大阪港に面した天保山(てんぽうざん)。
この天保山は、かつて日本で1番低い山でした。
現在では仙台の日和山に記録を抜かれ、日本で2番目に低い山です。
天保山は、大阪港に面していて、幕末には大阪港の台場でもありました。
大阪港から見たのが下の写真です。
(標高4.53メートルの山)
「日本1低い山 天保山」の看板は、大阪港側にあります。
写真の中央に見える高い石の碑が目印です。
その横に天保山山頂の看板が表示されています。
この高い石の碑は、「明治天皇観艦之所碑」で、明治天皇が1868年(明治元年)に、
ここで軍艦を観艦したという記念碑です。
その石碑の横にある「日本一低い山」の看板。
この手前の石畳には、測量の基準とされる三角点が埋め込まれていました。
下の写真は天保山の全景です。
(日本1の座を譲る)
天保山は、標高4.53メートルですから3階建てのアパートより低いんです!
以前は日本一低い山でしたが、その地位を仙台市の日和山に譲ります。
実は、日和山はもともとは6メートルの高さでしたが東日本大震災で削られてしまい
3メートルになってしまいました。
そのため、2014年(平成26年)の国土地理院緒調査で日和山に日本1の地位を奪われました。
ですから2021年(令和3年)6月現在で日本の地図上では天保山は日本で2番目に低い山となっています。
(天保山は川を救った土砂を積み上げてできた)
でも今でも天保山では??跡じゃないのでは??
この石碑の横には説明文があります。
よく読むと「川をさらった土砂でできた山」と刻まれています。
???
この天保山の成り立ちをみてみましょう。
(天保山ヒストリー)
江戸時代、大阪港から大阪市内に入る重要な河川の1つに安治川がありました。
天保の年の1831年から2年間、洪水防止と大阪への大型船の入港をしやすくしようと
安治川の土砂をさらう大工事が行われました。これは「天保の大川さらい」と称され
ました。
工事の様子は、天保山公園の壁画と案内板に書かれています。
その工事の時に、安政川からさらった土砂が大量に出てしまい、それを積み上げて大阪湾へ注ぐ河口付近には大きな山が出来ました。おいおい、どんだけ土砂が出たの??
それが天保山の原型です。
つまり天保山は「山」と名前が付きますが、自然の山ではなくて、安治川をさらったときに出た土砂を積み上げてできた人工の山です。
(大阪の名所に)
安治川の土砂をさらって積み上げた山は一時は標高が20mを超えるような山になり、頂上からの眺めがよく、桜の木なども植えられ、茶屋も登場し、当時の大阪の新名所となりました。
天保山には山岳会および山岳救助隊もあるそうです。ただし山岳救助隊には、いまだ
1度も救助要請が来てないそうです。
また山岳会では1枚10円で登山証明書を発行しています。詳細は下記HPを。
【天保山山岳会公式HP】
【大坂観光局公式サイトの天保山公園記事】
<<天保山への行き方>>
地下鉄中央線「大阪港」徒歩10分程度
【この地図の左下にある四角い写真をクリックすると航空写真に変わります。】
かつて日本で1番低かった山・大阪の天保山、
ここは、公園になっていて、
親子連れが楽しむ和やかな光景が
繰り広げられていました。