日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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"もう1つの戦友だった軍馬を讃える:軍馬の慰霊祭に参列  

皆さん、召集令状の青紙って知っていますか?
赤紙ではなく青紙です。

この青い色をした召集令状は、馬の召集令状です。
青紙を受け、戦地に赴き命を落とした
軍馬の慰霊祭があったので参列し
玉串を奉納してきました。

(馬は貴重な輸送手段)

馬は、戦地では、人や武器、食料の輸送手段として重宝されました。狭い山道など車が入れない場所でも馬は運んでくれるのです。
戦争中、馬の持ち主には青色の馬用の召集令状が届き、馬は戦地へと送られました。
しかし、その多くが戦地で命を落としています。

(軍配霊祭は毎年8月25日前後に開催)

軍馬の慰霊祭は2023年(令和5年)8月25日(金)午前11時、福岡県北九州市小倉北区の八坂神社ではじまりました。
八坂神社はJR小倉駅から徒歩15分の小倉城内にあります。

 

平安時代の初めにできたというこの神社の敷地には、左に軍馬忠霊塔、右に生馬神之塔が2つ並んでいます。

(軍馬忠霊塔)

馬忠霊塔は、日本陸軍の乗馬隊にいて日露戦争に従軍した坪根金一が、戦争で犠牲になった数十万頭の軍馬を慰霊するため、寄付金を集め1942年(昭和17年)に建立しました。

像の馬の姿は、戦場で傷つき、置き去りにされて、立つことができない馬の姿と言われています。


(生馬神之塔)

生馬神之塔も坪根金一が建立しました。


2023年(令和5年)の軍馬霊祭は、生馬神之塔の前に祭壇を用意し、毎年8月25日に行われました。

祭壇には、馬が好きなニンジンを中心にたっぷりと奉納されました。


午前11時、慰霊祭が開始。宮司が清めた後、祝詞を奏上し、宮司が玉串を奉納します。

 

かつて、この慰霊祭には、軍馬の世話をした人や関係者など30人近くが集まりましたが、関係者の高齢化が進み、今回の参加者は7人でした。


その後、3人の宮司さんが鐘、太鼓、笛で演奏します。

その後、参列者の玉串奉納です。

軍馬の慰霊祭は20分ほどで終了しました。

 

【出征軍馬の水飲み場

小倉から鉄道で20分ほどの距離の場所にある門司港には、当時の軍馬の水飲み場が残されてます。

門司港は地理的に朝鮮半島や中国大陸に近いため、ここから軍馬が船で各地に運ばれたそうです。
その軍馬が、この水飲み場で国内最後の水を飲みました。

【案内板に書かれた文字】

昭和六年の満洲事変勃発から第二次世界大戦にかけて、日本全国の農村から多くの農耕馬が軍馬として徴発され、この門司港から軍用船で戦地に渡りました。
その数、百万頭に及ぶといわれています。
そして、馬は、再び故国の地を踏むことはありませんでした。

このため、馬にとって最後のお別れの水を飲んだところとなってしまったのがこの水飲み場です。

当時は西海岸通り周辺に数ヵ所あったといわれていますが、今は一つだけが残っています。
港町・門司の歴史を後世に伝えていくとともに、平和の尊さを忘れないよう、ここに保有するものです。   北九州市

馬以外にも犬、伝書鳩なども戦場で戦いました。
動物を戦争の道具にする戦争・・繰り返してはいけません。

 

 

 

日中戦争から太平洋戦争にかけて戦地に送られた馬の数はおよそ100万頭と言われています。その馬たちの多くは、日本とは違う厳しい環境の中で過酷な条件のもと飢餓や

病気で倒れ、二度と日本の土を踏むことがなかったそうです。