江戸時代、浮世絵や演劇で上映された
浅茅ヶ原の鬼婆(あさぢがはらのおにばば)伝説。
その伝説発祥の地が隅田川近くにありました。
(姥が池の碑)
浅草を散策しているとき、浅草寺の二天門から東へまっすぐ歩いた花川戸公園で石碑を発見しました。姥が池の碑です。
この石碑がある花川戸公園は隅田川のすぐ近くにあります。
ここには、1891年(明治24年)に埋め立てられるまで、隅田川まで通じていたと言われる姥ヶ池(うばがいけ)という大きな池がありました。
そして、その姥ヶ池にまつわる伝説がありました。
(姥ヶ池にまつわる伝説)
姥ヶ池にまつわる伝説、それは用明天皇の時代の話です。
当時、ここは武蔵国花川戸の浅茅ヶ原と呼ばれる原野でした。ここには奥州へ向かう街道がありましたが、宿泊できるような場所がまったくなく、旅人たちは唯一の人家であるあばら家に宿を借りていました。
このあばら家には老女と若い娘が住んでいました。あばら家の老婆は、旅人が眠りに就くと、大石を落として頭を叩き潰して殺し、遺骸は近くの池に捨てて金品を奪ってしまうというとんでもない鬼婆でした。そして娘は何度もそんなことはやめるようにと諫めますが、老婆は聞く耳を持ちませんでした。
あと一人で千人の命を奪うところまできたある夕刻、浅草観音が旅人にばけて、その家に泊まります。老女がいつものように旅人の頭に石を直撃させ殺します、
しかし、殺したのは、なんと自分の娘でした。このことを、なげいた老女は仏眼を開き、大きな竜となって池の中へ消えていったそうです。
その話にもとづき、この“浅茅が原の鬼婆”にまつわる池として姥ヶ池と呼ばれるようになったそうです。
(浮世絵に、演劇に)
この話は、浅草寺の観音菩薩にまつわる伝説として、江戸時代以後に書籍や演芸・芝居・浮世絵なども取り上げられ、広く知られていきます。
悪事をする人を観音様が改心させるという、いかにもありそうな、そして大衆受けしそうな話ですね。
下は浮世絵師の月岡芳年の「月百姿」のうちの一作「孤家月」(ひとつやのつき)です。
こちらは浮世絵師の歌川国芳の「観世音霊験一ツ家の旧事」です。
<<姥ヶ池への行き方>>
浅草駅から徒歩で10分以内 花川戸公園内
住所:東京都台東区花川戸2-4
江戸時代、浮世絵や演劇でも取り上げられた
浅茅ヶ原の鬼婆(あさぢがはらのおにばば)伝説が伝わる東京都台東区の姥ヶ池がある花川戸公園は、
浅草寺のすぐ近くです。
浅草寺にいったら是非足を運んで下さい。