日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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神社・お寺・石碑・像・城

壇ノ浦で滅びた平家の女性・海御前が祀られている水天宮(かっぱ神社):福岡県北九州市門司

壇ノ浦の戦いで身を投げた平教経の妻の海御前を祀った水天宮が、壇ノ浦の海岸近くにあります。しかもこの海御前は、河童の総帥に転生したそうです。(大積神社の一角にある水天宮)福岡県北九州市大積(おおつみ)地区。大積柄杓田1号線という道路が通ってい…

2024年(令和6年)4月21日(日)福岡縣護国神社で行われたガダルカナル島慰霊祭に参列し玉串を奉納してきました

太平洋戦争中、ガダルカナル島で約2万5千人が戦死や餓死でお亡くなりになりました。このうち、福岡歩兵第124連隊の将兵3,179名の慰霊祭が福岡縣護国神社で行われました。 (ガダルカナル島・餓島) 南太平洋に浮かぶイギリス領ソロモン諸島の1つで太平洋戦…

4月13日 巌流島の戦いの日=決闘の日 巌流島で開催された佐々木小次郎慰霊祭参列=舟島祭参加 2024年(令和6年)4月13日(土)

江戸時代初めの1612年4月13日、関門海峡に浮かぶ巌流島で、宮本武蔵と佐々木小次郎の戦い=巌流島の戦いが行われました。それにちなみ、4月13日は「決闘の日」となりました。戦いから412年たった2024年(令和6年)4月13日に戦いの地・巌流島で開催された佐々…

巌流島(舟島)の守り神・舟島神社

宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った巌流島。この島に1つの神社があります。舟島神社です。 (巌流島唯一の神社:舟島) 関門海峡に浮かぶ巌流島、正式名所は船島です。 巌流島(船島)の桟橋から徒歩1分程度のところに島の守護神である舟島神社があります。 こ…

河童で有名な筑後川が流れる久留米市で開催された「久留米水の祭典・かっぱ祭り」でカッパの手のミイラを神輿で担いだ男がいた!!

もしも、単なる普通のおっさんが、 カッパの手のミイラの御神輿を担いだことがある・・そんな人だったら・・・あなたはどう思いますか・・カッパの手のミイラを神輿で担いだ、世の中でそんな経験をした人はそういないと思います。その男こそが、私です!!(福…

ひめゆりの搭に行き現地で何が起きたかを感じて下さい

沖縄戦で有名なものの1つに、ひめゆり部隊があります。沖縄戦末期に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の近くにひめゆりの搭があります。 (ひめゆり部隊とは)日本軍は終戦の前年、1944年(昭和19年)12月に沖縄県で15~19歳の女学生を中心に看護訓練を…

高杉晋作と坂本龍馬・青春交響の塔 (山口県下関市) 

山口県下関市の関門海峡を望む海岸には、「青春交響の塔」と呼ばれる高さ10メートルもある2本の剣の形をした塔があります。この塔には、高杉晋作、坂本龍馬といった幕末の2大エースのレリーフがはめ込まれています。 (高杉晋作の生誕164年の誕生日に完成)…

沖縄戦の最初の日米激戦地・宜野湾市の嘉数高台公園から徒歩10分ほどの住宅地にある「独歩二十三大隊慰霊碑」と「下田部隊慰霊碑」

沖縄戦で日米両軍の激戦が繰り広げられた嘉数の戦い。その戦いが繰り広げられた沖縄県宜野湾市の嘉数高台公園から徒歩10分ほどの住宅街に「62師団独歩23大隊慰霊碑」と「球14212 下田部隊慰霊碑」の2つの慰霊碑が隣り合うように建立しています。 (沖縄戦最…

3月3日(旧暦)、日本とアメリカ合衆国の間で、日米和親条約が締結

江戸時代の1854年、旧暦3月3日、 鎖国状態だった日本が開国します。江戸時代の大きな出来事であり、その後の体制や情勢の大きな節目となった日米和親条約が締結されました。 (開国) 江戸時代の1853年に鎖国をしていた日本にアメリカの黒船が突如訪れ、日本…

沖縄県平和祈念公園内にひっそりと残る沖縄守備隊最期の地「第32軍司令部終焉の地」(摩文仁司令部壕)

糸満市にある平和祈念公園の片隅には沖縄戦で防衛を担った日本陸軍守備隊第32軍が最期を迎えた司令部壕が残っています。 (第32軍司令部終焉の地)現在、糸満市の平和記念公園にある黎明の塔。その脇にある海岸へと降りる階段を下りて行くと左側に壕がありま…

住民が遺骨を拾い集め作った、かつて沖縄県内最大の納骨堂・慰霊碑だった魂魄の塔

沖縄本島南部の糸満市米須にある戦没者の慰霊塔・魂魄の塔(こんぱくのとう)。終戦の翌年、住民が遺骨を拾い集め作ったかつて県内最大の納骨所・慰霊塔でした。 (魂魄の塔がある場所)地元在住の方にガイドをお願いし、沖縄戦跡巡りをしていた時、魂魄の塔…

南風原町喜屋武に建つ「南風原陸軍病院壕址の碑」 

米軍の艦砲射撃が始まった1945年(昭和20年)3月下旬から、本島南部への撤退命令が出された5月下旬まで使われた沖縄陸軍病院南風原壕。この壕は、黄金森と現在の南風原町役場近くの丘に掘られた人工壕の野戦病院でした。 (黄金の森にある南風原陸軍病院壕址…

2月22日 昭和最初の軍神・肉弾三勇士(爆弾三勇士)~当時の写真・肉弾三銃士の戦友の証言付き~

【出典:銅像物語 国史絵話(時代社 昭和16年出版)33ページ:デジタル国会図書館 https://dl.ndl.go.jp/pid/1717272/1/33 】 2月22日、昭和最初の軍神・肉弾三勇士(爆弾三勇士)が誕生しました。 (肉弾三勇士とは) 肉弾三勇士、別名、爆弾三勇士・・。19…

今も遺骨が残る・・沖縄戦で集団自決で80名以上が命を落とした読谷村のチビチリガマ

沖縄県読谷村にあるチビチリガマ。ここでは沖縄戦で、80名以上が自決をするという大惨事が起きました。そして、ここには今もなお遺骨が残っている事から遺族会によって立ち入りが禁止されています。 (チビチリガマ一帯は神秘的な雰囲気)沖縄県読谷村にある…

神武天皇即位から2684年:2024年(令和6年)紀元祭に参列してきたよ ~皇紀2684年紀元節の日の紀元祭に参加~

2024年(令和6年)2月11日(日)皇紀2684年の紀元節です。この日、神社で行われた紀元祭に参列しました。 (紀元節とは)2月11日の「建国記念の日」は、戦前は「紀元節」と呼ばれ、古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日とした日です。…

ひめゆり部隊(ひめゆり学徒隊)が手りゅう弾で自決した終焉の地「荒崎海岸」:沖縄本島南部の荒崎海岸にある、ひめゆり学徒散華の地

沖縄戦で、有名なひめゆり部隊。ひめゆり部隊終焉の場所は,現在ひめゆりの塔がある場所が有名ですが、それ以外にもあります。沖縄本島南部の糸満市の荒崎海岸では、ひめゆり部隊の10名程度が手りゅう弾で自決しています。その散華の場所を訪れました。 (荒…

久留米市にある遙拝台

福岡県久留米市の陸軍墓地に作られた遙拝台。赤煉瓦の円柱の立派な建物です。 (遙拝台とは・・) 遙拝台(ようはいだい)。。今では聞き慣れない言葉ですが、遙拝をする場所です。戦前、軍や行事などで、天皇が住む皇居の方向に向かって頭をさげる=宮城遥…

軍都・久留米の忠霊塔

福岡県久留米市野中町にある久留米競輪場。この一帯は、かつて久留米陸軍墓地があった場所で、現在は忠霊塔が建っています。 (そもそも忠霊塔とは?)忠霊塔とは、君主や国家のために戦争に出兵した戦死者の霊に対し、後世まで称え続けることを象徴するため…

陸軍橋(福岡県久留米市)

福岡県久留米市にある陸軍橋・見事なアーチの橋です。 (軍都・久留米にある陸軍橋)福岡県久留米市。戦前に陸軍の師団司令部があり、また肉弾三勇士が所属した独立工兵第18大隊がある軍都でした。 現在、久留米競輪場がある周辺に、陸軍橋が残っています。 …

諏訪野町公園にある第十八師団記念碑と、その向かい側にある日清・日露・日独 戦役記念碑(福岡県久留米市)

福岡県久留米市。国道三号線沿いにある西国分小学校の裏には諏訪野町公園があります。ここには、第18師団記念碑、さらに道路を挟んだ向かい側には、日清・日露・日獨戦役記念碑が建っています。 (軍都久留米にあった第十八師団)陸軍の師団司令部があり、軍…

爆弾三勇士之碑 (福岡県久留米市山川招魂社)

かつて、映画に歌に雑誌に新聞に教科書に・・・と、様々なものに取り上げられ、日本中に大ブームを起こした爆弾三勇士之碑がある、彼らの地元の山川招魂社に行ってきました。 (行きたかった場所・福岡県久留米市山川招魂社)福岡県久留米市。かつて陸軍の師…

福岡県久留米市の陸軍墓地跡地にある円形野外講堂

師団司令部があり軍都として栄えた福岡県久留米市。ここには当時全国的に珍しかった円形野外講堂が建てられ、今も残っています。 (ちょっとわかりにくい場所にある) 福岡県久留米市の野中町にある久留米競輪場一帯は、陸軍墓地があり、その一角には円形野外…

除夜の鐘を体験!!除夜の鐘を突いてきたよ!!

除夜の鐘・・・大晦日の夜にお寺で鐘をつく事です。大晦日のTVなどでよく見る光景ですが、除夜の鐘を1度は突いてみたいなあ・と思っていました。そして2023年(令和5年)12月31日23時過ぎに除夜の鐘を突くことができました。 (大晦日の風物詩) 子供の頃、大…

2023年(令和5年)の師走の大祓式に参加(亀山八幡宮)

1年の後半の穢れを落とす師走の大祓式に参加してきました。 (今年後半の祓いの儀式)神道の大祓(おおはらえ)は、日常生活で自然についた心身のけがれや罪を、祓い清めることをいいます。1年の半分が過ぎた6月と最終の12月が大きな節目とされるため、年に…

2023年(令和5年)に参加した神事

日本の地で日本人として生まれ,生きてきたので、日本の神事には、できる限り参加しようと思っています。2023年(令和5年)は以下の神事に参加しました。 【1月1日元旦 初日の出参拝】 【1月1日元旦 初詣:太宰府天満宮】 【1月15日 どんど焼き】 【2月3日 …

12月17日 蓮華王院・三十三間堂完成

平安時代末期の旧暦1164年12月17日、京都に三十三間堂が完成しました。 (三十三間堂紹介) 三十三間堂の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。 元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂・法住寺殿(ほうじゅうじでん)の一角に建てられた…

大河ドラマ「どうする家康」 ネタバレ,あらすじ 46話「大坂の陣」

いよいよ 大河ドラマ「どうする家康」もクライマックス。豊臣VS徳川の最終章・大坂の陣です。それではストーリーを見ていきましょう。 (腹をくくる)豊臣秀頼が大仏再建を行った方広寺の梵鐘の銘に「君臣豊楽」(豊臣家の繁栄を願っている)・「国家安泰」…

足尾銅山にある通洞鉱山神社 ~足尾銅山の最盛期から閉山を見てきた神社~

かつて日本一の銅の産出量を誇った足尾銅山は、閉山した今は観光施設の足尾銅山観光になっていて、トロッコで坑道に入って、見学ができます その出口付近には、小さな神社が鎮座しています。通洞鉱山神社です。 (1920年:大正9年建立)通洞鉱山神社は、足尾…

萩の城下町にある、最後の長州閥首相・田中義一の生誕の地

萩の城下町を歩いていたら第26代内閣総理大臣・田中義一の生誕地がありました。 (萩の菊屋横町) 山口県萩市の城下町・菊屋横町、、白いなまこ壁がいい雰囲気を出しています。萩の城下町は、町筋は碁盤目状に区画されていて、そこに中・下級の武家屋敷が軒…

高杉晋作生誕地(山口県萩市)  

奇兵隊を結成した幕末の風雲児・高杉晋作の生家が山口県萩市にあります。 (晋作の生家は一部公開中)高杉晋作の生家は萩城下の菊屋横丁沿いにあります。 これがまた 実に赴き深い城下町の風景です。 晋作の生家は、現在、南側半分が公開されており、晋作の…