
戦争中、陸軍が偽札や生物兵器など秘密兵器の研究を
行っていた陸軍登戸研究所。
その跡地を訪問しました。
(陸軍登戸研究所)
おっさんは中学の夏休みに陸軍登戸研究所について書かれた本を読みました。
ここは、戦前に日本陸軍によって開設された研究所で正式名称は第九陸軍技術研究所
ですが、地名から「登戸研究所」と呼ばれていました。
登戸研究所は第一科が特殊兵器・電波兵器、第二科が憲兵・スパイ器材や毒物・生物兵器、第三科がニセ札製造、第四科が研究品の製造・補給・使用指導をそれぞれ担当していました。


(第一科)
第一科ではさまざまな電波兵器の開発を進められました。なかでも、もっとも長い時間を費やしていたのは電磁波で人体を攻撃する「く号兵器」です。
これは、怪力光線で、強力な超短波を発射して物体や人体を電波によって攻撃する兵器で、1937年(昭和17年)から敗戦まで研究が続けられてました。
さらに、「ち」号兵器(超短波レーダー),標的が発する赤外線を感知して熱線源を攻撃する「ね」号兵器(熱線利用射撃管制装置),トーチカや鉄条網を破壊する無人戦車のような「い」号兵器(有線操縦兵器)などの開発を進めましたが,いずれも実用化に至至らず、その主流は風船爆弾へとシフトしていきます。

(第二科)
第二科は七つの班から構成されて、生物兵器,毒物,スパイ機材などの研究を行って、いました。
第一班は、乾くと文字が消え特殊な薬品を塗ると文字が浮き出る秘密インキの研究といった科学的秘密通信法や防諜器材・破壊謀略器材、憲兵科学装備器材の開発研究です。
第二班は秘密戦用の薬剤や毒物の合成・開発です。どんな鍛えられた軍用犬も吠えず、追跡を やめる薬剤の「エ」号剤も作られました。
第三班は無機系毒物としての亜砒酸、タリウム、シアン化合物、塩素ガス、一酸化炭素ガスなどを開発しました。
第四班は対動物謀略兵器を担当しました。そして第三班が開発した毒物兵器の動物に対する実験を行いました。主として豚が使用されたそうです。
第五班は、秘密・暗号用として情報を撮影するためのカバン型やライター型,ステッキ型といった特殊カメラ及び遠距離撮影用望遠写真機、夜間撮影用暗中写真機、水中撮影用写真機を開発しました。
第六班は、敵国に配布し、農業の生産能力を低下させることを目的とした小麦条斑病菌や小粒菌核病菌などの植物を枯らす細菌の研究を行いました。
アメリカ向けの植物菌兵器として対小麦の雪腐病菌、対トウモロコシの黒穂病菌、対馬鈴薯の瘡痂病菌などで、対中国生物細菌兵器としてニカメイチュウと小粒核病菌による枯葉剤作戦も研究されました。
第七班では、アメリカ本土で拡散を計画し風船爆弾に搭載する細菌兵器の開発が行われました。アメリカ人がよく食べる牛を殺戮する牛疫ウイルスなど家畜や肉牛にダメージを与える事を目的とした動物用細菌の研究を行っていました。

(第三課)
第三課では、偽札作りを行っていました.そのほかソ連の偽造パスポート,偽造インドルピー,偽ドルの印刷も行っていました。
(登戸研究所は登戸研究所資料館になっていた)
日本陸軍登戸研究所があった場所は、小田急線生田駅から徒歩で7~8分、小高い丘の上で、現在は明治大学農学部・理工学部がある生田キャンパスです。

登戸研究所時代の建物は、現在は明治大学平和教育登戸研究所資料館として使用されていて、無料で見ることができます。

(弾薬庫と伝わる施設)
登戸研究所資料館の近くには、弾薬庫と伝わる施設が今も残っていました。
その中にも入りました。

(動物慰霊碑)
近くには、研究所での実験に使用されていた動物の慰霊碑がありました。

(弥心神社:生田神社)
登戸研究所内には神社もありました。弥心神社です。

登戸研究所資料館公式HP↓
<<登戸研究所資料館への行き方>>
小田急線「生田駅」南口から徒歩約10分
開館水曜~土曜 10:00~16:00
休館日:月曜日、火曜日、日曜日
住所:神奈川県川崎市多摩区東三田1-1-1 明治大学生田キャンパス内
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是非是非、
機会があれば登戸研究所跡地に足を運んで下さい。
貴重な品々を見ることができます。





