日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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光縁寺 新選組総長・山南敬助のお墓がある寺

光縁寺は、自決した新選組総長・山南敬助のお墓がある
寺です。
(同じ家紋で意気投合)
光縁寺の門前近くには、新選組の馬小屋があり、毎日、隊士たちが門前を行き交っていました。その中には新撰組副隊長の山南敬介もいました。ある日、山南は、山門の瓦が、山南家と同じ家紋だということに気がつきます。さらに、当時の住職と年齢が同じだったことから、2人の間には親交が生まれていきます。

新選組総長・山南敬助
光縁寺の境内の裏側には山南敬助のお墓があります。
この山南敬助は、新選組の総長でした。
山南は、江戸で小野派一刀流の免許皆伝となり、後に北辰一刀流千葉周作の門人となる剣の達人でした。ある日、近藤勇の天然理心流剣術道場・試衛館に試合を挑みますが敗れ、以後は近藤たちと行動を共にします。
京都で壬生浪士組が発足したときに、山南は土方歳三新見錦と共に副長に就任します。その後、内部争いが起き芹沢派が粛清されると山南は「総長」となり、局長の近藤、副長の土方に次ぐナンバー3になります。
山名は、1864年(元治元年)6月5日におきた「池田屋事件」には参加していません。

(失踪)
1865年(元治2年)2月、山南は「江戸へ行く」と置き手紙を残して失踪します。
新選組は、山南の行方を追い山南は、大津でつかまり連れ戻されます。
新選組では、脱走は死罪です。
連れ戻された山南は、前川邸で自決します。介錯人には、山南が弟のようにかわいがっていた沖田を指名します。
山南の切腹を見た近藤局長は「浅野内匠頭でも、こうは見事にあい果てまい」と賞賛したそうです。
そして山南の遺体は、住職と親しくしていた光縁寺に葬られます。享年33。

山南敬助のお墓)
墓地エリアへは受付で100円を納めます。
下のお墓の写真、中央は大石造酒造のお墓です。
右が山南敬助のお墓
左は12人の合同墓となっています。墓石には松原忠司桜井勇之進、小川信太郎、市橋鎌吉、田内知、右側面に田中寅三、加藤羆、左側面に矢口健一郎、佐野七五三之助、中村五郎、茨木司、富川十郎の名が刻まれています。

<<光縁寺>>
9:00~17:00

阪急電車四条大宮」から南へ徒歩2分くらい

所在地:京都市下京区綾小路大宮西入四条大宮町37


新選組から逃亡し、割腹自殺した山南敬助
その墓があるのが光縁寺です。