日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

7年連続・2600日以上毎日更新中。全国の戦跡・史跡に足を運び、「当時の一次史料」と「現地映像」も交え発信。歴史に学び、人生大逆転を目指します。

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尼崎市・開明中公園に残る戦争の爪痕──開明国民学校の塀に残るP-51戦闘機の機銃掃射跡 

兵庫県尼崎市の中心部にある開明中公園。
かつてここには旧開明国民学校があり、
その塀には、太平洋戦争末期に
米軍P-51戦闘機と思われる
機銃掃射の跡が
今も生々しく刻まれています。
(尼崎の静かな公園に残る機銃掃射の跡)
阪神尼崎駅から南へ徒歩5分ほどの住宅街の中にある「開明中公園」は静かな公園です。 その一角に、ひっそりと佇むコンクリートの塀があります。
この塀は、戦前、この地にあった開明国民学校の校庭に設置されていたものです。

何気なく通り過ぎてしまいそうなその塀には、よく見ると無数の穴が空いています。(旧開明小学校と尼崎の空襲)
兵庫県尼崎市は戦時中、軍需工場を多く抱えていたことから、大阪を狙った米軍の空襲の一部が尼崎にも及びました。 1945年(昭和20年)3月から8月にかけて、尼崎市は複数回の空襲を受け、死者479名、負傷者709名、罹災者42,094名という甚大な被害を出しました。

この塀がある開明地区も例外ではなく、1945年(昭和20年)6月1日には、B-29爆撃機の援護として飛来したP-51戦闘機による機銃掃射が行われたと記録されています。 この塀に残る弾痕は、そのときのものと考えられています。


(P-51:ムスタング)
兵庫県尼崎市の開明国民学校の塀に残る米軍戦闘機の機銃掃射をしたのは、第二次大戦 中にノースアメリカン社が開発したアメリカ陸軍航空隊の液冷式の戦闘機P-51ことムスタング(マスタング)と言われています。
このP51は日本各地を空襲していますが、その機銃掃射の威力はすさまじいものです。
P51は、1945年(昭和20年)7月8日に、東京の浅川駅(現在の高尾駅)を空襲していて、その時の機銃掃射の跡を、今も見ることができます。

鉄骨をえぐるくらいの機銃掃射の破壊力!!
これで人間を狙っていたのです!!
詳細は下をクリックして御覧下さい👇

(戦争遺産として保存された塀)
開明国民学校は、戦後、開明小学校となり、2004年(平成16年)に城内小学校と統合され、廃校となりました。 しかし、戦争の記憶を後世に伝えたいという声が多く寄せられ、高さ1.8m・長さ1.6mの塀の一部が「戦争遺産」として保存されることになりました。 現在は開明中公園の一角に移設され、説明板とともに静かに展示されています。

<<尼崎市の開明中公園機銃掃射塀への行き方>>
JR尼崎駅徒歩5分程度
住所:兵庫県尼崎市開明町2丁目

この塀は、ただのコンクリートではありません。
戦争という現実がこの街にも存在していたという証です。 戦争の記憶は、年々風化していきますが、
こうした遺構が残されていることで、
私たちは「過去に何があったのか」を知る事ができます。
尼崎市・開明中公園の塀は、
それを私達に静かに語りかけてくる戦争の証人です。