愛媛県宇和島市の静かな一角に、
ひっそりと佇む一基の石碑があります。
周囲にかつての面影はほとんど残っていませんが、
この石碑だけが、
戦時中にこの地に存在した
「宇和島海軍航空隊」の記憶を今に伝えています。
(幻の航空隊──その誕生と終焉)
宇和島海軍航空隊は、1944年(昭和19年)3月15日、松山海軍航空隊の分遣隊として開設されました。分遣隊長は糸永冬生中佐。甲種飛行予科練習生第13期(甲飛13期)の
一部が配属され、教育が始まります。
1945年(昭和20年)3月1日、松山空宇和島分遣隊が独立して宇和島海軍航空隊となりました。
しかし、わずか3か月後の6月1日には予科練教育を凍結。
さらに7月15日には航空隊そのものが解隊されました。
正式な航空隊としての活動期間は、わずか4か月にも満たない短いものでした。

(伏龍へと)
1945年(昭和20年)6月1日にt宇和島海軍航空隊は予科練教育を凍結したため、隊員たちは人間機雷・伏龍 要員に転属となります。

神奈川県鎌倉市の稲村ケ崎に伏龍の待機陣地が作られました。
ここは、相模湾を一望に見渡す絶好の地形であることから、米軍上陸時の水際特攻作戦の拠点と位置づけられたためです。現地に行きました👇
(滑走路なき訓練の日々)
宇和島海軍航空隊には滑走路は存在せず、予科練習生たちは、飛行訓練に入る前の基礎教育を受け、物理・数学・気象学・軍事学・通信術など、海軍飛行兵として必要な知識を習得していました。
彼らはまだ空を飛ぶことは許されず、地上での厳しい訓練に耐えながら、飛翔の時を待っていたのです。
ここで学んだ生徒たちは、予科練卒業後に飛行練習生として各航空隊に赴任し、ここで初めて操縦訓練開始となります。
(空襲と犠牲)
1945年(昭和20年)8月8日、宇和島海軍航空隊は空襲を受け、総重量約4,800kgの爆弾が投下されました。
この攻撃により、予科練生など18名が爆死したと推定されています。
爆弾が落ちた場所には湧き水がたまり、池となっていたといいます。
(石碑に刻まれた青春)
1979年(昭和54年)3月11日、元宇和島海軍航空隊第14期甲種飛行予科練習生の有志によって、隊跡に石碑が建立されました。
碑文には、戦時下での訓練の日々、亡き同期への追悼、そして平和への感謝と祖国の繁栄への祈りが刻まれています。
【記念之譜】
太平洋戦争熾烈の秋 我等海軍甲飛十四期生は此の地にて猛訓練に励み飛翔の機を待ちたり
爾来三十有余年 往時を偲びて感無量なり 平和の世にあるを謝し 我等の青春の譜を功銘せんとす
因って隊跡に碑を建て 亡き同期の桜の冥福を念じ 祖国の弥栄を祈るものなり
<<宇和島海軍航空隊跡碑への行き方>>
車で行きましょう
住所:愛媛県宇和島市坂下津田407-59 407
この石碑は、この地で祖国を守るために訓練に励んだ
若者たちの記憶を静かに語り続けます。





