日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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偽札、風船爆弾、細菌兵器・・陸軍登戸研究所を今に伝える登戸研究所資料館(明治大学生田キャンパス内 無料)

戦争中、陸軍が偽札や生物兵器など秘密兵器の研究を
行っていた陸軍登戸研究所

現在、資料館として無料で開放されています。

(陸軍登戸研究所
おっさんは中学の夏休みに陸軍登戸研究所について書かれた本を読みました。
登戸研究所は、戦前に日本陸軍によって開設された研究所です。正式名称は第九陸軍技術研究所ですが、地名から「登戸研究所」と呼ばれていました。

ここで中国の蒋介石政府を混乱させるための精巧な偽札作り、電波兵器やスパイ道具など秘密戦に関する研究や開発を行っていました。
それを知ったとき、行きたい!!と思いました。そして、ようやく訪れることが出来ました。

登戸研究所登戸研究所資料館になっていた)
日本陸軍登戸研究所があった場所は、小田急生田駅から徒歩で7~8分、小高い丘の上で、現在は明治大学農学部理工学部がある生田キャンパスです。

登戸研究所時代の建物は、現在は明治大学平和教育登戸研究所資料館として使用されていて、無料で見ることができます。

登戸研究所資料室は、一部は撮影禁止写真があるものの、基本的には撮影はOKでした。学校の教室のようにテーマごとに別れて資料やパネルが展示されています。

登戸研究所とは・・)
登戸研究所は第一科が特殊兵器・電波兵器、第二科が憲兵・スパイ器材や毒物・生物兵器、第三科がニセ札製造、第四科が研究品の製造・補給・使用指導をそれぞれ担当していました。

(第一科)
第一科ではさまざまな電波兵器の開発を進められました。なかでも、もっとも長い時間を費やしていたのは電磁波で人体を攻撃する「く号兵器」です。

これは、怪力光線で、強力な超短波を発射して物体や人体を電波によって攻撃する兵器で、1937年(昭和17年)から敗戦まで研究が続けられてました。
さらに、「ち」号兵器(超短波レーダー),標的が発する赤外線を感知して熱線源を攻撃する「ね」号兵器(熱線利用射撃管制装置),トーチカや鉄条網を破壊する無人戦車のような「い」号兵器(有線操縦兵器)などの開発を進めましたのだが,いずれも実用化に至至らず、その主流は風船爆弾へとシフトしていきます。

風船爆弾
風船爆弾はコーナーもありました。風船爆弾アメリカ本土攻撃の秘密兵器として1942年(昭和17年)から研究が開始されました。
風船爆弾は、和紙を蒟蒻糊でつなぎ合わせて作った直径10mの巨大気球の中に水素を充填し、爆弾や焼夷弾のほか高度調整装置などを爆弾を搭載した爆撃兵器です。

陸軍登戸研究所で、研究開発された風船爆弾は、やがて各地で作られ、1944年(昭和19年)11月3日未明に3カ所の基地から同時に放ちたれました。
以後1945年(昭和20年)3月までおよそ9300個が放たれ少なくとも300個程度が北米大陸に到達したとみられました。1945年(昭和20年)5月5日には被害も報告されています。

(第二科)
第二科は七つの班から構成されて、生物兵器,毒物,スパイ機材などの研究を行って、いました。

第一班は、乾くと文字が消え特殊な薬品を塗ると文字が浮き出る秘密インキの研究といった科学的秘密通信法や防諜器材・破壊謀略器材、憲兵科学装備器材の開発研究です。

第二班は秘密戦用の薬剤や毒物の合成・開発です。どんな鍛えられた軍用犬も吠えず、追跡をやめる薬剤の「エ」号剤も作られました。

第三班は無機系毒物としての亜砒酸タリウム、シアン化合物、塩素ガス、一酸化炭素ガスなどを開発しました。

第四班は対動物謀略兵器を担当しました。そして第三班が開発した毒物兵器の動物に対する実験を行いました。主として豚が使用されたそうです。

第五班は、秘密・暗号用として情報を撮影するためのカバン型やライター型,ステッキ型といった特殊カメラ及び遠距離撮影用望遠写真機、夜間撮影用暗中写真機、水中撮影用写真機を開発しました。 

第六班は、敵国に配布し、農業の生産能力を低下させることを目的とした小麦条斑病菌や小粒菌核病菌などの植物を枯らす細菌の研究を行いました。

アメリ向けの植物菌兵器として対小麦の雪腐病菌、対トウモロコシの黒穂病菌、対馬鈴薯の瘡痂病菌などで、対中国生物細菌兵器としてニカメイチュウと小粒核病菌による枯葉剤作戦も研究されました。

第七班では、アメリカ本土で拡散を計画し風船爆弾に搭載する細菌兵器の開発が行われました。アメリカ人がよく食べる牛を殺戮する牛疫ウイルスなど家畜や肉牛にダメージを与える事を目的とした動物用細菌の研究を行っていました。

731部隊の石井四郎が開発した濾過筒)
登戸研究所資料館第五展示室には、731部隊の石井四郎が開発した石井式濾水機の濾過筒が展示されていました。

野戦のときは飲料水確保が重大です。そのために開発されたそうです。また一説には細菌戦のためともいう説もあります。
実際に手に取ることが出来ました。

思ったよりも軽くて持ち運びに便利で戦地では役に立つと思われます。

帝銀事件との関わり??)
登戸研究所資料館にひっそりとあったのが下の写真です。
終戦後の混乱期の1948年(昭和23年)1月26日に、東京豊島区長崎にあった帝国銀行椎名町支店で起きた「帝銀事件」のことが紹介されていました。
しかし、登戸研究所との関連はハッキリとは説明されていませんでした。

(流し台)
スパイと言えば写真撮影。機密情報を撮影するために重要でした。

(第三課)
第三課では、偽札作りを行っていました.
当時戦っていた蒋介石政府の経済を混乱させるために偽札を作っていました。研究資料館には、偽札のコーナーがあります。

敵国に大量に偽札を流すことで、経済混乱を招き、戦局を有利にしようと、当時の価値で40億円分の偽札が作られたといいます。
偽札を大量に印刷することは、現地で軍需物資が自由に買え、兵士の給料もそれでまかなえるという利点もありました。
そのほか第三課ではソ連の偽造パスポート,偽造インドルピー,偽ドルの印刷も行っていました。

登戸研究所資料館は、陸軍登戸研究所で何が行われていたかがよく整理されています。


登戸研究所付近には、それに関するものがありました。

<<登戸研究所資料館への行き方>>

小田急線「生田駅」南口から徒歩約10分
開館水曜~土曜 10:00~16:00
休館日:月曜日、火曜日、日曜日
住所:神奈川県川崎市多摩区東三田1-1-1 明治大学生田キャンパス内

是非是非、
機会があれば登戸研究所資料館に足を運んで下さい。
無料、
非常に貴重な品々を見ることができます。