京都鴨川にかかる三条大橋。
この擬宝珠に、幕末に起きた池田屋事件で
新選組がつけたと思われる刀傷が今も残っています!
(池田屋に新選組が襲撃)
幕末の1864年(元治元年)7月8日(旧暦:6月5日)に、京都の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、新選組が襲撃します。池田屋事件です。
新選組が襲撃した池田屋の近くには鴨川が流れていて、三条大橋という橋がかかっています。
(新選組と思われる刀傷が!)
池田屋事件では、池田屋の中だけでなく、橋の上でも斬り合いが行われたらしく、今でも三条大橋の擬宝珠に、当時の刀傷と言われるものが残っています!!
刀傷の場所は橋の北側・南側の両側の擬宝珠で、それぞれ西から数えて2つ目の擬宝珠にあります。
なかでもよくわかるのは南側です。
これです。
よく見ると傷は2つです。
三条大橋の擬宝珠には2種類あって、天正時代に作られたものと昭和になって作られた物があります。新選組と思われる刀傷は当然、天正時代の物です。
この3年後。近藤勇は捕まって江戸で斬首され、その首が江戸より京の都に運ばれ、
この三条大橋下の河原で晒されます。
<<三条大橋 擬宝珠刀傷跡への行き方>>
今も残る新選組の刀傷・・・
幕末、この場所で
命がけの斬り合いが行われていたんです!