日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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尼崎の防空拠点・橘公園に残る高射砲台座を訪ねて

兵庫県尼崎市の中心部にある橘公園。
太平洋戦争末期、ここは防空拠点で高射砲陣地があり、
今もその高射砲台座跡が、2基残されています。
(尼崎と戦時中の防空体制)
兵庫県尼崎市は大阪に隣接する工業都市として、戦前から急速に発展しました。
特に太平洋戦争中は、住友金属工業プロペラ製造所をはじめとする軍需工場が集まり、重要な軍事拠点となっていました。
その防空のために高射砲が作られました。
(橘公園に残る2基の高射砲台座)
尼崎市役の隣にある橘公園には、現在も2基の高射砲台座が残されています。
いずれも由来看板なども設置されていないため、知らなければ素通りしてしまうかもしれません。

① 花時計奥のライオン像の台座
公園の花時計の奥にあるライオン像。この像が乗っている台座が、かつて高射砲が設置されていた砲座のひとつです。

現在はライオンズクラブによる寄贈像が置かれていますが、台座の形状や高さから、
往時の姿を想像することができます。

② ベンチと水道の横の円柱台座
もうひとつの台座は、公園内のベンチと水道のすぐ横にあります。

一見すると不自然な円柱が地面から突き出しているだけですが、よく見るとその上部には砲床の痕跡が残っており、これが高射砲の設置台座だったことがわかります。

ここ周辺の防空は「高射第3師団」が担当し、尼崎にはその配下である「高射砲兵第122連隊(炸7631)」が配置されていました。
尼崎市内には標高の高い地形が少ないため、人工的に高さ約3mの円筒形の台座を築き、その上に高射砲を設置するという工夫がなされました。

  • 竣工:昭和20年頃

  • 備砲:88式7cm高射砲×6門(昭和20年6月)→99式8cm高射砲×6門(終戦時)

  • 目的:尼崎の軍需工場の防衛

1945年(昭和20年)6月15日に尼崎は空襲を受け、米軍機による焼夷弾攻撃で住友金属工業プロペラ製造所の大半を焼失し工場機能を停止しました。

<<高射砲台座が残る橘公園への行き方>>
JR立花駅から徒歩15分
住所:兵庫県尼崎市東七松町1丁目22-22

橘公園の高射砲台座は、
尼崎の空を守るために築かれた防空拠点の名残です。

由来を示す看板などは設置されていませんが、
静かに佇む台座は、戦争の痕跡を今に伝えています。