日刊  おっさんの語り継ぎたい歴史― おっさんの人生 これから大逆転だぜえ ―

7年連続・2700日以上毎日更新中。歴史の現場を歩き、未来へ伝え残したい

ダイエットの挑戦
重曹クエン酸水は効果がない
前立腺ガンやPSA
妖怪怪物
MENU

情報戦としての1枚の写真、世論を揺るがした『上海南駅の赤ん坊』

戦争では、情報やイメージも大きな武器になります。
1枚の写真が人々の心を揺さぶり
世論を大きく動かす力を持つことがあります。
写真は記録であると同時に、
「情報戦の武器」として機能するのです。

1937年(昭和12年)第二次上海事件で
「上海南駅の赤ん坊」と呼ばれる写真が発表されました。

(「上海南駅の赤ん坊写真」とは)
1937年(昭和12年)8月13日、日本軍は上海に侵攻しました。第二次上海事変です。
8月28日、午後、日本海軍の爆撃機によって上海南駅が攻撃され、多くの市民が犠牲となりました。
爆撃後の惨状を撮影したのが、中国系アメリカ人のカメラマン・映画撮影技師である
王小亭でした。
王小亭は、この時期、「万国ニュース通信社」の撮影技師であり、上海申報新聞および米国のハートス新聞社でカメラマンを務めていました。
彼はライカで写真を、アイモで映像を記録しました。
空襲を受けた時、上海南駅は退却を待つ1,800人の一般人で賑わっていて、そのほとんどが女性と子供でした。

爆撃後は、線路やホームのいたるところに人が横たわっており、いたるところに切断された手足や切断された遺体があったという事でした。
王小亭が撮影した中で、最も有名になったのが、瓦礫の中で駅のホームで泣き叫ぶ赤ん坊の姿を捉えた一枚です。

この写真は『ライフ』誌1937年(昭和12年)10月4日号に掲載され、「駅のホームで傷つき泣き叫ぶ赤ん坊」(中国では「中國娃娃」)として世界に広まりました。
下が当時の記事です👇

(出典:LIFE 1937年10月4日号

https://books.google.co.jp/books?id=wkQEAAAAMBAJ&pg=PA102&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false


写真を切り出しますね
この写真が掲載されたLIFEは、写真と本文も無料で見る
ことができます。下をクリックして御覧下さい👇

(影響力)
「上海南駅の赤ん坊」の写真は、雑誌「LIFE」に掲載され全世界に広く伝えられました。
爆撃で破壊された駅の瓦礫の中で泣き叫ぶ赤ん坊の姿は、爆撃の残酷さを直感的に伝えました。
同時に、この写真は、日本軍が行った戦争行為の悲惨さを象徴する強烈なイメージとして、世界の世論を大きく動かし、米国の民衆の間で日本の中国進出に反対する世論を、盛り上げるために大きな効果をもたらしました。
心情として、子どもがひどい目に遭っている写真は同情心をかき立てることができるため、爆撃現場に、ポツンと取り残された幼児を撮った写真には何らかの意図があったのではないか、という意見もありました。 
歴史家バーバラ・タックマンは「中国における日本の暴力に対する欧米の怒りを刺激した」と評し、ジャーナリストのローウェル・トマスも「第二次世界大戦を象徴する最も有名な写真の一つ」と位置づけています。

(従軍カメラマン小柳次一さんの発言)
小柳次一さん という従軍カメラマンの方がいました。
1938年(昭和13年)から終戦まで、中国大陸などの戦地、さらに日本内地で、陸軍嘱託の従軍カメラマンとして活躍し、中国戦線や義烈空挺隊や知覧の特攻隊の写真を撮影した方です。
この方は、1993年(平成5年)に宮崎市にいて、話を伺いましたが、この赤ちゃんの写真を「この赤ちゃんの写真は、素晴らしく演出されていて、反日宣伝としては凄い影響力があった」と話していました。

 

(写真に対する疑問)
しかし、この「駅のホームで傷つき泣き叫ぶ赤ん坊」の写真には早くから「やらせ演出ではないか」という疑惑がつきまといました。
赤ん坊を線路に置いたのではないか、煙や構図が不自然ではないかといった指摘が、
あり、プロパガンダ写真として利用された可能性が論じられていました。
例えば、この時、上海南駅は空爆され、遺体がゴロゴロしていた という事でしたが、この写真には、ゴロゴロあるはずの遺体が見当たりません。
爆撃後で多くの方が死亡したのにもかかわらず、赤ん坊が1人だけでいる姿が不自然という声もあります。

それに、当時、上海南駅は蒋介石の国民党軍の軍事用の秘密補給駅であり民間人立ち入り禁止地区で軍人しかいないはずなのに、その駅に、なぜ赤ちゃんがいるのか、不自然ではないかと言う意見もありました。

さらに、よく見ると、赤ちゃんのお尻にイスのような物があるのがわかります。
これは、何のため??
赤ん坊が長時間座っていることが難しいため、撮影用に赤ちゃんを固定するイスなんでしょうか?

(12月21日号「ルック」に掲載された「演出疑惑」)
その年の12月21日発行のアメリカの雑誌『ルック』に、この写真が演出ではないかとの疑問を持たせる別カットが掲載されました。
それがこれです👇

このシーンが、演出写真の作成の打合せ中なのか、撮影の指導中なのではないか、という論争があります。

(映像)
さらに、後日この模様を撮影したと思われる映像が見つかりました。
そこには、赤ちゃんの足元からいきなり煙が出て、それに赤ちゃんが気がついて振り向くシーンがあります。

これは何??
「演出用の発炎筒が倒れてしまい、赤ん坊がそれにおどろき振り返ったシーンであり、プロパガンダ写真である可能性が高い」という声もあります。

(ホームに運ぶ映像)
また、この赤ん坊を運ぶ黒服の男性の映像もありました。

この映像は、1944年(昭和19年)に米国が制作し、公開した映画「バトル・オブ・チャイナ("The Battle of China" 1944)」の24分07秒から24分10秒には、この赤ちゃんを黒服の男性が運ぶ映像があります。
その映像には、「ルック」に掲載されていた、白い帽子をかぶったワイシャツの男性と、黒服の男性が映っています。
さらに映像を見ると、黒服の男性は、空襲を受け負傷した赤ん坊を救出して病院に運ぶのではなく、ホームの上に運ぶと思われるシーンがあります。
それはなぜか?撮影のために赤ちゃんを運んでいるのではないかと言う声があります。

(少年)
「ルック」に掲載された写真には、赤ん坊とともに少年が映っています。

そして、この少年が単体で映っている写真もありました。
これは何なのか・・・。この少年は撮影用に立っているのではないかという声があります。


(情報戦としての写真)
上海南駅の赤ん坊の写真は、単なる偶然の記録ではなく「意図的に構成されたイメージ」だった可能性を示唆しています。
この写真は戦争の惨状を伝えると同時に、日本軍が起こした惨状を伝える宣伝戦の一環として機能したのではないかというのです。

戦争は銃弾や爆弾だけでなく、情報とイメージによっても戦われます。

  • この写真は「日本軍の残虐さ」を国際社会に印象づける強力な武器となった

  • アメリカやヨーロッパの世論を刺激し、日本への批判を高める効果を持った

  • 写真は「事実の記録」であると同時に「感情を操作する宣伝材料」として使われた

「上海南駅の赤ん坊」は、戦場での一瞬を切り取っただけでなく、国際世論を動かす「情報戦の弾丸」だったのです。

もちろん、爆撃によって多くの民間人が犠牲になったのは紛れもない事実です。
しかし、その事実を演出を行い「最大限に訴える形」にして提示することで、写真は単なる記録を超えます。

この写真は、まさに「イメージの戦争」の実弾だったと言えるでしょう。