日本軍関係-特攻・英霊・式典参加
1945年3月21日、桜花特攻は初めて出撃しました。野中五郎率いる神雷桜花特別攻撃隊の目的や背景、そして実際の結果までをわかりやすく解説。桜花とは何かを知りたい方にも最適な入門記事です。
戦争で命を落とされた方々を追悼する各地の慰霊祭・追悼式典への参列記録を一覧化。2021〜2025年に参加した現地レポや式次第、会場の雰囲気を写真・動画とともに紹介するアーカイブです。
大平洋戦争終結から80年目にあたる2025年(令和7年)。この年に参加した慰霊祭を振り返ります。【3月】・空襲から80年:東京大空襲追悼集会 【4月】・ガダルカナル島慰霊祭【8月】 ・B29体当たり勇士慰霊祭 ・原爆投下から80年:広島原爆慰霊祭 ・空襲から…
太平洋戦争末期、海軍で「天雷特別攻撃隊」という空中特別攻撃隊が編成されました。零戦に爆弾を搭載し、B-29爆撃機に挑む作戦で福岡県の築城飛行場で初陣を迎えます。天雷特別攻撃隊とは 大平洋戦争末期、日本本土を空襲するB29をなんとが阻止するために海…
戦中の特殊潜航艇訓練と「九軍神」の歴史を、愛媛・三机湾の慰霊碑で振り返る現地取材レポート。12月8日の真珠湾攻撃の背景と、訪問で感じた祈りを映像とともに記録します。
真珠湾攻撃で特殊潜航艇に乗り出撃した「九軍神」と岩宮旅館の関わりを、現地取材で紹介。伊方町の旅館資料室に残る貴重な史料と撮影動画を交え、当時の訓練と記憶をたどります。
熊本県北部の玉名平野に1年数カ月だけ存在した大浜飛行場跡地を見てきました。飛行場周辺は、戦後に開拓され、田畑や住宅地へと姿を変えていますが、「玉名教育隊」の正門門柱が残っていました。 (大浜飛行場)太平洋戦争末期には九州各地で飛行場が作られ…
1944年(昭和19年)11月20日、第一次玄作戦が行われました。人間魚雷回天の初陣です。(人間魚雷回天)人間魚雷・回天。太平洋戦争中に日本海軍が開発した兵器で、人間が座ったまま操縦し、敵艦に体当たりをする兵器です。全長は14.75m、先端部分には1.55…
鹿児島県北部にある出水市。ここには、出水海軍航空基地がありました。敷地内だった場所は、今は特攻碑公園となっています。(出水海軍航空基地)1943年(昭和18年)4月15日、航空要員を養成する練習航空隊として「出水海軍航空隊」が置かれます。 ここでは…
終戦直後、多くの日本人兵士や民間人がソ連軍によって連行されました。「シベリア抑留」です。 いったいなぜ起きたのか。どれほどの人が抑留され、そして何人が帰らぬ人となったのか――。 抑留から80年を迎えた年に、福岡市にある福岡縣護國神社で執り行われ…
神風特別攻撃隊第1号・関行男大尉の戦歴とその背景を、愛媛・西条市の五軍神慰霊祭の現地参列レポートで伝えます。1944年10月25日の出撃から現在までの祈りを映像とともに記録しました。
2025年(令和7年)、「戦後80年」という節目の年、福岡陸軍墓地の慰霊祭に参列しました。祖国のために命を捧げた先人に感謝と追悼を行い玉串を捧げてきました。 ※今回の式典参加、撮影及びブログ掲載に関し福岡県郷友連盟の皆様に承諾を頂きました。有難うご…
鹿児島県出水市にある「特攻神社」は、特攻第一号・関行男をはじめ、特攻隊として散華されたすべての隊員を祭神として祀る、静かなる祈りの場です。 (海軍出水航空基地内の隊内神社)2025年(令和7年)初秋、鹿児島県出水市にある「特攻神社」を訪れました…
福岡県北九州市門司区・蕪島に残る戦争遺構「四式肉薄攻撃艇(マルレ)格納庫」を現地レポート。洞窟の場所や見どころ、実際に訪れて分かった注意点や当時の背景もわかりやすく解説します。
終戦から80年となる2025年(令和7年)8月15日、千鳥ヶ淵戦没者墓地を参拝しました。(8月15日終戦の日に)終戦から80年目となる2025年(令和7年)8月15日(金)、全国戦没者追悼式が行われた日本武道館近くにある千鳥ヶ淵戦没者墓苑に参拝しました。 千鳥…
福岡県水巻町の小さな神社の境内に「粟根機墜落之地」と刻まれた石碑があります。 (久我神社に建つ石碑)鹿児島本線水巻駅から歩いて40分の場所にある久我神社。 この神社の静かな境内に、ある石碑が建っています。 石碑には「粟根機墜落之地」の文字が刻まれ…
8月19日、神州不滅特別攻撃隊が出撃します。その1人が、妻を後部座席に乗せソ連軍の戦車軍に向け特攻出撃しました。(終戦4日後)終戦4日後の8月19日、 満州の飛行場で九七式戦闘機を改造した訓練機、11機が飛びたとうとしていました。 「神州不滅特攻隊」を…
1945年8月15日。日本が戦争の終結を迎えた日から、80年。 2025年8月15日、私は東京・九段にある 靖国神社 を訪れました。 テレビ中継で見るのではなく、実際に参道に立ち、長い列に並び、静かに祈る人々の空気を感じるためです。 本記事では、終戦80年という…
1945年(昭和20年)8月17日、終戦を迎えたにもかかわらず、南樺太・恵須取町ではソ連軍の侵攻が続いていました。そして23人の看護師たちが、逃れられぬ運命の中で自決という道を選んだのです。(終戦直後に南樺太で起きた惨劇)1945年(昭和20年)8月15日、…
終戦の1週間前、1945年(昭和20年)8月8日、当時の日本の工業の心臓部で鉄鋼生産の拠点だった八幡製鉄所やその周辺の壊滅を目的とした大規模な空襲が起きます。八幡大空襲です。 この八幡大空襲では、約1万4千戸が焼損、約2500人が死傷しました。空襲から…
2025年8月9日。原爆投下から80年を迎えた長崎の朝、私は爆心地周辺に立っていました。 テレビや新聞で式典の様子を見るのではなく、自分の足で歩き、自分のスマートフォンで撮影していました。 その映像は、やがて海外ニュースで配信されることになります。 …
特攻隊と言えば鹿児島県の知覧や鹿屋が有名ですが、現地に行かなくても東京世田谷の特攻観音堂で特攻隊で亡くなられた方々の慰霊ができます!!(特攻隊の英霊を祀る世田谷観音)東京都世田谷区には、特攻隊として祖国のために命を捧げた英霊を祀る「観音寺…
1945年8月6日午前8時15分。広島に投下された原子爆弾は、市街地の上空約600メートルで炸裂しました。 それは現在の 東京スカイツリー(高さ634m)よりも低い高度です。住宅が密集していた街の上空で爆発したという事実は、現地に立ってみて初めて実感できる…
体当たり勇士慰霊祭とは何か。一般公開されない地元関係者中心の式典に特別参列。北九州防空戦の歴史と、現地で感じた祈りの空気を記録します。
福岡県北九州市門司区にある蕪島(かぶらしま)。太平洋戦争末期、この島には、本土上陸を行う米軍を迎え撃つためにマルレ(四式肉薄攻撃艇)が格納されていたそうです。(マルレとは) マルレとは、日本陸軍の「四式肉薄攻撃艇(よんしきにくはくこうげきて…
終戦末期の7月8日、JR高尾駅、当時の浅川駅が空襲を受けました。 このホームには、空襲で受けた機銃掃射の跡が今も残っています。 (2カ所の銃撃の跡) 高尾駅は、1901年(明治34年)8月1日に浅川駅として開業しました。その後、高尾・八王子地域に陸軍の飛…
このまま脱出したら、小学校や住宅に機体が落ちて大きな被害が出てしまう・・そう考え最後まで操縦し山に衝突して亡くなったパイロットがいます。陸軍小月飛行場の向後次郎軍曹です。(小月飛行場)1940年(昭和15年)3月に完成した陸軍の小月飛行場は、製鉄…
福岡市中央区薬院──高層マンションが建つこの場所には、太平洋戦争末期に、ある軍の施設がありました。「陸軍振武寮」。ここには生還を許されなかったものの帰還した特攻隊員たちが秘密裏に収容されていました。(今も残る「陸軍」と刻まれた陸軍票石)福岡…
1942年(昭和17年)6月2日、アフリカマダガスカルの地で敵艦二隻の攻撃に成功した2人の日本兵が死亡します。 (日本軍アフリカ沖で戦闘)1941年(昭和16年)に勃発した太平洋戦争・・・。この戦争では日本軍はアフリカのマダガスカル島でも戦っています。マダ…
1943年(昭和18年)6月1日瀬戸内海に面した香川県の詫間に、詫間海軍航空隊基地が開隊しました。(当初は飛行艇搭乗員養成施設)1943年(昭和18年)6月1日、香川県の瀬戸内海に面した詫間に、詫間海軍航空隊が水上機の訓練部隊として設置されました。 詫間海…




