日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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今日は何の日 終戦後、ソ連が侵攻し少女たちが命を絶った夜──南樺太・恵須取町看護師集団自決(1945年8月17日)

1945年(昭和20年)8月17日、
終戦を迎えたにもかかわらず、
南樺太恵須取町ではソ連軍の侵攻が続いていました。
そして23人の看護師たちが、
逃れられぬ運命の中で自決という道を選んだのです。
終戦直後に南樺太で起きた惨劇)
1945年(昭和20年)8月15日、玉音放送により日本はポツダム宣言を受諾、戦争は終わったはずでした。

しかしその2日後、南樺太恵須取町では、若き看護師たちが命を絶つという痛ましい事件が起こります。
終戦後、樺太に侵攻するソ連軍)
1945年(昭和20年)8月9日、ソビエト連邦は日ソ中立条約を一方的に破棄し、樺太に侵攻を開始します。

8月15日の終戦後もソ連の侵攻は続き8月16日には南樺太の塔路に上陸。
上陸地のすぐ近くには、人口4万人を超える南樺太第二の都市・恵須取町(現・ウグレゴルスク)がありました。
恵須取町は、港湾を中心とする浜市街と鉱山を中心とする山市街に分かれていました。
下の写真は戦前に撮影された浜市街です。
恵須取町には、樺太最大級の炭鉱「太平炭鉱」と、その附属病院である太平炭鉱病院がありました。

(負傷者を見捨てず最後まで病院にとどまった看護師達)
8月16日未明、恵須取町ソ連軍の爆撃を受けます。

負傷者が運び込まれるなか、太平炭鉱病院の看護師たち23人が、8名の重傷者とともに病院にとどまりました。それは病人を途中で見捨てることなく、最後まで看護するという使命感を持っていたからです。

その後、患者さんの枕元に治療薬を配置し、再会を約束して外出します。
夜の10時ごろ、途中の武道沢で、ソ連兵が間近に迫っているという情報が入ります。
もう、どこにも逃げ場がない。
婦長・高橋フミ(32歳)は、「侵攻してくるソ連兵に辱めを受けるよりも死を」と決断します。

太平から約8㌔ほど離れた武道沢にある佐野造材部の農場事務所横に荷物を置いて、近くの小高い丘の上の大きなハルニレの木の下に集まります。

ここで 看護師たちは「君が代」「山桜の歌」などを唱和して、病院から持ち出した劇薬を飲みました。
また、ある人は、手術用のメスで自分の手首を切りました。


(6人が死亡、17人は奇跡的に助かる)
この集団自決で命を落としたのは以下の6人です:

  • 高橋フミ(32歳)

  • 石川ひさ(24歳)

  • 真田和代(20歳)

  • 久住キヨ(19歳)

  • 佐藤春江(18歳)

  • 瀬川百合子(17歳)

残りの17人の看護婦たちは、近くの住民に助けられ一命を取り留めました。

(慰霊碑に刻まれた名前)
8月24日、ソ連軍は樺太の中心都市・豊原(現ユジノサハリンスク)を占領。
翌25日には大泊港(現コルサコフ)も陥落し、南樺太全域での戦闘が終了しました。
(いずれも8月15日の無条件降伏後におきたソ連の戦闘行為です)
現在、札幌護国神社には、殉職した6人の看護師たちの名前が刻まれた慰霊碑が静かに佇んでいます。


この事件は、終戦後も南樺太に残された日本人女性たち、しかも医療従事者が
命の危機にさらされたという事実を物語っています。
私たちが、語り継ぐべき出来事です。