福岡県福津市の東郷神社の「日本海海戦慰霊祭」に参列。
5月27日は、日露戦争の「日本海海戦」が行われた日で、戦前は、海軍記念日でした。
1905年(明治38年)5月27日、東郷平八郎率いる連合艦隊は、バルチック艦隊を迎え撃ち、世界史上まれに見る歴史的大勝利を収めました。

その日本海海戦を、九州の地から見つめていた一人の青年がいました。
後にその青年は、「日本海海戦を後世に伝えたい」と奔走し、1935年(昭和10年)5月、福岡県福津市に東郷神社を建立します。
1905年(明治38年)に起きた日本海海戦から121年となる2026年(令和8年)5月27日(水)、その東郷神社で行われた「日本海海戦慰霊祭」に、参列してきました。

日本海海戦の戦場に最も近い日本本土の地
福岡県福津にある東郷神社。
東郷神社は東京原宿とここの2つしかありませんが、こちら福岡の東郷神社は、東郷元帥率いる日本海海戦を目撃した青年・安部正弘が、建立に尽力した神社です。

その神社が建つ丘は、日本海海戦の戦場に最も近い日本本土の地とも言われています。神社の近くには、日本とロシア双方の戦没者を慰霊する「日本海海戦紀念碑」も建てられています。

雨の中で行われた日本海海戦慰霊祭
日本海海戦から121年となる2026年(令和8年)5月27日(水)。
慰霊祭会場となった東郷神社に掲揚され、風に翻るZ旗、日章旗、海軍旗。。
この光景だけで胸が高まります。

会場内で風に翻るZ旗、日章旗、海軍旗、
動画でご覧下さい👇
慰霊祭会場は、東郷神社本殿前です。雨が激しいため境内にテントが張られました。


東郷神社の宮司が登場しました。傘を差されている女性が、宮司・川野万理子さんです。
この方は、この地から、日本海海戦の様子を目撃し、その後、この東郷神社建立に尽力した安部正弘さんのお孫さんです。

11時、慰霊祭開始
午前11時、「君が代」斉唱とともに式典が始まります。
参列者全員のお祓い、宮司による祝詞奏上と続き、境内は厳かな空気に包まれていました。

慰霊祭には、国会議員や市議会議員、自衛隊関係者、など100人余りが参列しました。

式典の様子、動画でご覧ください👇
その後、歌「日本海海戦」そして「海行かば」2曲の奉唱がありました。
その様子を録画しましたが、雨風が強く、後で動画を確認したところ音が良く撮れてなくて、とても公表できるものではないので、動画はUPしません。
最後は、玉串奉納。
こうして慰霊祭は午前11時40分頃に終了しました。


参列者には東郷神社から御土産が手渡されました。

東郷平八郎と「武士道」の精神
この慰霊祭に参列していて、ふと思い出したのは、東郷元帥の「武士道精神」です。
東郷元帥が、敗れたバルチック艦隊司令長官・ロジェストヴェンスキー提督が入院していた佐世保の病院に見舞いに訪れたときのことです。
この時、東郷元帥は、敗者に恥をかかせてはいけないとして、自ら勲章を外して面会したと伝えられています。
さらに、この地に記念碑を建立する際にも武士道にまつわる話があります。
当初、碑銘は「戦勝記念」とする予定でした。
しかし東郷元帥がこれを退けます。
「戦勝という言葉を使用するのは、尊い命を捧げた両国の犠牲者を思うと忍びない」と反対したために最終的に「海戦紀念」という言葉が刻まれました。
「日本海海戦紀念」その文字には、敵味方を超えて戦没者を悼む思いがありました。

📖 日本海海戦を描いた名作
司馬遼太郎『坂の上の雲』は、 日本海海戦や東郷平八郎、秋山真之らを含めた「日露戦争」を描いた名作です。
今回の慰霊祭に参列しながら、 改めて見たくなりました。
<<東郷神社への行き方>>
JR鹿児島本線「福間駅」から車で約20分。無料駐車場あり
福岡県福津市渡1815-1

東郷神社近くの「日本海海戦紀念碑」前で
行われるそうです。
今回は雨の中での開催となりましたが、
それでも121年が経った今なお、
この地で祈りが続いていることに深く心を打たれました。
いつの日か、
青空の下で行われる慰霊祭にも参列してたいと思います。





