1868年の5月10日、
島根県の隠岐島にあった世界初の自治政府が崩壊します。隠岐騒動の終了です。
(隠岐島)
島根県の隠岐島。島根半島の北方約50 kmにある島々で鎌倉幕府を倒そうとした後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流された島として知られています。
幕末、隠岐島は、天領であり松江藩預かりとなっていました
(幕末の隠岐島)
江戸時代末期、隠岐の島内部には、隠岐出身の国学者・中沼了三の影響で尊皇攘夷思想が島内指導者層に広まっていました。
1864年4月15日、ペリーの黒船が隠岐島に来ます。この時、松江藩の役人が対応しますが、その情けない対応姿勢に島民は失望します。
また外敵への危機感を抱く者も現れます。
1867年(慶応3年)、島の同志73名が連署して、外敵に備えるために文武の稽古場の設置を請願しました。
しかし、松江藩の郡代(ぐんだい)はこれが島の暴動につながることを危惧し却下します。このことで、郡代と尊攘派島民との対立が深まります。
(無血革命の隠岐騒動)
戊辰戦争がおきた1868年(慶応4年)2月26日、山陰道鎮撫使が隠岐の村役人にあてた文書を、郡代が事前に開封するという事態が起きました。
これに対し島の有力者や長老など100人が集まる会議が開かれ、郡代の追放が決議されます。
3月19日、島民3,000人が決起をします。しかし武力ではなく書面の提出と議論によって郡代以下に対し、島外追放を要求します。
翌20日郡代は船で隠岐島を去ります。島民達は追い出された郡代に米2俵、酒2斗を餞別として贈っています。無血革命です。
これを隠岐騒動と言います。
(島民による自治)
こうして島民は、水若酢(みずわかす)大宮司の忌部正弘(いんべまさひろ)を総指揮役とします。
下の写真は、隠岐島の水若酢神社です。
そして、陣屋に自治組織を置き、執行機関としての総会所、合議機関である会議所、文事頭取、目付など役割を分担して、隠岐を治める自治政権を樹立します。
また学問を学ぶ学問所も設立します。
こうして3月20日に隠岐島に誕生した自治政府、これはパリコミューンより3年早い世界初の自治政府です。
(5月10日崩壊)
隠岐の島の自治政府は80日間つづきましたが、5月10日に松江藩が武力攻撃を行い、陣屋を占領し、崩壊しました。
隠岐騒動に関して、詳しくはこれがよくわかります。隠岐の島町役場HPにある
・隠岐騒動に関する解説漫画
https://www.town.okinoshima.shimane.jp/www/contents/1562301372309/files/mangaomote.pdf
・隠岐騒動に関する解説
https://www.town.okinoshima.shimane.jp/www/contents/1562301372309/files/mangaura.pdf
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・・・・ということで5月10日は
世界初の自治組織・隠岐島の自治政府が崩壊した日です。