松陰神社のすぐ近くに、玉木文之進旧宅があります。小さな家ですが、その前には「松下村塾発祥之所」と刻…

長州萩の中央公園に立つ久坂玄瑞進撃像 

維新の志士・久坂玄瑞の像が山口県萩市にありました! (萩城下町すぐ近くにある久坂玄瑞像)薩摩藩とともに江戸幕府倒幕及び明治日本建設の重要な役割を果たした長州藩。その長州藩の萩城城下町のすぐ近くにある萩市中央公園に久坂玄瑞進撃像が立っています…

松下村塾で維新の志士を多数輩出した吉田松陰の生誕地  

維新の偉人たちをたくさん輩出した松下村塾の指導者・吉田松陰。その松陰の生誕地が山口県萩市にあります。 (萩を一望できる高台にある生誕地) 萩市内を一望できる団子岩とよばれる高台、ここに松陰が生まれる5年前の1825年に松陰の父・百合之助が、居をか…