時代別-江戸時代
1906年(明治39年)1月15日、坂本龍馬の妻・お龍さんは66年に及ぶ激動の人生を終えます。 (京都にある実家跡) 京都市の柳馬場三条下ルの此付近は、坂本龍馬の妻・お龍の実家跡です。 お龍さんは、坂本龍馬の妻と言うことで激動の人生を歩みました。 お龍さ…
2022年(令和4年)11月12日(土)開催の江戸幕府倒幕で活躍した長州藩の奇兵隊やその他の隊士の慰霊祭に参列してきました。 (東行庵) 慰霊祭の会場は、山口県下関市吉田にある東行庵(とうぎょうあん)。ここは幕末に活躍した高杉晋作を偲んで建てられた庵…
船に乗り、扇子を片手に勢いよく荒海に乗りこむ青年。 この青年は紀伊国屋文左衛門です。 おっさんは、貧乏な家に生まれたので自分の才覚で財を成した人を尊敬し、自身も財を築きたいなあと思っています。(ただ、まだその領域には至っていません)その尊敬…
凄まじい階段!!その数279段! しかも40度近い急勾配!! これは、山口県下関市彦島福浦町にある福浦金刀比羅宮です。 江戸時代には、吉田松陰も参拝しています。 (心臓破りの急階段、その数279段) 道路に面した鳥居、しかし福浦金刀比羅宮の本殿は山の上…
この写真は江戸時代に、豪商が発行し流通していたお札です。 「飴屋札」といいます。 この飴屋札を発行していたのが福岡県の小倉藩の豪商飴屋です。 現在の福岡県行橋市には、飴屋の門が残っています。 これです。。大型時代劇で出てくるような素晴らしさ!…
江戸時代の1653年6月20日、 神田上水、千川上水とともに 江戸三上水と呼ばれる玉川上水が、 この日完成しました。 (玉川上水とは)「玉川上水」は江戸の街で暮らす人々に必要な水を供給する目的で江戸時代に作られた人口の水路です。徳川家康が1603年に征夷…
江戸時代の1729年旧暦5月25日、 ベトナムからやってきた象が江戸にお目見えします!! (天皇と将軍に謁見した象) この象は、中国・清の商人が当時の将軍・徳川吉宗に象を献上したいと言い出した事がから始まりまし。 そして1728年、ベトナムの雄雌2匹の象…
江戸時代初めの1615年旧暦5月23日に 大坂夏の陣で命を絶った豊臣秀頼(享年23)の 嫡子・国松(8才)が 京都河原で首をはねられました!! 高校などの日本史の教科書には、「大坂夏の陣で豊臣秀吉の子供・秀頼が死亡し豊臣家が滅ぶ」との記述が見られますが…
【彰義隊の墓のすぐ近くの案内板に書かれていた戦いの図】 年号が「慶應」から「明治」に代わる 1868年旧暦5月15日、 江戸の町で新政府軍と幕府軍との戦いが起き、 幕府軍の彰義隊がわずか1日で壊滅します。 (彰義隊結成) 1868年(慶応4年)2月11日、鳥羽…
1615年5月8日、 大坂夏の陣で豊臣秀吉の息子の秀頼と、 その母淀殿が自害し豊臣家が滅亡します。 (豊臣秀吉死去、天下取りに動く家康) 1598年、豊臣秀吉は62歳で死去します。 この時、跡取りの豊臣秀頼は5歳の誕生日を迎える直前でした。 秀吉の死後、徳川…
【東京都調布市にある近藤勇生家の看板に使用されている近藤勇の写真】 近藤勇…幕末に活躍した新撰組の局長です この近藤勇が捕まり斬首されたのが 1868年(慶応4年)4月25日です。 (幕末に生まれ剣の腕で新撰組局長に) 近藤勇は、幕末の1834年、武蔵国多…
2022年(令和4年)4月14日は、 高杉晋作の命日です。156回忌。 晋作を偲ぶ東行忌が行われたので参列してきました。 (東行庵にて開催) 高杉晋作の慰霊祭=東行庵が開催されたのは、山口県下関市にある東行庵(とうぎょうあん)です。 ここは、1884年(明治17…
江戸時代に入って10年あまりの1614年4月16日、 京都府京都市東山区にある天台宗の寺・方広寺の鐘が 豊臣秀頼により鋳造されました。 この方広寺は、もともとは豊臣秀吉が奈良の東大寺にならって大仏建立した寺でしたが、燃えたので息子の秀頼が再建しました…
幕末、尊攘派による 初めての組織的な武力討幕運動をおこしたのが 天誅組です。 大阪・堺には、その天誅組が上陸したのを 記念した石碑「天誅組義士上陸遺蹟碑」があります。 (尊皇集団・天誅組) 天誅組は、土佐藩脱藩・吉村寅太郎などの尊皇攘夷派の志士…
宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した巌流島の戦いから410年となった 2022年(令和4年)4月9日の午前10時、戦いに敗れた佐々木小次郎の慰霊祭=船島祭が 巌流島に近い山口県下関市にある彦島八幡宮で行われたので、参列してきました。 (船島祭は彦島八幡宮瑞鳳殿…
幕末の1863年、3月13日、 京都の治安維持を担当する新撰組が結成されました。 1862年に結成された浪士組のうち京都に残留した芹沢鴨(36才)ら13名が京都守護職の松平容保の監督下に入り、新たに新撰組を結成しました。 新撰組は、将軍の護衛、京都の治安維…
1771年3月4日、小塚原で行われた死刑囚の腑分けに医師の杉田玄白、前野良沢などが 立ち合います。 そして、この席で2人はオランダ医学の正確さに驚き、医学書の翻訳を決意します。 (医学書と人体を見比べる) 杉田玄白は若狭小浜藩医、江戸に来た長崎通詞か…
江戸時代に作られたなんともあきれる法律「生類憐れみの令」。 その「生類憐れみの令」が1709年1月20日、廃止が決定されました。 (遺訓を守らず死後10日で廃止) 「生類憐れみの令」は、5代将軍徳川綱吉が制定して死後も守るように遺訓としたのですが、綱…
12月14日は、赤穂浪士の討ち入りの日です。 年末になると必ず話題にあがるのが「忠臣蔵」。 大河ドラマや映画などでも何度も紹介されましたね。 (忠臣蔵とは) 「忠臣蔵」。。誰もが一度は聞いたことがあると思いますが、ここでおさらい。 1701年(元禄14年…
大政奉還が行われたわずか1カ月後の 1867年11月15日、 坂本龍馬は京都で暗殺されます。 その日は坂本龍馬33回目の誕生日でもありました。 (大政奉還を演出した坂本龍馬) 坂本龍馬は、幕末の土佐藩脱藩浪人で維新の立役者。 貿易会社で日本初の総合商社で…
まもなく11月15日、 この日は坂本龍馬の誕生日であり、命日でもあります 大政奉還が行われたわずか1カ月後で、坂本龍馬33回目の誕生日にあたる 1867年11月15日に、坂本龍馬は京都で暗殺されます。 龍馬暗殺の地京都には、ゆかり場所がたくさんあります。誕…
JR上野駅の階段を上り右側にある西郷隆盛の像。有名ですよね。 そのすぐ近くにお墓があります。 「戦死之墓」と刻まれているこの墓は彰義隊の墓です。 彰義隊とは明治維新の戊辰戦争の際に江戸で抗戦した佐幕派の隊です。 (彰義隊結成) 1868年(慶応4年)…
「津浪記」と刻まれた石碑。。 大阪市大正区。JR大正駅から歩いてすぐ、安治川と木津川が合流するかかる大正橋の たもとにあります。 この石碑は、幕末の1854年に起きた「安政南海地震」とその直後に発生した津波の被害の状況を記した「安政大津波碑」で、地…
これぞ、石に刻まれた未来へのメッセージ!! 江戸時代の人が、「地震が起きたときにどう行動すれば良いのか?何を注意すればよいのか?」という教訓やアドバイスを未来に伝え残している・・そんな石碑があります。 和歌山県有田郡湯浅町にある深専寺(じん…
ライト兄弟の飛行より100年以上前。日本で空を飛んだ男が岡山にいました。 記録に残る空を飛んだ最初の日本人ではないかと思われます。 「世界で初めて空を飛んだ男」という記述もあります。 彼の名は、鳥人幸吉。 浮田幸吉、表具師幸吉、櫻屋幸吉、備前屋幸…
7月19日は、江戸時代の幕末・1864年に京都で 蛤御門の変が起きた日です。 このあたりの流れは、ややこしいので少し前から見ていきます。 長い間、鎖国政策を続けていた日本は1854年日米和親条約、さらに1858年には 日米修好通商条約を結び開国します。これは…
江戸時代、庶民の間で大ブームとなったものがあります。 お伊勢参り、すなわち伊勢神宮に参拝することです。 伊勢神宮は三重県伊勢市にあり、日本全国に8万あると言われる神社の最高位・中心となる本宗(ほんそう)で「お伊勢さん」とも呼ばれています。 伊…
幕末の1863年6月7日、奇兵隊が設立されます。 1863年、6月7日、長州藩の高杉晋作が藩から下関の防衛を任せられ、 その1つとして奇兵隊を設立します。 山口県下関市には、奇兵隊結成の地があります。 (白石邸で奇兵隊結成) 奇兵隊が結成される前の5月10…
新撰組。。人気ありますねえ。 さて、その新撰組を一躍有名にしたのが池田屋事件。 京都の池田屋に集まり、京都御所焼き討ちなどを計画していった尊皇攘夷派の志士を 襲撃した事件です。 その池田屋事件が起きたのが1864年6月5日です。 (時代背景) 幕末、…
京阪電鉄の中書島駅周辺は、坂本龍馬を中心に史跡がたくさんあります。 そこで今回は、中書島駅周辺で歩いて行ける史跡を紹介します。 下の地図を参照して下さい。 【出発駅は京阪電鉄の中書島駅】 京阪電鉄の中書島駅からスタートします。 【⓵伏見長州藩邸…