日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

7年連続・2600日以上毎日更新中。全国の戦跡・史跡に足を運び、「当時の一次史料」と「現地映像」も交え発信。歴史に学び、人生大逆転を目指します。

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沖縄戦の戦跡16か所を巡る|実際に訪れた慰霊碑・壕・激戦地を写真で紹介

1945年に行われた沖縄戦は、日本国内で行われた最大の地上戦でした。
沖縄本島には現在も多くの慰霊碑や戦跡、防空壕が残されています。

この記事では、沖縄戦の歴史を感じることができる16か所の戦跡を実際に訪問し、現地の様子や歴史を写真とともに紹介します。
沖縄戦の歴史や戦跡巡りに興味がある方の参考になれば幸いです。

【現地取材】とタイトルに書きましたが、
一個人として沖縄戦が繰り広げられた場所を訪問し、
現地で自分の目で見て感じた「沖縄戦」を記します。
(現地で、生の声や何が起きたかを知りたい)
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)、沖縄では日米による激しい地上戦が繰り広げられました。

個人的な感想ですが、「沖縄戦」と聞くと、「日本軍が住民に自決を強いた」や「日本軍が住民を殺害した」といった話をよく耳にします。
その一方で、米軍が沖縄で何をしたのかについては、あまり語られることがなかったような気がします。

私は「沖縄戦で何が起きたのか?」を知りたくて、自分の目で“戦争の痕跡”を確かめるため、沖縄の地を訪れました。

このブログでは、「ひめゆりの塔」や「平和祈念公園」、や「旧海軍司令部壕」など──実際に訪れた16の戦跡から現地で感じた空気、さらに現地の人から伺った話を通して見えてきた“沖縄戦の真実”をお伝えします。

単なる観光地ではなく、命と向き合う場所。
沖縄戦の跡を歩いたことで見えてきた「平和とは何か」という問いを、あなたにも届けたいと思います。
(沖縄戦とは)
沖縄戦とは、1945年(昭和20年)4月1日の米軍の沖縄本島上陸から6月23日の牛島満軍司令官と長勇参謀長の司令部壕内で自決での日本軍の組織的戦闘が終了した、およそ3か月に及ぶ沖縄本島を中心に行われた米軍と日本軍との大規模な戦闘のことです。

沖縄戦での日米両軍の激しい戦闘に、一般住民も巻き込まれ、沖縄全体で10万~15万人が犠牲になり、また日本軍の戦死者は現地召集の兵士も含め約9万4000人をこえています。
そして、女性や子どもなど非戦闘員の集団自決なども発生しています。
(訪れた戦跡)
沖縄には、いまも“地上戦”の記憶が深く残っていました。詳細はサムネイルをクリックしてご覧ください。

1、日米の地上戦が繰り広げられた地
【沖縄戦最大の地上戦「嘉数の戦い」の地】

【旧海軍司令部壕】
自決した手りゅう弾の跡が壁に残っていました。

沖縄陸軍病院 南風原壕第20号】
沖縄戦では各地に野戦病院が作られました。

【飯上げの道】
沖縄県南風原町の陸軍病院と近くの集落を結ぶ道は「飯上げの道」と呼ばれています。この険しい山道を、ひめゆり学徒隊の方々が砲弾が行き交う中、命がけで食料を運んでいました。

【義烈空挺隊玉砕の地】
米軍に占領された飛行場を攻撃するために、熊本から出撃した義烈空挺隊が、強行着陸し散華した場所。

【沖縄戦の終焉、「第32軍司令部終焉の地」】

2、米軍は住民避難所や病院、市民を攻撃しています

【米軍の攻撃を受けた、糸満アブラチガマ】
米軍は、沖縄住民が避難したこの場所に火炎放射器や爆弾、空襲などで攻撃をしています。
非戦闘員である民間人への攻撃は、ハーグ陸戦条約違反行為です。

【米軍の攻撃を受けた沖縄陸軍病院山城本部壕】
国際人道法に基づき、戦争中であろうと、病院を含む医療施設や医療を担当する部署・団体は、攻撃されるべきではありません。
しかし、米軍は沖縄戦で複数の野戦病院を攻撃し、多くの医療従事者が命を落としています。
沖縄陸軍病院山城本部壕(サキアブ)もその1つです。

【米軍は避難所にガソリン入りドラム缶を投げました】
米軍は、人々が避難しているガマに、ガソリンや爆薬が入っているドラム缶を投げ込む「馬乗り攻撃」という実にひどい攻撃を行いました。
轟壕もその1つです。

【逃げ惑う市民への機銃攻撃】
米軍の攻撃で海岸部に追い詰められた、ひめゆり学徒隊の一部は、荒崎海岸で米軍の機銃攻撃を受け、その場で集団自決を選びました。
米軍が行った非戦闘員である民間人への攻撃は、ハーグ陸戦条約という国際法違反行為です。その現場に足を運びました。

3、集団自決という悲劇
沖縄戦では住民の集団自決という悲劇も起きています。
読谷村のチビチリガマでは、80名以上の住民が集団自決しました。

4、住民が遺骨を拾い集めて作った納骨堂だった魂魄の塔

5、沖縄平和祈念公園

(心に残った証言)
ひめゆり平和記念資料館で、ひめゆり学徒隊の方々の証言映像を見ました。
その中でも強烈な印象をうけた証言を紹介します。

その方は、米軍に追い詰められ集団で逃げていました。すると片言の日本語で「出ておいで」と投降を促すアナウンスが流れます。そこで、恐る恐る仲間たちと姿を現すと、いきなり米兵が機銃掃射を行います。
その方の前方には先輩が複数いましたが即死。先生も下半身が吹っ飛び、あたりは血の海になります。
その方は、撃たれた先輩方の下敷きになりそのまま失神したので、命を失う事がなく助かったそうです。
・・投降を促し、出てきたら射殺。しかも降伏をしている民間人に対し銃撃・・。言葉がありません・・

(相次ぐ米軍による婦女暴行)
これも現地の方から聞いた話ですが、沖縄戦が始まると米軍の占領地域では、アメリカ軍兵士による婦女子への性的暴行が多発しています。
しかし戦争に負けたという事で、米兵の性的暴行に対し被害者は、だだ我慢をするだけだったそうです。
そういう悲しい出来事が、米軍が上陸した後、沖縄各地で行われていたのです。(現地沖縄で見えたもの)沖縄戦について語られるとき、多くは「日本軍が住民に自決を迫った」「住民を殺害した」という話が先に挙げられます。

しかし、それだけが全てではありません。

沖縄本島に上陸した米軍は、ほとんどの民家を破壊し、多くの住民を殺害しています。これは国際法違反行為です。
また国際人道法に反する病院や医療施設への攻撃も繰り返し、多数の医療従事者が命を落としています。
さらに、占領地域では度重なる婦女暴行も行われました。

こうした事実を、私たちは決して忘れてはなりません。
歴史の真実を知り、語り継ぐことが、二度と同じ過ちを繰り返さないための道だからです。

沖縄戦の深い傷跡を胸に、平和への誓いを新たにしたいと思います。