日本は長い歴史上で、1回だけ外国の占領下になったことがあります。
占領下の日本を統治していたのがGHQ(連合国軍最高司令官総司令部:General Headquarters)です。
イギリス、アメリカ、中華民国、ソビエト連邦、カナダからなる連合国軍が、
日本の間接統治権を与えられ、アメリカ陸軍のダグラス・マッカーサー元帥がGHQの最高司令官になりました。
そのGHQの本部として使われた建物が皇居と東京駅の中間にある第一生命ビルで、
今も当時の姿のままです。
ただし、名称はDNタワー21となりましたが、このブログでは「第一生命ビル」と表記させていただきます。
このビルは皇居の向かい側、堀沿いに建てられています。
皇居を見下ろすこのビルにGHQの本部を置くことで、GHQが天皇よりも上に君臨しているという政治的な意図があるのではないでしょうか?
現在は後ろに白い高いビルがありますが、GHQ本部は手前のビルです。
日本の被占領期間は、太平洋戦争でポツダム宣言を受諾した1945年(昭和40年)8月15日から1952年(昭和27年)4月28日にサンフランシスコ平和条約の発効で日本が主権を回復するまでのおよそ7年間です。
1947年(昭和22年)から1952年(昭和27年)の間は、日本からの輸出品にはすべて「Occupied Japan」と入れることが義務付けられていました。
「Occupied Japan」、つまり「占領下の日本」というわけです。
ちなみにGHQの本部があったビルの隣には、「帝国劇場」があります。
建物の入口には、GHQの建物として使われたことを説明する案内板があります。
(GHQは何を行ったか)
第一生命ビルに本部を置いたGHQは、軍国主義の日本を民主主義の国にするという
目的のもと、帝国陸海軍の解体、戦争犯罪人の逮捕・裁判、また思想や言論統制などの廃止、治安維持法と特別高等警察(特高)の廃止、共産党員など政治犯の釈放、日本国憲法制定、財閥解体、農地改革、婦人参政権、学校給食への食糧援助などを行いました。
これらの実施で、日本は戦前とは違った姿になっていきます。
そして、サンフランシスコ平和条約の締結とともにGHQは、その活動を終了し解体しました。
(GHQは、最初は横浜税関にあった)
GHQと言えば、第一生命ビルを思い浮かぶ人がいると思いますが、最初は違う場所でした。最初は、1945年8月30日に現在の横浜税関に置かれていました。
横浜税関の3階にある広さ75平方メートルの旧税関長室は、マッカーサーの執務室となっていました。この横浜税関ビルはGHQが去ったあとには米軍の第8軍司令部が
入りGHQの政策が確実に実現されているかを監視するため全国に設けられた事務所を
統括する業務を担いました。
10月2日、GHQが第一生命ビルでの執務を開始します。
第一生命ビルは、1938年(昭和13年)に竣工し、第一生命本社として利用されました。終戦後、GHQの本部になり第一生命社長室が最高司令官のダグラス・マッカーサーの部屋になりました。
ここは今も「マッカーサールーム」として当時の品物と一緒に残っています。
【第一生命公式HPの「マッカーサー記念室」】
(GHQ最高司令官はマッカーサーだけじゃない)
GHQの最高司令官は、ダクラスマッカーサーが有名です。
当時の新聞には、「マ元帥」とよく表記されていました。
しかし、GHQの最高司令官は彼一人ではありません。
1951年(昭和26年)4月にマッカーサー元帥は、朝鮮戦争での中国爆撃作戦をめぐり
当時のトルーマン大統領と対立し、GHQの最高司令官を更迭されます。
彼の次には、マシュー・リッジウエイ氏という方が後任としてやってきます。
しかし、この方は1951年(昭和26年)4月に赴任しましたが、翌年4月にはサンフランシスコ平和条約締結で日本が独立をしたため、その在任期間は1年と少しです。
現在の日本の様々な制度やシステムの基礎を作ったとも
いえるGHQの本部が入っていた第一生命ビル。
今も当時と同じ姿で行きかう人々の見つめています。
<<GHQが入っていた第一生命ビルへの行き方>>
JR有楽町駅下車 徒歩2分
東京メトロ日比谷線・千代田線・都営地下鉄三田線 日比谷駅下車徒歩1分
東京メトロ有楽町線 有楽町駅下車徒歩1分
地下鉄出口B1、B2です。
住所: 東京都千代田区有楽町1-13-1 DNタワー21