時代別-江戸時代
横浜港大棧橋の入口の開港広場には、地球儀の形をした石碑があります。気になってよく見ると「日米和親条約調印」と書かれています。おおお!!江戸時代の大きな出来事であり、その後の体制や情勢の大きな節目となった開国の石碑・日米和親条約締結の碑です…
江戸時代に西洋の窓口となった長崎市の出島。教科書に必ず出てくるこの小さな、歴史的に重要な人工の島が観光地として再現されています。 (扇形の人口の島:出島)出島は、1636年に徳川幕府の命により築造された海に浮かぶ人工の島、扇の形をしていて面積は…
色々各地をまわっていると、地元の困難を何とかしようと尽力された方々の功績を見ることがあります。 大分県中津市耶馬溪にある名勝としても知られる競秀峰の裾にある「青の洞門」と呼ばれるトンネルもその1つです。ここは和尚がノミで岩盤を削って穴を開け…
幕末も押し迫った1868年(慶応4年)3月20日、江戸幕府の天領だった島根県の隠岐島に世界初の自治政府が誕生します。隠岐騒動です。 (隠岐島)島根県の隠岐島。島根半島の北方約50 kmにある島々で鎌倉幕府を倒そうとした後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流された島…
大分県北部の都市・中津市にある中津城は、福岡県と県境にある中津川の河口沿いにあります。水門から海水が入り、堀の水かさが潮の干満で上下する水城です。高松城、今治城とともに日本三大水城の1つです。 (中津城の歴史)中津城は400年以上前からあるお…
出雲が産んだ出雲阿国の墓参りをしてきました。(出雲阿国の墓)出雲 阿国(いずもの おくに)は、安土桃山時代の女性で「かぶき踊り」を創始した人です。 その踊りが全国的に大人気となり、現在の歌舞伎になったと言われることから阿国は歌舞伎の祖と言われ…
吉原遊廓で遊んだ男が、帰り道に柳のあるあたりで、名残を惜しんで後ろを振り返ったことから命名された「見返り柳(みかえりやなぎ)」が台東区千束の吉原大門交差点にあります。 (見返り柳)台東区千束の吉原大門交差点にある1本の柳の木。通称「見返り柳…
現在、真田丸があった場所については諸説ありますが、最も有力な場所とされるのが、大坂市天王寺区餌差町にある大阪明星学園の敷地です。 (真田丸の最有力候補地)真田丸は、大坂城で手薄な部分である南側に、真田幸村が築いた出城です。この真田丸で幸村は…
徳川と豊臣の最後の戦いで活躍した真田幸村。その真田幸村が陣をかまえた真田丸があった大阪の三光神社。ここには大坂城への抜け穴が残っています。 (真田幸村が構築した真田丸) 大阪府中央区にある三光(さんこう)神社は、大阪城から少し歩いたところに…
大阪市天王寺区にある安居神社は、真田信繁終焉の地で境内には真田幸村の銅像や碑が建っています。 (真田幸村終焉の地:安居神社) 大阪市天王寺区にある安居神社。 1615年(慶長20年)旧暦5月7日、ここで、真田幸村が最後を遂げたと言われています。享年49…
(国立公文書館デジタルアーカイブより引用) 1843年(天保14年)閏9月2日、印旛沼の弁天山という場所に化け物が出現します。そして、その姿を見た13人が瞬殺されてます!! 見ただけで13人が即死する!!何たる殺人能力!!その怪物はいったい何?? (天保…
1万円札の肖像画として有名な福沢諭吉。その福沢諭吉に変わり2024年(令和6年)7月3日に、新しい1万円札が登場します。・・と言うことで、1万円札の男・福沢諭吉が過ごした大分県中津市の旧宅に行きました。 (中津が産んだ偉人・福沢諭吉)中津は福沢諭吉が…
江戸時代、浮世絵や演劇で上映された浅茅ヶ原の鬼婆(あさぢがはらのおにばば)伝説。その伝説発祥の地が隅田川近くにありました。 (姥が池の碑)浅草を散策しているとき、浅草寺の二天門から東へまっすぐ歩いた花川戸公園で石碑を発見しました。姥が池の碑…
京都鴨川にかかる三条大橋。この擬宝珠に、幕末に起きた池田屋事件で新選組がつけたと思われる刀傷が今も残っています!(池田屋に新選組が襲撃)幕末の1864年(元治元年)7月8日(旧暦:6月5日)に、京都の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの…
池田屋事件のきっかけとなった事件が起こった場所があります。そこには「勤王 志士 古高俊太郎邸址」と刻まれた石碑がたっています。 (勤王 志士 古高俊太郎邸址)京都市下京区河原町通四条上ル一筋目東入南側、四条河原町という、賑やかな繁華街の一角に石…
西本願寺の花屋町通と堀川通が交わる交差点の角にある太鼓楼、ここは、幕末期に新選組が屯所としました。 (人々に時を知らせた太鼓楼) 太鼓楼は1789年(寛政元年)に西本願寺に建立されました。高さはおよそ15メートル、内部は三層になっています。最上階…
京都市下京区西新屋敷の一帯は、かつて島原とよばれる花街でした。そこで揚屋(現在の料亭にあたる店)として営業していたのが角屋(すみや)です。角屋の前には「久坂玄瑞密議の角屋」の石碑があります。久坂玄瑞が、この角屋で同志と尊皇攘夷運動の密議を…
新選組の壬生の屯所の1つ、旧前川邸。ここでは池田屋事件のきっかけとなる古高俊太郎への拷問や切腹が相継ぎました。当時の部屋がそのままの姿で残っています。 ※当ブログでは、新選組時代を「前川邸」、新選組以降を「旧前川邸」と表現しています。(新選組…
新選組が訓練に明け暮れた壬生寺の北にある八木邸。ここは新選組の壬生駐屯地でした。また局長だった芹沢鴨が暗殺された場所でもあります。(新選組の屯所:八木邸、現在は和菓子屋さん)壬生寺の近くに八木邸がありました。現在、八木邸は、京都鶴屋・鶴寿…
JR山陰本線丹波口駅からすぐ、江戸時代には花街としてにぎわった京都・島原西門近くに島原住吉神社があります。 (花街・京都島原の近くにある島原住吉神社)島原住吉神社は京都の花街・島原の入り口近くにあります。もともとは、この地に住む住吉屋太兵衛と…
光縁寺は、自決した新選組総長・山南敬助のお墓がある寺です。(同じ家紋で意気投合)光縁寺の門前近くには、新選組の馬小屋があり、毎日、隊士たちが門前を行き交っていました。その中には新撰組副隊長の山南敬介もいました。ある日、山南は、山門の瓦が、…
京都市中京区にある壬生寺は、新選組隊士たちの訓練場として使われていました。(新選組隊士達が壬生寺で訓練)新選組ゆかりの寺として知られている京都市の壬生寺。1863年、新選組の結成当初の新選組が駐屯地を京都・壬生に置き、壬生寺を、新選組隊士たち…
京都の島原(しまばら)。京都市下京区にある日本最古の花街の名称で正式名称は「西新屋敷」といいます。(なぜ島原?)京都島原の歴史は豊臣秀吉までさかのぼります。秀吉が京都を再興するときに、二条柳馬場に柳町の花街の設営を許可します。その後六条坊…
JR京都駅の西方にある堀川通と塩小路通の交差点にあるリーガロイヤルホテル京都の敷地内には新選組不動堂村屯所跡碑があります。 (西本願寺から3度目の引っ越し) 1867年(慶応3年)6月15日、新選組は西本願寺から屯所を葛野郡不動堂村に移転しました。3度…
京都駅すぐ近く、ホテルの一角に石碑がありました。「此付近 新選組最後の洛中屋敷跡」と書かれています。この周辺は新選組3番目で最後となる不動堂村屯所の洛中屋敷跡です。 (西本願寺から3度目の引っ越し)1867年(慶応3年)6月15日、新選組は西本願寺か…
新選組は内部で対立や離反が何度もあり、かつての仲間を何人も殺害しています。新選組を離脱し御陵衛士を結成した伊東甲子太郎は宴に呼ばれ、酒に酔った帰り道に殺害されました。油小路事件です。(新選組を離脱し御陵衛士を結成した伊東甲子太郎)今回は、…
幕末の京都は本当に殺伐としていました。坂本龍馬に心酔する中井正五郎は、龍馬暗殺の敵討ちで怒りを抱き切り込みを行います。しかし、返り討ちに遭い死亡します。その事件があった天満屋のあとには中井正五郎殉難の碑が建っています。(ポツンと小さな石碑…
1868年の5月10日、島根県の隠岐島にあった世界初の自治政府が崩壊します。隠岐騒動の終了です。 (隠岐島)島根県の隠岐島。島根半島の北方約50 kmにある島々で鎌倉幕府を倒そうとした後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流された島として知られています。幕末、隠岐島…
2024年(令和6年)4月14日(日)は、高杉晋作の命日・東行忌です。晋作を偲ぶ158回忌に参列してきました。 (開催地・東行庵) 高杉晋作の慰霊祭=東行庵158回忌が開催されたのは、山口県下関市にある東行庵(とうぎょうあん)です。この東行庵は、1884年(…
江戸時代初めの1612年4月13日、関門海峡に浮かぶ巌流島で、宮本武蔵と佐々木小次郎の戦い=巌流島の戦いが行われました。それにちなみ、4月13日は「決闘の日」となりました。戦いから412年たった2024年(令和6年)4月13日に戦いの地・巌流島で開催された佐々…